と、云いたい僕は一歩も動かない
<15年後 ランボ→獄寺>






 獄寺氏、と呼びかけると、銀の睫に縁取られた瞼がゆっくりと持ち上げられる。何度か瞬きを繰り返した後、透き通るエメラルドの瞳が、目の前にたたずむ男の姿を捕らえた。
 「……こんな時間になにしてんだ」
 アホ牛、獄寺はじろりとランボを睨みあげる。廊下の壁に寄りかかるようにして座り込む獄寺に、ランボは「ちょっと散歩を」と軽く微笑んでみせる。獄寺はそんなランボの様子を訝しげに見つめてため息をつくと、ゆっくりと――そう、危ういほどに、ゆっくりと――腰を上げた。
 「獄寺氏こそ、なにしてるんですか?」
 そのまま立ち去ろうとする獄寺の背中に、ランボは問いを投げかける。ぴくり、と獄寺の背中が跳ね、歩みが止まる。
 「こんな時間に――ねえ、獄寺氏?」
振り返った獄寺に、ランボはにこりと小首を傾げて見せた。しかしその瞳は獄寺を見据えたままで、獄寺は何度か唇を震わせた後、小さく「お前と同じ」と呟いた。
 「ただの、散歩だ」
 「へぇ」
 ランボは一度瞬きをした後、慎重に唇を歪めて見せた。獄寺はしばらくランボを鋭い視線で見つめていたが、微笑んだまま口を開こうとしないランボに「早く寝ろよ」と言って――まるで子どもに言う台詞だな、とランボは思った――背を向けた。気に食わないな、と思った。
 「っ、!」
 気がついたら、ランボはその細い腕を掴み寄せ、壁に押しつけていた。痩せた背中が壁にあたり、どん、と衝撃音が人通りのない廊下に響く。小さく呻く獄寺を、ランボは冷たい目で見下ろした。かっちりと止められたワイシャツの襟元から、赤黒い痣が覗いている。
 「これ、……なんですか?」
 両手首を片手で壁に押さえ、ネクタイを引く。しゅるりと軽い音を立てて解けるネクタイ、現れた痕に視線を投げかけながら問いかける。
 「っ放せよ!」
 「質問に答えてください」
 これはなんなんですか、ランボは再度問いかけた。獄寺は唇を噛みしめて俯く。ランボは獄寺の襟元のボタンをいくつか外すと、現れた圧迫痕――白い首にくっきりと残る、それは人の指の形をしていた――に唇を寄せた。
 「や、めろ……」
 「嫌なら振り払えばいいじゃないですか」
 獄寺の手首に力がこもる。しかしすでに獄寺の身長を越え、体格も逞しく成長したランボにとって獄寺の抵抗など大した問題ではなかった。
 「ほら、振り払ってくださいよ」
 「ふざけたこと抜かしてんじゃねえぞ、アホ牛」
 獄寺の言葉に、あは、とランボは悲しく笑った。
 「アホ牛、……ですか」
 その呼び名で俺を呼ぶのはあなただけですよ、ランボは笑いながら獄寺を見据える。
 「でもね、獄寺氏――」
 ぴくり、と獄寺の体が強ばる。ランボは獄寺の耳元に唇を寄せた。
 「もう俺はあのどうしようもない子どもだった”アホ牛”ではありませんよ」
 獄寺の耳元で、ランボは囁いた。
 「あなたを抱くこともできる……男、です」
 「ラ、ンボ……」
 「で、これは何なんですか?」
 獄寺は口を噤んだまま答えようとしない。ふ、と俯いた拍子に揺れた銀髪から彼に似つかわしくない香りが立ち上り、ランボの鼻腔を擽った。途端に脳裏に浮かんだ人物はたったひとりで、ランボは自身のうちに表現し難い感情が浮かんでくるのを感じた。それは、今までランボが生きてきた中で感じたことのないようなものだった。
 「――……ですね?」
 その名を囁くと、獄寺は弾かれたように顔を上げる。その瞳に浮かぶ感情に、ランボはやっぱり、と諦めにもにたため息を吐く。
 「あの人、なんですね」
 「……だったら、何だって言うんだ?」
 ランボの言葉に獄寺は、ふ、と笑みを浮かべて見せた。
 「そういうプレイ、かもしれねえだろ?」
 野暮なことは聞くんじゃねえよ、獄寺はそういって鼻で笑ってみせる。
 「嘘、ですよ」
 気づいたら、そう、言っていた。笑みを象ったまま固まる獄寺の唇を見つめ、ランボはもう一度「嘘、です」と呟いた。
 「俺、わかるんです。獄寺氏の、嘘」
 だってずっと――それこそ気の遠くなるくらい昔から――あなただけを見つめてきたんですから、心に浮かんだ言葉をランボは言おうとして、やめた。獄寺が、今にも泣き出しそうなことに気づいてしまったからだ。
 「だったら、わかれよ、」
 俺の嘘がわかるなら……、獄寺は吐き捨てるようにそういった。血を吐くように紡がれた言葉が僅かに震えているのを知り、ランボは息を呑む。瞬間僅かに緩んだランボの腕から獄寺はするりと抜け出すと、ランボに口を開く間すら与えず立ち去って行った。
 遠ざかる獄寺の背中を見送り、ランボは壁ずたいにずるずると床に座り込んだ。
 「は、……はは、……」
 自然浮かんだのは乾いた笑いだった。
 幼い頃、いつも彼の背中ばかりを追っていた。少しでも彼に近づきたかった。大人びた言動に身体を覆うアクセサリー、けれどいつまでたっても彼の背中は遠いままで、分別のある大人となった今はもう彼に近づく方法すら分からない。
 ランボは頭を抱えて立てた膝に顔を埋めた。離れる瞬間、その一瞬、頭を撫でていった獄寺の手は確かに幼い頃から惹かれていた獄寺の手で、その変わらない手が、酷く哀しくて酷く愛おしかった。
 「が、まん……か」
 獄寺の背中はもう見えない。呟いた言葉は真夜中の静寂に融ける。ランボは静かに目を閉じた。



 あの時、あなたがあの人を選んだ時、
 子どものように泣きわめいて
 子どものようにあなたが欲しいと駄々をこねていたならば、
 あなたを手に入れることができたのでしょうか?







『と、云いたい僕は一歩も動かない(酒と下戸 by東京事変)』


二十歳ランボさんが好きです、アラサー獄寺君が大好きです。
それが言いたかっただけです。


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