Title : お互いのルール②謝罪編事の発端は数か月前に起きたとある事件だ。 宮殿に備え付けの厨房の窓硝子が割られ、鍵が破損しており、何者かが侵入した痕跡が見つかったのである。 宮殿内は一時騒然となり正門や裏門を含め、寝所などの居住区域の警備を手厚くし、侵入者の脅威に備えて警戒する日々が暫く続いた。同時に、厨房へ侵入した犯人探しが毎日行われた。大勢を動員し犯人捜しに奔走し、最終的には魔法を使った追跡により、一人の個人を犯人として特定することに成功した。 厨房に侵入した不届き者はジュダルであった。一部の者はやはりか、という反応を隠せなかったようで、彼の信用のなさが窺える。 そもそも彼は事件発生当初から捜査に協力的ではなかった。事件当時のアリバイの証言も目撃者がおらず立証不可能なあやふやな内容だったし、魔法による追跡を講じる時は何故か声を大にして反対していた。だから彼が犯人だと判明したとき、大半の者は驚きはしたものの、予想外とは思わなかったようだ。 かねてより悪名高い男が何故此度の犯行を働いたのか。自分はその場に居合わせることはなかったが、尋問に次ぐ尋問がみっちりと行われたようだ。結果として彼の口から引き出された動機は単純で、馬鹿馬鹿しい内容だった。 要するにだ。夜中に腹が減って厨房に忍び込もうとしたところ施錠されており中に入れず、しかし夜市に出向くのは億劫と感じていた。なので窓を叩き割って鍵を破壊し、中へ侵入して冷蔵庫の作り置きや仕込み途中の食材などを平らげたのだという。 まるで野良猫のようだと誰かが揶揄していたが、猫ならまだ可愛げがあっただろう。しかし相手は大の大人で、素行の悪さでは右に出る者が居ないとまで言わしめた男だ。彼に対しいい加減にしろと怒髪天を衝く者も現れ始めたし、自分もその中の一人だった。 というわけで彼には二度とこのような悪事を働かないことを誓わせると同時に、謝罪行脚を決行させ、ついでに謝罪に関する決まりも設けた。この決まりは自分と彼の間でだけ有効なルールである。 数か月前の大騒動を久方ぶりに思い返すきっかけが訪れたのは、ちょうど今朝がたのこと。自分の寝床で目が覚めたのち、真横には何故か同室でもないジュダルが着の身着のまま眠っていた。 健やかな寝顔を晒しながら熟睡する男は、勿論経緯について説明する口を持たない。自分はこの状況を訝しく思いつつ寝床から起き上がった。すると、床の絨毯に泥のような汚れが付着していることに気づいた。 まさかと思い、慌てて掛け布団を引き剥がして布団の中を確認した。自分の嫌な予感は的中していた。ジュダルの足裏に付着していた土汚れが布団を盛大に汚しており、敷き布まで駄目にしていたのだ。 窓の様子を観察すると、外側は水浸しになるまで濡れていた。単なる夜露で濡れたわけじゃない。熟睡していて知らなかったが、昨晩は明け方まで大雨が降っていたようだ。 この男が部屋に侵入してきたであろう当時の状況を何となく推理し、次の瞬間、自分はジュダルのぼさぼさ頭を反射的に叩いていた。 「いッてぇ……何すんだよ、急に!」 何してるんだと怒鳴りたいのはこっちだ。寝起きでご機嫌斜めな男の発言など無視して、自分は矢継ぎ早に言葉を続けた。 「貴様、昨晩の雨で汚れた足のまま部屋に入ってきただろ!」 「あぁ~? 足ぃ?」 「布団も絨毯も泥まみれだ! お前の仕業だろ!」 白い布に付着した泥汚れを指さして感情のままに怒鳴ると、彼は目を細めつつ、あぁ、と頷いた。 「確かに帰りは大雨で、地面は水たまりだらけだったような……」 「ならせめて自分の部屋に戻って寝ろ」 「うーん……酔っててあんま覚えてねぇ……」 彼は少しばつが悪そうに頭を掻きながら、茶色く汚れた足の裏を見つめていた。 あまつさえ我が物顔で寝台を占領し布団を汚したうえ、酔っぱらっていたとは。もう叱る言葉も出て来ず呆れた溜息しか出ない。夜遅くまでほっつき歩くのなら、せめて他人に迷惑をかけないよう謹んでほしいものだ。 「とにかく布団と絨毯の洗濯はお前の手でやれ」 「えっ!?」 「当たり前だろ! そこで驚くな!」 一体誰のせいで汚されたと思ってるんだ、と耳元で怒鳴ってやった。彼はもう勘弁してくれと言わんばかりに耳を塞いで、分かったから、と懇願してくる始末だ。 「……それともうひとつ」 「な、何?」 寝台から降りて身支度を始めようとした時、自分はふと”とあること”を思い出して彼のほうに向き直った。彼は寝台の上で未だ寝そべったまま、ぼんやりと眠気を引きずっている様子である。 「こないだお前が厨房に忍び込んで騒動を起こした時、約束したよな」 「……何の?」 不穏な気配を察知したのか、ジュダルはいそいそと上体を起こしてこちらを見つめた。まったく心当たりもないようで、眉根を寄せながら首を傾げている。 間抜けな寝起き面に緊張感を持たせるにはちょうどいいかもしれない。自分はなるべく分かり易く、簡潔に言葉を選んだ。 「今度ジュダルが宮殿で悪さをしたら、家事手伝い丁稚奉公、なんでもやるって」 「……あっ」 ジュダルは一瞬目を見開いてから硬直したあと、そんな約束は身に覚えがないと大声で喚き始めた。朝から騒々しい奴だ。 しかし今の反応を見て自分は確信した。彼は約束を忘れちゃいない。しっかりと覚えている。大声で否定しているのは、単に動揺しているのと罰を受けたくないだけだ。 この男がいかに狡猾かは自分もよく知っている。演技が上手くて口先が達者な奴だ。ここで言い包められたら形勢逆転されかねない。自分は心を鬼にしてジュダルに向き合った。 「自分でそう言ったよな?」 「あっあん時は、ああでも言わねえと収拾が……!」 「見苦しい言い訳はやめろ」 自分はジュダルの首根っこを掴んで寝台から引きずり下ろしたのち、彼にこう告げた。 「いいか? お前は今日一日宮仕え達の仕事を手伝ってもらう。掃除洗濯食事の準備、何でも率先してやるように」 「ふっふざけんな、馬鹿にすんじゃねえ!」 窓から脱走しようとした男の肩を掴み羽交い締めにし、そのまま廊下に放り出した。ジュダルの身支度は済んでないが、そんなものは後回しだ。今はとにかく彼が罰から逃げ出さぬよう、監視し拘束しておく必要がある。 さてこれからどうしたものかと頭を悩ませていた時。たまたま近くを通りかかった家臣が目に入ったので、適当に声を掛けてジュダルを引き渡した。肉体労働でも何でもやらせていいから丸一日こき使え、と命じながら。 「白龍の鬼! 悪魔! いけず野郎!」 「ふん、好きなだけ吠えとけ!」 大暴れするジュダルを屈強な家臣が引きずってゆくさまを廊下の端から見届けつつ、自分は再び部屋に戻って支度の続きに戻った。 そしてあっという間に過ぎた一日の夜。私室で寝支度を進めている最中、唐突に部屋の扉が開かれた。そこに現れたのはジュダルだった。 「……な、」 「白龍、俺もう今日頑張ったから許してもらえるよなぁ!」 何用かと尋ねようとする前に、ジュダルの口からそんな言葉が飛び出た。 彼は今朝と変わらない風貌で着の身着のまま、しかしどことなく疲れ切った表情をしている。 「朝から庭の草むしり、昼は廊下の張り替え、夜は厨房で皿洗い……」 「お前でも役に立てたのか。なら良かった」 「うっせー! 俺は今日一日働いたからこれでチャラだろ! なあ白龍!」 「……」 今朝ジュダルが文句を言いながら取り替えた寝具を見つめながら、自分は暫し逡巡した。 「それだけ騒げる元気があるならもう一日追加してやろうか」 「勘弁してくれよ! 頼むぜ白龍~……」 床にへたり込みながら懇願してくるみっともない男は、自分の着物の裾を引っ張っていた。同情を誘うつもりなのだろうか。 自分は彼と目線を合わせる為に片膝をついてしゃがんだ。呆れつつ彼の顔を見ると、薄っすらと水の膜が張られた赤い瞳と目が合う。 その弱々しい表情に当てられたせいか。直前まで言おうとしていた言葉は頭から消えて、つい反射的に口を動かしてしまう。 「……冗談だ。よく辛抱した。仕置きは今日だけにしといてやる」 「白龍」 「もう反省したか?」 「……はい」 か細い返事が聞こえたので、これにて一件落着としようか。少し甘やかしすぎだろうか。しかし、これ以上の罰を与える気はどうにも起きなかった。 その顔はまるで飼い主に叱られた犬のようで、自分はこれ以上何も言えなかった。 完 |
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