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※心霊現象が嫌いな方は全力で回避してください。

「こんばんはー」

 今日も今日とて夫婦親子の軋轢から逃避するべく、何億何千万キロの宇宙空間を踏み越え、友人の家を訪ねてみると。

「あっ、いらっしゃいシヴァさん」

「何だ、また犬も食わん有様か」

 居候の擬人(ヒューマノイド)二人の姿は居間でたやすく発見できたが、肝心の家主の姿がなかった。

「アルフは? ……?」

 真っ先に目が行ったのは、居間の真ん中にどーんと鎮座する炬燵。原始的な構造の暖房器具だが、寒冷な気候の火星においては――特にここの世帯主のような寒がりにとっては――年間を通じて必須の家具である。

 だからこの家はいつ来ても炬燵が居間のど真ん中を占領しているのだが、シヴァの鋭い感覚は、今、その中に息をひそめて閉じこもる家主の気配を確かに感知した。

「……どないしたん?」

 炬燵を示しながら問いかけると、蘊蓄の好きな年上の擬人が、目の細い表情の分かりにくい顔にも、心なしか笑いに似た気配を浮かべて答えた。

「現実逃避中だ。お前と同じだな」

「また何で?」

「まあ、完全に自業自得だ。幽霊だの死体だのが苦手なくせに、よせばいいのに怖い物見たさで、琵琶湖周辺の心霊スポットについて調べたらしくてな。結果――琵琶湖の湖底には古代の死者の遺体が立った姿勢で無数に漂っているという噂に触れて、にわかに恐怖心をかきたてられたらしい。知っての通りインペラトリクスは琵琶湖の有機物から培養された機体だ。仮にその話が本当だとすれば……」

「や、やめてよガッツさん。俺だってそんなこと聞いたらおっかなくなるし……それにインぺがかわいそうだよ」

 少年の姿をしたもう一人の擬人、SDVインペラトリクスの制御人格(OS)を務めるリヴァイヴァが、怯えたように自分の肩を抱きすくめた。

「……はぁ。なるほど」

 シヴァはもう一度炬燵を見下ろした。よく観察すれば掛け布団の左側に頭、その横に両手、右側に両足が入っているらしき膨らみがあり、時折もぞもぞと突き出したり引っ込んだりして位置を変えているのがわかる。そういえば、先ほどからカタカタカタカタとかすかな震動音が続いているのは、中の人の震えが炬燵の台に伝わっているからか。

 知っての通りとガッツは言ったが、琵琶湖で養殖した擬似生物細胞から、兵/戦闘機可変型の共感駆動乗用機械(SDV)インペラトリクスを造り上げたのは他ならぬシヴァである。養殖場所として琵琶湖を選んだのは、たまたま自宅に一番近い、十分な広さと栄養源をもった天然の培養槽になり得る場所だったからだが、おかげで今この炬燵に引きこもっている御仁に、おまえのせいで鮒寿司の材料が絶滅したらどうすんだとか、滋賀県の人は日々琵琶湖の水位を気にしてんだよとか、西川さんとラジオのリスナーの皆さんに謝れとか、何だかよくわからない数百年前の文化を引き合いに出されてさんざん怒られた。

 まあ、それは一種の冗談としても、それを言った本人は、シヴァがやっと完成させたSDVを友人のよしみで無償で譲り受け、インペラトリクスと名前をつけて、仕事に移動に大いに活用しているのである。たかだかその材料が死体かもしれないと判明した程度で、掌を返して怖がるのはいかがなものか。……と、シヴァは真剣に思った。

 シヴァは炬燵の前にしゃがみこんだ。中にいても必ず周囲の音には聞き耳を立てている。そう踏んで、普通に炬燵に向かって話しかける。

「あんなぁ、アルフ。俺、インペラトリクス造ってる間に何度か琵琶湖潜ったけど、湖底で人の死体らしいもんとか一度も見ぃひんかったえ」

「……」

「そもそも考えてみぃな。琵琶湖にはえらいぎょうさん生き物がいるんやで。人が入らはったかて、そんなん、琵琶湖の魚にしたらただのご馳走や。よっぽど深いとこに沈んだんでもない限り、いつまでもそんな湖の底にふらふら漂うてるはずあるかいな。少なくとも、生きたはったままの格好てことはあらへんやろ」

「……」

「そんなん言うたら、あんたの言う鮒寿司の材料かて何食うてるか分からんにゃろ。そやけど、鮒は鮒やし、誰もなーんも気にせんと食べたはるやんか。SDVかて同じことやろ。元が何でも、とうに消化されて体の一部になってるんやったら、なーんも気にすることあらへんと思うけど……」

「……!」

 不穏な気配を察知したシヴァがわずかに身を反らした瞬間、バンッと炬燵が跳ね上がった。

「んがああああああっ!」

 とっさにシヴァはこの狼藉に正当な反論を加えようとしたが、炬燵布団をはねのけて現れたアルフの、たった今地獄を見てきたかのような鬼気迫る形相に言葉を失った。

 アルフはくるりと身を翻した。物も言わずに居間と台所を走り抜け、玄関で靴をつっかけるやいなや、扉を開け放ってたちまち戸外へ姿を消す。残る三人は呆気にとられてそれを見送るのみであったが、ただリヴァイヴァが慌ててその背中に呼びかけた。

「あっ、アルフ、どこへ!?」

「散っ歩っ!」

 やけっぱちのような返事は既にかなり遠くの方から聞こえた。

「……?」

 どうしてこうなったんやろ、と首をひねるシヴァに、脇からガッツが口を出した。

「恐怖からの逃避を図っている時に、当の恐怖の対象を突き付けられるほど嫌なものはそうそうあるまい」

「……はー」

 今一つ腑に落ちない顔のシヴァであったが、ガッツはそれ以上説明はせず、アルフの出て行った玄関の方に目を向けた。

「それにしてもどこへ行くつもりだろうな、あいつは。おそらく、しばらくその辺りをうろついて、気が落ち着けば帰って来るとは思うが」

「はぁ……。そういうもんやろか……」

 やっぱり何だか分からないと言うように一つ大きな溜め息をついて、シヴァは、開けっぱなしの玄関の扉の向こうに目をやった。

「出歩いて、またよそから連れて来ぃひんといいけどなぁ……」

「……ちょっと待て。お前、それはどういう意味だ……?」

 全く表情を変えぬまま、すーっと顔色だけ蒼ざめたガッツの隣では、リヴァイヴァが必死に耳を塞いでこみ上げる恐怖に耐えようとしていたのだが、アルフの行く先を見守るシヴァには、そちらに気を配る気色など見えなかった。





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