みかん:尊陸

こたつの向かいからぬっと人の手が出てきた。
 なんだ? と思う間もなく、その手がばんばんと天板を叩く。捜し物でもしてるような動きに、眉間に力が入るのを感じた時、
「ちょ」
 こたつ布団の下から不満そうな声が聞こえて来た。返事をするのも面倒くさい。俺は声を無視して読みかけの雑誌のページを捲る。
 八神巴のインタビュー記事……八神の兄って、人と喋れるのか? 記事の内容は恐らく先月のアメリカでのレースの事だろうが、そっちの方が気になる。
「ちょ!」
 また声がする。さっきよりもデカくてうるさい。
「ちょ、藤原! 返事しろよ!」
 妙に苛立った様子で叫んだ八神がこたつから這い出し、俺の手元から雑誌を奪った。
 何の真似だ、コイツ?
 俺が視線を強めると、それが気に触ったのか、八神が眦をつり上げる。
「無いんだけど」
「は?」
「無いんだけど、みかん」
 唇を尖らせて吐き捨てる八神に、俺はこたつの上に視線を移す。
 なんだこれは?
 積んであったはずのみかんの山は無く、無残な皮が散乱している。俺が雑誌を読んでる間に、食ったのか? 八神。
「お代わり」
「は?」
 天板に顎を乗せて憮然とした表情で言ってくる八神に、俺のこめかみがひくつく。お代わりだと? 自分で持ってくればいいだろう。俺んちのみかんの在処など、知らんはずもないのに。
「自分でとってこい」
「やだよ寒いし」
 声に出して告げると、不服そうに唇を尖らせる。うちの親が送って来たみかんは、冷蔵庫の野菜室を占拠している。別にみかんを冷蔵庫に入れる必要はないとも思うが、一人暮らしの家に5キロも送られては、食べきる前に腐らせる。だから冷蔵庫で保存しているのだが、こたつで温まった身で冷蔵庫までみかんをとりに行くのは嫌だ。つか断固としてお断りだ。
「てか俺客だぞ。藤原がとって来いよ」
「客? お前が?」
「俺以外に誰がいるっつうんだよ」
 何言ってるんだコイツ。なんで今更お前を客扱いしなければいけないんだ腹立つ。
「お前今イラッときただろ」
 うっと俺は息を飲む。何でバレたんだ? わからん。基本的に無神経なくせに、時々八神は鋭いから厄介だ。
「なんでバレたっておもってっかもしんねえけどな、顔観てたらわかるっつの」
 ふふん、と八神が鼻を鳴らす。そんなわけ無いだろう、と思うがマジなら怖い。
「ま、いいや。したらこれ使うかな」
 なにやら勝ち誇った顔で、八神はこたつの中でごそごそと身動きをする。何の真似だろうか? つかコイツ、の考えてる事は永遠にわからん。
「ほら、藤原。みかんとってこい」
 ばん、とこたつに叩きつけられた物に、俺は目を見開いた。あれは、小日向先輩と門脇先輩主催のリアルババ抜き大会の優勝賞品、アルティメット絶対必ず言うこと聞かなきゃいけない券……!
 先週の大雨の日、屋内練習スペースを確保出来なかったせいで開催された謎の大会で八神が手に入れた景品は、有効期限無限で一回だけ相手に何でも言うことを聞かせられる券だ。なんだそれは、とも思うがなんかそういうもんだから、八神がこれをこの場で使うと言うのならば、俺に拒否権は無い。なんでだか良くわからんが、ここで拒否るとさらに厄介な事になると言うことだけは約束されている。そんな気がする。
「……いいのか?」
「は?」
 それでも、このまま素直に言うことを聞くのが癪だったので、俺は微かな抵抗を試みる。
「ここでこれ使って、いいのか?」
 俺が視線をぶつけると、八神はただでさえデカイ目を丸くした。
「いいよ、別に」
「何?」
「だってさ」
 勿体ぶった仕草で肩までこたつ布団に埋もれながら、ニヤリ、と笑う。
「どうせ次も俺が勝つし」
「……!」
 聞き捨てならん事を言って、八神は再びこたつの中に姿を消す。
 ふざけた事を、と思いつつ、俺はこたつを後にする。部屋の中とはいえ、こたつの外は寒いはずなのだが、今の俺にはむしろ熱いくらいだ。
 何が次も勝つ、だ。次があると思うな八神。今度の勝負が何になるのか知らんが少なくとも走りでは負けんし、今度みかんをとりに行くのは俺ではない、お前だからな。
 首を洗って待っていろ。




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