Title : お互いのルール③おねだり編これは互いのルールというより、自分で見つけた”とある法則”についての話である。 手持ち無沙汰で暇を持て余しながら宮中をうろついていた、ある日の昼下がり。 たまたま通りかかろうとした空き部屋で、何人かが歓談している声が聞こえた。特段内容を聞くつもりも興味もなかったが、勝手に耳に入ってきた声色の種類にひとつだけ、聞き覚えがあった。 「此度の成果は殿下の手腕によるものですよ。いやはや、流石であります」 「俺ひとりの力では決して成し得なかった。お前たちが支えてくれたからだ」 「我々の尽力など微量に過ぎませんよ。そんなご謙遜なさらず」 何か良いことでもあったんだろうか。機嫌のいい浮ついた声はこちらの廊下まで響いている始末だ。部外者に聞かれても問題ない話なんだろうか。 なんとなく話の仔細が気になって、壁伝いに歩きながら部屋の手前で立ち止まった。彼らは部屋の扉を閉めておらず、開けっ放しだった。きっと部屋の前を通り過ぎたら自分の姿が見えてしまうだろう。完全に盗み聞きの格好になってしまったが、隠す気がない彼らだって悪いのだ。 「いやあ、今晩は久々に祝杯を挙げるとしますか」 「いいですね。親睦を深めるのにもちょうどいい機会です。殿下はご参加されますか?」 「ああ、俺は……残務の処理をせねばならん。悪いがお前たちだけで楽しんでくれ」 「我々もお手伝いしましょうか?」 「いいや結構。俺ひとりで充分だ。気遣い有難う、助かる」 「では殿下はまたの機会にお誘いいたしますね」 和やかな雰囲気で話はひと段落ついたようだ。 結局、話の核心の部分は聞けずじまいだ。とにかく『良いことがあったらしい』という情報しか得られなかった。 これ以上立ち話に耳そばを立てても有益な情報は得られないと判断し、足音に注意して元来た道を引き返そうとした。その瞬間、部屋のほうから声が聞こえた。 「そろそろ俺は先に戻る。また夕方の会議で宜しく頼む」 足音が鳴り響いて、反射的に振り返っていた。視界の先には意外そうな面持ちを浮かべる白龍が突っ立っていた。 「よ、よお白龍……」 「ああジュダルか。どうかしたか」 廊下の壁際で話を盗み聞きしていたことに、彼は気づいていないようだ。きょとんとした顔のまま名前を呼ばれて、不思議と背筋が伸び上がってしまった。 なるべく平常心を保ちつつ、ここを偶然通りかかったという体を装うことにした。 「あー、ちょうどいいところで会えたな!」 「ん? 俺を探してたのか?」 「あー、うん、そう。そうだった」 ぎこちないだろうが、白龍は特段疑問に感じていないようだ。ならこのまま話を進めるしかない。自分は自然な会話を続けようと、必死に頭と口を動かした。 「えっと、その。実はちょっと頼み事があって」 「……頼み事?」 急に改まってどうしたんだと、少し意外そうな顔をする。自分はここから続けるべき無難な話題を考えに考え抜いた。 「……今朝から腹の調子が悪いみたいでよ、なんか胃薬とかある?」 柄にもないことを言っているという自覚はある。が、口から出てしまったものはしょうがない。自分は白龍の顔色を窺いつつ、次の言葉を待った。 彼は目を瞬かせたあと、にわかに眉を顰めた。 「そんな腹を出した格好をしてるからだ。いい加減まともな身なりを覚えたらどうだ」 「……」 呆れた面持ちで腕を組み、説教を垂れ始めた。白龍は至って平常運転である。 腹を壊した、なんて方便は勿論嘘っぱちだが、それにしたって嫌味な男である。体調不良の相手にかける言葉がそれか、と内心腹が立った。 だが白龍はそう口にした直後、表情を変えてこちらに手を伸ばしてきた。 「薬なら俺の部屋にあるからついて来い。ついでに服も貸してやる」 「お、おお……?」 「なんだその意外そうな顔は!」 伸ばされた腕が肩に触れて、そのまま布を掴まれた。彼は自身の私室に連行しようとしているらしい。有無を言わさない力に圧倒されて、自分は白い背中を追いかけた。 「……てっきり厠行って布団被って寝ろ、って言われるだけかと」 「俺がそんな薄情に見えるか?」 「……」 何とも言えず口ごもると、白龍は振り返って声を上げた。 「熱はないのか?」 「えーと、たぶん」 「落ちてる物を食べたとかじゃないよな?」 「まさか!」 ケラケラと声を上げて笑うと、白龍がどこか心配そうな面持ちで見つめてきた。自分は不思議に思って、色違いの目を見つめ返した。 「ただの風邪ならいいが」 「そんな心配するこたぁねーだろ」 そもそも仮病だしな、と出かかった言葉は飲み込んでおいた。 「まあいい。後で俺の部屋で見てやろう」 不服そうな顔でちらりと睨まれた。 なんだかいつもの白龍じゃないみたいだ。自己管理がなってないとか、そんな格好するのが悪い、自業自得だと罵倒されるものだと思いきや。あれよあれよという間に白龍の部屋に通されて、自分はその後、怒涛の好待遇に面食らう羽目となった。 腹のどのあたりが痛いか、いつから痛いか、他の症状は自覚してないか、エトセトラ。とにかく白龍からは長時間の質問攻めに遭った。最初から嘘でしかないやり取りに正直飽き飽きしつつ、罪悪感も徐々に芽生え、自分はもうどうでも良くなってしまった。 そもそも部屋を通りかかった際に聞こえた立ち話がたまたま耳に入っただけで、なんでこうも自分が面倒な立ち回りを強いられているのかが分からない。こうなるくらいなら、初めから盗み聞きして御免なさい、と真っ先に頭を下げておけばよかった。 誰にも言えない本音を胸に抱きつつ。自分は白龍に借りた羽織を着て、白龍の匂いがする布団に横たわっていた。今の自分はどこからどう見ても紛うことなき病人である。 大袈裟な奴め、と心中で悪態を吐きながら、用意された煎茶で口を湿らせた。なんでも胃痛に効果があるとかで、鼻をくすぐる薬草の匂いに噎せそうになった。しかし不味いと文句を言ってちゃぶ台返しでもしたら、相手を怒らせるどころでは済まないだろう。 何から何まで彼の善意である。ひどく狡い気もするが、普段は垣間見れない甲斐甲斐しい仕草が面白くもある。 「なにか欲しいものはあるか?」 「欲しいもの?」 茶器を片付けながら白龍が尋ねてきた。自分は言われた意味がよく分からず、馬鹿みたいに鸚鵡返しした。 「食べたいものとか、着たい服とか」 「あー、桃、……」 腹が痛いと言って彼を頼ったくせに、うっかり素で食べ物の要望を出してしまった。設定に矛盾が出る、と一瞬焦ったが、相手の表情は涼しいままだった。 「そう言われると思って、あらかじめ準備しておいた」 白龍は寝台から見えない位置にある机に白桃と果物包丁を用意していたようだ。周到な男である。それと同時に、あっさりと見破られてしまう自分の単純すぎる思考が恥ずかしくなった。 「自分で食えるか?」 「……食えないって言ったら、白龍が食わせてくれんの?」 白龍は慣れた様子で果物の皮に包丁を沿わせていたが、ほんの少し手を止めた。次に顔が持ち上がったが、視線は気まずそうに揺れている。 「何故聞く」 「いや、気になったから。どうなんだよ」 「……」 「白龍」 自分は笑い出したいのを堪えて、大きく口を開けた。白龍が渋面を張り付けて、自身の手元とこちらの顔を見比べ始めた。その挙動が可笑しくて、ついに喉から笑い声が出た。 「貴様、俺をおちょくってるのか?」 「病人にキレんなよ」 「くそ……後で覚えてろよ……」 彼は実に不満げに、指で摘まんだ白い実をこちらの口に押し当てた。さっさと食え、という無言の圧力を浴びせられる。自分は大人しくそれを食んだ。瑞々しい果肉は甘酸っぱい水分をたっぷり含んでいて、口の中でじゅわりと弾けた。 「あー、あとあれだな。白龍にアレしてもらえたら元気になるかも」 「……アレ?」 桃を咀嚼しながら、自分は果汁で湿った唇を指さした。 「白龍、無視すんなよ」 「馬鹿馬鹿しい。戯けたことを……」 「落ち着けって。あと、先に包丁置いてくれよ。あぶねーから」 果汁で濡れた包丁を清潔な布巾に包んで脇机に置いてから、白龍が振り返った。こちらを見下ろす瞳は冷ややかだが、本気で怒ってるわけではなさそうだ。藍色の奥には戸惑いや迷いの色が見え隠れしている。 なら、このまま押し問答を続ければ。先に折れるのは白龍だろう! 「ジュダルお前、この機会にかこつけて俺にあれこれ要求するつもりだろ」 「だって白龍がこんなに優しくしてくれるって、俺知らなかったし」 「そりゃあ、弱ってるお前を放っておけるわけ……」 「……」 白くて長い袖を掴んで、白龍の瞳に訴えかけた。ついでに名前を呼んでやる。なるべく上目遣いで、甘ったれた声を使って。何となくだが、こうすれば白龍が根負けする確率が上がると常々感じている。 自分の予想は大当たりだった。白龍は眉根を寄せて困惑しながらも、ゆっくり顔を寄せてきた。 やがて唇が触れるであろう瞬間、自分はゆるく目を閉じたのだが。 「……んん?」 「そっちは回復するまでのお預けだな」 「な……」 頬のあたりに柔らかい感触を感じたのだ。そして耳元で彼の声が響く。 至近距離で睨み返すと、してやったりと言わんばかりにほくそ笑む表情が見えた。 「白龍の意地悪! いけず野郎! 根性なし!」 「それだけ元気なら放っておいても問題なさそうだな」 脇机に配膳していた食器類や包丁を乗せた盆を持ち上げながら、白龍はそそくさと立ち上がった。そのまま部屋を出ようとするので、自分は思わず起き上がりそうになるのだが。 今日一日は大事を見て寝ておけ、とあえなく釘を刺されてしまった。自分は何も言い返せないまま、彼の背中を見送ることしかできなかった。 一人きりになる寝室で白龍の体温や感触が残る頬を撫で擦った。 体調が悪いときはこちらの我儘やおねだりをある程度聞いてくれる一方、一歩踏み込んでいちゃつくことは許してもらえないようだ。それもそうだろう。なんだか得したような、しかし損したような気もしつつ。こんな下らない嘘を吐くのは今日で最後にしよう、と心に決めた。 目の前にあるのに、思うように触れ合えないのは、これ以上ないほどもどかしいのだ。 完
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