(凪長編と凛長編の四人の話/続)

 世界最大級の規模を誇るルーヴル美術館は敷地面積も展示物も膨大である。時間が限られていること、また隣の夫が早々に飽きてしまうことを考えて今回は諦めたのだが、いつかじっくり観光したいなと思いつつ女はオルセー美術館に足を踏み入れる。ボザール建築を基調としている建物は酷く独創的で美しい。見惚れている女を見て、女の友人はつぶやいた。

「ルーヴルよりも規模が小さいから周りやすいよ」
「ルーヴルも素敵だけどオルセーも素敵!印象派、大好き!」
「ルノワール好きそうだよね!」
「えっなんでわかったの?」

 ピエールオーギュストルノワールは幸福の画家と称される。温かみのある光があふれた“幸福”な穏やかな作風は確かに奥さんに似合っているなと隣の白い大男はうんうんと頷いていた。

「オーディオガイド借りたい!なぎは?」
「おれはいい」
「お二人はちなみに」
「凛くん借りる?」
「いらねえ」

 でしょうねと糸師凛の奥さんは思った。でしょうねと思ったが、ここで「いらないよね」と決めつけると「俺をわかった気になるな」とオラつく可能性がある。二人きりの時は比較的おとなしく扱いやすい男であるが、他人がいるとつい攻撃的になってしまうかわいい一面がある。ちなみにそれをかわいいと形容するのは奥さんだけである。周りは「本当にすぐぬるいって言うんだな。キンキンに冷えてやがるってもう一回言ってほしい」「こいつみたいなモラハラ男にはならないようにしよっと」とエンタメ感覚で眺めている。

 カフェで会ったのも何かの縁ということで四人でオルセー美術館に赴いたが、奥さん二人は「美術館久しぶり!たのしみ」「あの有名な時計のところで絶対写真撮りたい」とわくわくしているが、男二人は正直全く興味がなかった。凪誠士郎は「飽きたらゲームしよっと。ゲームしてたら怒られるかな」と小学生のようなことを思っていたし、糸師凛も「これ俺でも描けるんじゃねえか」と小学生のようなことを思っていた。


「ねえねえおれもききたい」
「なぎも借りればよかったのに。きこえる?」
「んー……きこえない」
「じゃあ使っていいよ」
「いっしょにききたい」
「不可能では?」

 オーディオガイドはイヤホンがついているタイプではなく、直接本体を耳にあてるタイプである。耳にあててふむふむと絵画を見つめている奥さんの後ろを最初は大人しくぴよぴよしていたが、だんだん飽きてきたのである。「普通にぎゅーしたら怒られるかもだけど、これなら合法だよね」と男は後ろから奥さんをハグしながらオーディオガイドに耳を澄ませている奥さんのこめかみにすりすりと頬擦りしている。それを見ていた糸師凛は「こいつ何しに来た?」と自分のことを棚に上げて思っていたし、その奥さんは「寝太郎、くっつきたいだけじゃん」とエンタメ感覚で眺めていた。

「二人って喧嘩とかするの?」
「喧嘩?たまにするよね」
「えっ意外すぎる!寝太郎怒ることあるの!?」
「ないよ」
「は?おい話を盛るのは辞めろ」
「ないよ。おれ奥さんに怒ったことないもん。ね」
「なぎに怒られたことはない。わたしが怒ることはある」
「怒られたら寝太郎どうすんの?」
「ごめんなさいする。だから喧嘩にならないよ」

 怒られてもこわくないしかわいいだけだけど、嫌われんのは絶対いやだし。俺が秒で謝ったほうがいいし。そうあくびをしながら思っている男を見て、もう一人の男は目を見開いていた。

「ぬるすぎんだろ。情けねえな」
「は?大事な奥さんに謝れない方が情けないっしょ。何言ってんの?」
「ちなみにそちらは喧嘩するの?」
「凛くんが余計なことを言ってわたしが怒る」
「やっぱり温度には厳しいの?ちょっと冷めただけですぐ温いって言うとか」
「前から思ってたんだけど、凛くんのことおもしれー男だと思ってるよね?」

 糸師凛の奥さんは呆れつつ、友人の耳元でそっとつぶやいた。

「喧嘩は大変だけど仲直りは盛り上がるよ」
「え!くわしく!もっとほっこりエピソードききたい!」
「今度ね。目の前で話すと凛くん怒るから」
「ふたりにはワンオンワンして待っててもらおうよ」
「ベルナシオン行けなくなるよ」

 行くのを楽しみにしているショコラトリーの名前を出され、女は残念そうにくちびるを尖らせた。その様子を見たイエティがくちびるをひらく。

「ねーそろそろ奥さん返して」
「わかったわかった。寝太郎ごめんね。別行動にする?」
「時計の前で写真撮ってからにしよ」
「時計の前ってなに」
「俺が知るわけねえだろ」

 オルセー美術館の大人気の撮影スポットである時計の前で四人で撮った写真は、なんだかとても仲良しに見える仕上がりだったので男二人は「やたら仲良く見えるな」と同じ所感を抱いた。みんなおそろいのラコステを着ているので、なんだかとっても仲良しに見えるのである。

(230729)



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