僕の火々

(※悪魔の火の味、ライドウとゴウトの会話メイン、登場しないがライ修羅。)





 下階の時計が意識に割り込み、時を刻む。
 鐘打ちは五回、つまり着席から六時間は経過していた。
 窓辺の陽は確かに角度を変え、本の塔をじりじりと炙っている。すべて買い上げた資料だ、表紙が灼けようと構わない。項目別に差し込んだ短冊が房飾りの様で、指で掻き上げればさらさらと音がした。
 読み解く事は速い方だが、頭で組み繋げ、更には整理したものを手で書き出すとなれば、それなりの時間が要る。苦では無かった、それどころか空き時間にひたすら続けていたい程。僕が本当に只の書生で、探偵見習いという立場であれば──いや、この手の妄想は詮無きもの、巡らすだけ無為、くだらぬ妄想。
 鉛筆を放り、筆記済みの用紙を一枚一枚再確認する。ざっと順序を決め、錐穴を作り紐通し……一息にやるべき所を、どうした事か此れまで放った。疲れだろうか、徹夜はしておらぬ、資料が難解であったか、そんな訳が無い。
 何故だか無性に煙草が吸いたい。
 
「功刀君」
 
 扉を開け廊下に唱える、返事は無い。
 一寸してから黒猫がひょろりと影を見せた、また階段脇の座布団で寝ていたのだろう。任意休眠と思われる其れは、獣の睡眠とは趣が違う。
『あやつなら出掛けおったぞ』
「買い出しには少々遅く御座いませんか」
『鳴海からの頼み事だ、海軍省に届け物を』
「人修羅単独で?」
『定吉とは別の軍人だが、忘れ物をしていった』
「先方が取りに来るのを待てば宜しい」
『気付いておれば、既に舞い戻っている頃だろう。予測されるのは今夜又は後日、上官と共に──』
「成程、事務所で指導的茶番を見せられるのは御免と。そして自ら海軍省に届けるのも癪という事に御座いますか、フフッ」
 階段を下りるごとに猫の声は近くなり、僕が事務所の扉を開く頃には足下まで来ていた。
 応接空間は煙草の煙も無く、蓄音機の針は上がったまま。時計が主張しなければ僕の集中も続き、客人だろうと盗人だろうとお構いなしだった可能性は有る。
 しかし机や棚を探られようと、此処に大した情報は無い。済んだ案件は書類に姿を変え、ヤタガラスへと定期的に転送される。それを充分理解する所長も僕も、敢えて〝書類に残さぬ〟事をする。御上共は知らぬが、僕等にとって重要な情報は、此処に置かぬ。
『庇うわけでは無いが、直後に鳴海も別件で出て行ったからな。依頼主の自宅で打ち合わせが有ると。つまり本日中に届けようとすれば、誰かに頼む他あるまい。それに人修羅であれば、海軍にとっては単なる書生に過ぎん、少なくとも空気が張り詰める事態にはならぬ』
「しかし鳴海所長が僕に用を云わぬ理屈も、少々分かりかねますが」
『おぬしは軍に警戒されとるだろうライドウ、それこそ定吉と今もゆるく馴れ合ってからに…………いいか、奴の立場を知りながら接触を続ける者は警戒対象だからな』
「いつも海や船のお話を聴かせて頂いております」
『ぬかせ』
 鳴海の机に歩み寄り、マッチ箱から一本さらう。続けて薄い抽斗を開き、手っ取り早く開封済みのゴールデンバットを捕まえた。
『自然な仕草で横領をするな』
「そういえば童子、悪魔の種により〝火の味〟が違うと思った事は?」
 側薬を嬲った瞬間、他人事の様な匂いが静かに舞う。
 クシャミをした黒猫が、軽く唸って此方を睨んできた。
『火の質に差異は感じるが、味と捉えた事は無いな……何だ、煙草の味も変わるというのか?』
「この様なマッチと、平二段式Lighterでも味が変わると云われます、人によっては大差無しと云う反応も勿論。そして悪魔であれば大きく分けて二種類……身体より発する火、魔術により集める火と、それぞれ風合いが違います。エネルギイに敏感な者であれば、其処にも味の違いを感じる事でしょう」
『……で、人修羅が居らぬ為に仕方なくマッチで我慢していると』
「僕への理解がいつの間にやら深まっておられる、流石は目付役」
『嫌でも分かるわ!』
「実のところ、点火器やマッチによる差を、僕はあまり感じた事が無かったのです。しかし、アレに点けさせた煙草は大変美味しい」
『それは単なる愉悦を、火の味と勘違いしてはおらんか』
 ゴウト童子にしては気の利く返しに、僕は哂って煙を吐いた。
「悪魔の火で呑む煙草は違います、これは確実ですよ童子。僕は修練していた時分、紅蓮属の低級を口笛にて寄せ着火してもらうのが常でして。これが帝都に来てからというもの、煙草の味わいが少々曇る。そこでふと思い当たり、仲魔の紅蓮属に点けさせてみれば案の定、といった具合です」
『そうだ、火を出す仲魔は他にも居るではないか、何故召喚をしない?』
「煙草の為だけに召喚するのは、流石に燃費が悪い。それに里と違い、口笛に気付く悪魔の少ない事。良くも悪くも帝都は賑やかで、本当に小さき悪魔の影が薄い」
『なぁにが燃費だ、見せつける為だけに女悪魔を喚んでいたろうが』
「人修羅は管に入らぬ以上、火点けの雑用を断る権利も有りませぬ」
『召喚の間に吸われるサマナーというのも、煙草の様なものじゃあないのか?』
 長椅子の端に寝そべり、僅かな陽を浴びる黒猫。寝床から抜けたばかりで頭がまどろんでいるのか、戯言が多い。
「フ、フフフッ、どうされたのですか童子、今日は妙に御上手だ、此の煙草よりも旨い」
『そんなにも普段は微妙か』
「カラスの連中はジメジメと湿気てばかり、如何に味わおうと知れております」
『国が大事ではある、しかしヤタガラスには与しているだけ……真髄はまた別だ』
「ならば僕も同じく──」
『だがいいか紺野、お前は十四代目葛葉ライドウだ、立場を危うくする事は許されんぞ。未だ……葛葉が離れるには早い。今、諸々の機構を利用出来なくなるのは手痛い』
「仰る通り、僕は繋ぎに過ぎませぬ故、更なるお小言は十五代目に宜しく願いますよ」
 灰皿に放ったマッチと添い寝させるよう、潰しながら煙草を捨てる。
 そうして黒猫を置き去り事務所を抜け、再び自室へと上がった。
 
「不味い」

 僕は独りごち、足袋も帽子も脱ぎ捨て、寝台に転がる。
 悪魔の研究、嗜好品、たわいない会話──
 葛葉ライドウの罅を埋める為の快楽が、今はどうでも良かった。

 
    -了-





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悪魔の種類によりそうですが、火の透明度、そういうものが高そうな気がする。
珍しく会話が弾んだ気がしたのに、つまらなくなってしまったライドウ。
(2024/1/30)




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