携帯執事











1.電源を切っております。





唐突に目が覚める。

それはよくあることでもないが、滅多に無い訳でもない。5日間の学業を終え、ほっと眠りに着いた金曜日の翌日。寝起きのぼんやりした感覚も無く、すっきりとしている脳。爽やかな朝だ。涼しさの残るこの貴重な時間を有効に使いたい気持ちもあるが、もう少し心地よい布団の中でまどろんでいたい気もする。本日の予定はあるけど、仕度するには早い。
今何時だろう。どっちつかずの問答の末、時刻で決定することにした。昨晩置いた枕元の携帯電話に手を伸ばす。伸ばしたはずだった。

「あ、れ…?」

姿勢は変えずうつ伏せになったまま右手で探るものの、置いたはずのそれを掴むことは出来ない。ベッドから落ちてしまったのだろうか。寝相が悪い自覚はないのに。
身体を起こし、外気に触れる。乾いた風が窓から入り、カーテンがさわさわ揺れた。薄暗くも明るくもある外をしばし眺めて起きてしまおうかと気持ちが傾いた後、ようやくフローリングの床に集中する。
そこで初めて、存在するはずの無い異質な存在に気づいた。

「………」


こういう非常時、仲良しの少女はおそらく悲鳴を上げるのだろう。学び舎で今年初の油虫が出現したときは、それはそれは大きな叫び声を上げて自分にしがみついてきたものだ。男性陣が退治してゴミ箱に捨てるまでびくびく震えながら抱きついていた彼女は、騒動の後決まり悪そうに謝りつつ、感心したように言った。

「ランファン、ゴキブリ見て悲鳴上げないなんて、すごいわね。怖くないの?」

怖くなかった、わけがない。どうしてあんな小さく弱いはずの生き物に怯えなければならないのだと己を叱咤するが、怖いものは怖い。それなのに悲鳴すら出さないのは、出会った衝撃が強すぎて出せないだけ。そして咄嗟に出ないから、声を発する機会を永遠に失うだけだ。本当は心底脅えているのに、それを上手く表現できない。そういうタイプの人間なのだと、その時は強く実感したものだ。
なんて、回想に耽っている場合ではなくて。

出来れば目に飛び込んできたそれが見間違いではないかと祈りつつ、目を強く擦ってみる。それ、いや、そいつは消えない。どっかりと座り込んでいる。次に軽く自分の頬を叩いたりつねったりを試みてみた。やはり消えない。この部屋に元から据え付けられていたかのように居場所を確保してしまっている。ベッドから抜け出し、恐る恐る触れてみる。瞬間に消えてなくなることを切に願ったが、ぱあっと霧散することもふっと姿を眩ますこともなく。実体を確認してしまった。いる、ここに。


「……夢だな」

うんそうだそうに違いない絶対に。頬に感じた痛みとか触れた奴の仄かな温かさとか、全部リアルな夢だ。逃れるように未だ体温の残る布団に潜り込んだ。奴のことを忘れてしまおうと、背を向けて横になる。夢ならもう一度寝てしまおう。正確な時間は確認していないが、まだ早い時刻だ、きっと。冴えきってしまった頭を再び眠りの世界へ誘うべく、ぎゅううと目を瞑った。小さいくせに妙に大きな存在感を示す男に腹を立てながら。
部屋の真ん中で胡坐をかいた少年の金髪が、わずかに差し込んだ朝日を受け、きらりと輝いた。



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