Title : 地獄の恋



 あの日訪れた離別は己への天罰なのだろうと思うことが時たまある。真っ黒の渦に飲み込まれるかのように天上へと吸い出されてしまった男は、もう二度と己の前に姿を見せることはなかった。
 あれ以来だ。自分は本当の意味でひとりぼっちになってしまったんだと痛感する。白瑛やモルジアナを切り伏せ、実母を殺害し、かつての友人たちを暴力でねじ伏せてきた。しかし当時、それでも孤独感は不思議と感じなかった。
 今は如実に感じる。世界から弾きだされるとは、こういうことなのかと。



 光差す庭の向こうでこちらに手を振る誰かが居る。目を凝らしてみると、それは見知った人影だった。
「白龍皇子……いや、白龍陛下!」
 ナナウミはわざとらしくそう呼んできたのち、恭しく頭を垂れた。
「今日も一段とお麗しゅう御座いますね、陛下!」
「……」
「顔色は相変わらず最悪に悪……いや、何でも御座いません!」
「……」
「あ、厨房の者から差し入れですよ。美味しい栗がたくさん採れたので、栗入りの餡で月餅を作ったんだそうです」
「……」
「あの、陛下? 私の話聞いておられます?」

「うるさいな! 少しは黙ってろ!」



 自分の怒号が中庭に響いて、はっとした。
 目の前には怖気づくナナウミが居た。咄嗟に彼女の肩を掴み、宥めるように早口で弁明をした。

「す、すまない。怖がらせるつもりはなかったんだ。ただ少し、その、寝不足で。人の声が頭に響いて、痛むんだ」
「さ、左様でしたか……」
 彼女は風呂敷に包まれた月餅を見下ろしながら、眉を下げていた。せっかくならお渡ししたかったんですが、と溢しながら残念そうに声を落とす。
「お加減が優れないのであれば無理は禁物ですね。これは厨房に返して、」
「いや、いい。是非とも貰い受けよう」
 両手に乗せられた風呂敷ごと月餅を引ったくり、自分は努めて明るい声を出した。
 正直いまは他人と話す気にはなれないのだが、彼女に罪はない。むしろ親切で声をかけてくれた。その気遣いを無下にはできない。
「食欲はあるんですか?」
「今は腹は減ってないんだが、その」
「あ、もしかしてお夜食用?」
「いや、そうじゃなく」
 ナナウミは何を期待しているのか知らないが、その返答を耳にしてさらに肩を下げていた。
「俺はいいんだ。あいつに供えてこようと思って」
「あいつ……ああ」
 ピンとこない様子だった彼女は、少し逡巡したのち合点いったらしい。邪気のない声が、澄んだ空気の秋の庭に響き渡る。
「ジュダルさんのお墓ですね! それは名案かもしれません。でもジュダルさんって栗、お好きなんですか?」
 こちらの手にある月餅を見つめながら朗らかに笑っていた。
「さぁどうだろう。俺は案外、あいつのことをよく知らないから」
「えーっ。一緒に戦って生活を共にしてたんですから、好物のひとつやふたつ……」
「桃が好きということしか知らない」
 己の素っ気無い返事を聞いて、彼女はさらに驚いた様子だった。
 これ以上の立ち話は話が長引くだけだと判断した自分は、それとなく彼女の横を通り過ぎて歩き始めた。すると当然のことみたいに、彼女も自分の後ろを追って歩く。

 少し前まで、自分の後ろをついて歩いていたのは別の男だった。彼だけが最初から最後まで己を信じ、いつだって二つ返事で従ってくれた。
 しかし今は他所の国から遣わした女、しかも彼女には別の主が居る。あくまで利害の一致という点だけで結託している関係だ。主従や信頼、仲間という意識は限りなく薄い。少なくともあの男と築いた信頼関係以上の絆は構築されちゃいない。
「知らない相手によく背中を預けられましたね」
「……」
 だから相手にはこちらの気遣いなど皆無だし、この会話も無意味だ。仲良くなるための雑談というよりは相手の弱みを探るための偵察行為、とも言える。こちらの内情にずけずけと足を踏み込んでくる態度は彼女の主から教わった世渡り術なんだろうか。それにしても不躾な女である。
「私は殿のことなら何でも分かりますし、殿も私のことなら何でも知ってますよ。殿の右腕、懐刀として当然ですからね」
「……」
「陛下はジュダルさんのこと、知りたいと思わなかったんですか?」
 もう死んじゃったから叶わないですけど、という一言が付け足される。
 自分はその場に足を止めて、ナナウミのほうを振り返った。
 その時。彼女は目を瞠り、口を閉ざした。
「今なら思うよ。もっと知っておけば良かったと……あいつのことが気になり過ぎて、今も居ても立っても居られないくらいだ」
 声にすると感情はより輪郭が明瞭になるらしい。握力が自然と増して、腕に抱える月餅を押し潰してしまいそうだ。
「それは後悔と言うんですよ」
「ああ、知ってる……」
 ナナウミが進行方向に回り込んできて訳知り顔でそう言うのだ。分かっていたことだが、他人から指摘されると堪えるものがある。込み上げてくる感情を押し殺して、最後に呟いた己の言葉は情けない内容だった。
「今は会いたくて、恋しくて仕方ないんだ」
 ナナウミは振り返って廊下の先を歩くので、今度はその影を自分が追った。

 それ以上何も言ってこなかった彼女が何故、自身の主のことなら何でも分かると胸を張って言えるのか。その理由が、今なら理解できる気がした。




※お礼文は龍ジュダで全6種です





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