長官、そう呼び掛ける声に振り返る。喜色のありありと見て取れる声音と表情、ヴァルディアは手に持っていた書類を降ろした。
「落ち着いて移動もできないのか」
「えへ」
 駆け寄ってきたフェルは恥ずかしそうに笑う。ヴァルディアは面食らった心地を無表情の下に押し殺す。珍しい、皮肉が返ってこなかった。見れば頬を上気させた黒服は腕に何かを抱えている。
「……何を拾ってきたんだ」
「あ、これ、この子、すごく稀にしか出てこないから、つい連れてきちゃって」
 要領を得ない。その上口調すら崩れている。自分では気付いていないのだろう、フェルは言いながら両腕の中のそれを持ち上げるようにしてみせる。白くもこもことした毛皮に覆われている中に特徴的なものを見つけて、ヴァルディアは一気に眉根を寄せた。長い二つの耳が揺れて、赤い瞳が見える。ふっくらと柔らかそうな丸い輪郭の生き物。
「森の所で、前から見かけてはいたんですけど、コウとお昼寝してたらいつの間にかいて、それで」
「……戻して来い」
 とにかく遮ってそれだけを言う。丸い瞳が瞬いて白い鼻がひくひくと蠢く。長い耳が声を捉えるように前を向く。フェルは首を傾げる、若干、眦が下がる。
「……だめです……?」
 伺うような、見上げる眼。本人は自覚しているのかこれは。慣れているから対応は容易いが白服たちの何人かがこれで押し切られている場面を何度か見ている身としては多少不安にも思う。計算だったら相当だが。思いながら溜息をはきだした。
「外ならともかく屋内で雪を降らされるわけには……いや、その前に、自然現象の精霊を持って来るな」
「……だって雪の精霊で兎の子って、そんなにいない……」
 精霊は様々な形をとる。動物であったり植物であったり、それは属性や位に左右されることなくばらばらだが、人に近い姿を取るのは相当な力を持つものに限られる。自然現象の精霊ともなれば、龍神の側近だ、人の姿でもおかしくないものが。
 いや、それよりも。
「人の姿でない雪の精霊が珍しいのは認める。戻して来い」
「……」
「目で訴えても変わらん」
「……ふかふかですよ?」
「だからどうした」
 一体何がしたいんだこの魔導師は。
 私に精霊を見せにきてどうしたいんだと、そう疑問に思うよりも先に困惑する。これがなにかの罠ならたちが悪い。完全に嵌っている。フェルは何故か難しげに眉根を寄せて顔を俯けた。その顔を覗き込むようにした兎の姿のそれが、赤い瞳でこちらを見上げてくる。思わず言葉に詰まった。見上げてきた黒があれ、と声をこぼす。
「……苦手、です? 兎」
「……これは精霊だろう」
「いや、そうですけど……なんで苦手なんです?」
「前提にして話を進めるな」
 可愛いのにという声音に言って返す。沈黙。赤と紫の二対。はたから見れば滑稽な図だろうと思考が唐突に漏らして、そして息をついた。手を伸ばす。白い頭、長い耳の間を乱雑に撫でた。
「……せめて外に行け」
「……理由……」
 言った額を弾く。軽いそれに眼を瞑って一歩後ずさったフェルが、即座に転じて軽く睨めつけてくるのを見返せばなにか意味ありげなその眼が外れる。逸れた先に副官。
「……どうされましたか、長官」
「……いや……」
 額に手を当てる。クラリスは疑問符を浮かべて、そしてフェルが抱えている兎の姿の精霊を見てああ、と合点が言ったように声を上げた。雪の精霊ともなれば、その力の強さ故に誰にでも自然に視認できる。
「兎? 何処で捕まえて来たの、フェル」
「精霊の子です、林の所で」
 やはり言葉が足りないが、クラリスはそれで理解したらしい。手を伸ばして兎の姿のそれを撫でれば気持ち良さそうに眼を細める。クラリスも小さく笑いながら、そうしてフェルを見やった。
「外に行ってらっしゃい。中だと風もないから、雪の精霊には大変なんじゃないかしら」
「……かな」
 フェルが眼を落として問いかける。耳がそちらを向いたあと、赤い瞳はくるりと窓の外を見やる。じゃあ、とフェルは背を向けて駆け出していって、それを見やりながら溜め息をついた。本当に何がしたかったんだあいつは。思っていると横から視線。
「……まだ苦手なんですか、長官」
「苦手ではない」
「そうですか。確かにつぶらで可愛いですからね、罪悪感も憶えましょう」
「……」
「でも、出されたら食べますよね。美味しいですもんね」
「……煩い」
「仕事が傾れ込んで来ていますから、お早めにお戻りください」
 副官は笑顔で言って背を向け、立ち去る。もう一度溜め息をついた。




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