Title : お互いのルール④鎮静編



  昼までは燦々と日差しが降り注いでいたにも拘わらず。日が暮れようとする頃には鼠色の雲が空を覆い始め、やがて星や月明かりを遮った雨雲から小雨が降り注いでいた。気の滅入るような天候の変化に何もやる気が起きず、今晩は夜更かしせず早々に床に就こうと決心した。
 窓を叩く雨粒の音に耳を澄ませながら寝支度を済ませ、いよいよ部屋の灯りを消そうかと腰を上げた。が、それと同時に、意識の外側から物音が響いた。それは部屋の扉を叩く音で、誰かが故意に外側から叩いているのだと察しがつく。
 こんな夜半に何用か。既に目下に迫っていた眠気を往なしつつ扉に向かって歩き、来訪者に向かって適当に返事をした。
「いったい何の用だよ、ったく……」

 無意識に漏れた文句を声に出しつつ、扉を開けた。そこに立っていたのは、自分と同じく寝支度をとうに済ませていた白龍だった。その両腕には枕と膝掛けのような布切れが抱え込まれていた。
「……なんだよ」
 珍しいものを見る目で彼の顔を見た。彼はこちらの顔を一瞬だけ窺ったのち、部屋の奥に視線を向けていた。
「ああ、入りてえの?」
「……」
「別にいいけど」

 扉を開けて体の向きを変えると、入室を許された男は躊躇いがちに足を踏み出していた。
 最初からそのつもりでやって来たくせに、何を躊躇する必要があるんだろうか。夜遅くで申し訳ないと思うのなら、日を改めればいいものを。
「……ジュダル」
「んだよ」
 名前を呼ばれて振り向くや否や、体が拘束されていた。床に何かが落ちるような音が響いたが、今はそれどころじゃあない。肩や胴体に巻き付く腕をそれとなく剥がそうとしたが、力が強すぎて解けそうになかった。
 肩にやたら重たい物が乗せられて、薄っすらと石鹸の匂いが香った。それが白龍の頭だと察して、腕を伸ばして藍色の毛束を指でかき混ぜた。
「何? また?」
「……悪い」
 全身の関節が軋みそうなほど強い力だ。このままじゃ絞め殺されかねないと感じた自分は、肩に伏せられていた白龍の顔を起こしてやった。
「別に気にしねえからさ、早く横になろうぜ。すげえ眠い」
「ああ……」
 力のない返事が聞こえたと同時に拘束が解けて、息がしやすくなった。床に落ちた寝具類を拾い上げて寝台に放った後、白龍の手を引いて誘導してやった。
 彼は少し控えめに頷いたあと、ゆったりした歩調でついてきた。まるで子供の手を引く親の気分だ。覚束ない足取りを見ていると、よくここまで一人で来れたな、と感心してしまう。
 長い藍色の隙間から見えた表情は色のない、無機質な機械みたいだった。普段から朴念仁だと揶揄される彼だが、今はさらに人間味がなくて冷たい雰囲気を纏っている。その冷え切った心を温めてやるみたいに手を握って、皺ひとつない真っ白の寝台まで案内してやった。
 そこまでしてようやく、白龍はどこか安堵したような面持ちを浮かべていた。



 平素の白龍といえば、太陽が昇るより前から活動し始め、夜遅くまであくせく働き、忙しなく動き回る頑丈で忍耐強い男だ。見ているだけでこちらが疲れそうになるくらい、とにかく馬鹿真面目な働き者である。
 しかし時折こうして、二進も三進もいかぬほど疲弊する日があるんだという。単に体調が悪いだけか、精神的に辟易しているのか、悪い夢でもみたのか、古傷が疼くのか。根本的な原因は分からない。本人も色々調べて試しているようだが、解決には至ってないようだ。
 白龍が症状を訴えに訪れるのは、決まって誰もが寝静まった夜だ。こんな弱った姿を人に見られては心配させてしまうから、という気遣いなのだろうか。唐突に己の寝室にやって来ては、こうして言葉少なに不調を訴えてくる。

 自分が扱える治癒魔法は種類も少ないし効果も薄い。それに彼のような原因の分からない、目に見えない部分の治療は非常に高度で困難だった。
 治す方法は分からないと最初に伝えたのだが、しかしたったひとつだけ効果がある”鎮静方法”が存在した。それはおそらく自分にしか出来ず、彼にしか効果が出ない方法である。



 自分は寝台に上って枕の位置を真ん中より横にずらしたあと、白龍の枕を真横に置いた。そのまま寝そべって掛け布団を自分の体に掛けてから、寝台の横に立っているだけの白龍の顔を見上げた。
「何してんの?」
「いや……」
 彼は今更何を躊躇うのか、肩を竦ませつつ寝台へ上った。そして体を横たえて、枕に頭を乗せた。
 横向きで寝そべり真横を見つめる自分と、仰向けで天井を見上げる彼。気まずそうに視線を逸らし、静かに瞬きを繰り返す瞳をじっと観察した。
「寝れそ?」
「……」
 相変わらず口数は少ないが、何となく否定の返答であると読めた。
 自分は枕の位置をさらに寄せて、白龍の体の側面にぴっとりと張り付くようにして寝そべった。
「白龍もこっち来いよぉ」
「……しかし……」
「今更照れんなよ」
 理性がしっかり保たれているからか、白龍は顔を逸らしたまま微動だにしない。そんな様子じゃ目が冴えたまま朝を迎えてしまうだろう。いくら頑丈な奴だからって、そうなれば日中倒れてしまうに違いない。

「白龍、こっち!」
 そう呼びながら腕を伸ばし、藍色の頭を抱きかかえるようにして胸に押し込めた。彼は無論抵抗を示したが、腕力は大したことがない。手加減されているのか、力も出せないのか。
「ジュダル……」
「朝までこうしてやる」
「押し潰されそうだ……」
「なら、大人しく押し潰されとけ」
 少し湿り気が残っている藍色の髪に頬を擦り寄せて、そうぼやいた。すると彼も観念したのか、こちらの肩口に顎を乗せるような格好で息を吐いていた。
「……悪いな、いつも。気を遣わせてしまって」
「何の話?」
「……いや……」
 白龍は弱々しい声で口にしたあと、こちらの肩に額を擦り付けながらまぶたを閉じた。長い髪の隙間から見える穏やかなかんばせに、自分も釣られるようにして眠気が訪れる。
 知らぬ間に背中に回されていた腕の体温に気がついたのは、眠りに落ちる寸前のことだった。相手の脈拍、心臓の鼓動を間近で感じながら、自分もいつの間にか意識を手放していた。



 次に目を覚ましたとき、自分は寝台にひとりで寝そべっていた。視界に広がる明るい天井の景色を認めてから、真横の空いた部分に手のひらを伸ばした。
 何もない。皺の寄った敷き布には体温も残っておらず、最初から一人寝をしていたと錯覚しそうになるほどだ。真夜中の来訪は夢の出来事だったのかと、目を擦りながら暫く考え込んでしまった。
 しかし起き上がってから、昨晩の邂逅が夢でないことに気づく。寝台の横にある脇机の上に、陶器に盛られた白桃が鎮座していたのだ。
 瑞々しい果肉に滴る果汁を見つめて、ほぼ無意識のうちに手を伸ばしていた。おそらくこれを用意したであろう男の顔を思い浮かべながら咀嚼して飲み込む。まだ冷たくて新鮮な食感から察するに、桃を剥いてから時間は然程経っていないだろう。
 さっさと支度を済ませて外に出よう。そして白龍を見つけたら、あいつの背中を一発殴ってやるのだ。いつか自分がされた時と同じように、お前が悩んだり辛くなる時もひとりになんかさせないという気持ちを込めて。





※お礼文は龍ジュダで全5種です





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