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ヴィクトルのご褒美



 ロシア、サンクトペテルブルク。ヴィクトルの故郷であるこの街に勇利が拠点を移してから、数週間が経った。
 国別対抗戦が終わり、サンクトぺテルブルクに来た最初の頃は、ウールのコートやダウンジャケットが必要だったが、ここ数日は寒さも緩んで、上着なしに出歩けるようになっていた。
 外を出歩きやすい気候になったことに加え、オフシーズンに入ってからはヴィクトルの選手とコーチの二足の草鞋に加え、マスコミの取材も落ち着いたことから、勇利はヴィクトルと一緒に出掛けることが、ここ最近は増えていた。
 とはいっても、休日は観光地巡りをすることはあるが(ヴィクトルは勇利にサンクトペテルブルクを紹介するためにあちこち連れて歩きたいらしかった)、オフシーズンといえども練習はあるため、近くに買い物に出かけるか、公園や川岸を散歩する程度だ。それでもサンクトぺテルブルクの景色は勇利にとっては新鮮で、目に映るもの全てが新鮮で楽しかった。楽しいのは、ヴィクトルが一緒だからという理由が大きいのかもしれないけれど。
 そして今日は、二人は練習帰りにスーパーマーケットに寄っていた。週に一度は買い物に出かけて、二人分の食材を纏めて買い込むのだ。
 スーパーマーケットに置いてある商品は、日本のものとは違うけれど、全体的なシステムはあまり変わらない。量り売りの商品を自分で量るのに最初は慣れなかったが、二、三回すればそれにも慣れた。
 買い物に慣れてくると、最初に来た頃よりも、棚に置いてある商品に目が届くようになる。

「ロシアのスーパーって、マヨネーズたくさん置いてあるよね。乳製品とか、グミも」

 スーパーマーケットの中を歩きながら、勇利は言った。

「ロシア人はマヨネーズ好きだからね。なんにでも入れるし。カロリー高いから、俺はそこまで使わないけど」
「カロリー高いって、ヴィクトルちゃんと気にしてたんだ」
「勇利あのねえ、俺だってアスリートだよ」
「だってヴィクトル、日本にいた時はかつ丼食べてたし、ラーメン食べてたし。夜にビールだって飲んでたよね」
 勇利は長谷津でのヴィクトルの姿を思い浮かべた。あの生活を自分がしたら、間違いなく太る。そんな食生活だった。
「そりゃ、カツ丼やラーメンはカロリー高そうだけど、基本的に日本の料理は低カロリーなものが多いだろ。だけどロシアは違う。基本的にカロリーが高い料理が多いから、俺だってロシアではそれなりに意識して体重をコントロールしているよ」
「確かにロシア料理って美味しいけど、確実にカロリー高いよね。何度か外で食事したとき、この食生活続けてたら確実に太るな、って思った」

 美味しかったんだけどね、と勇利は付け加えて言った。

「そうなんだよね。だから、勇利は日本にいる時以上に食生活に気を付けた方がいいよ。自炊してる分にはコントロールが効くと思うけど、やっぱりどうしても外食になる時はあると思うから。仔豚ちゃんの勇利も可愛いけどね」

 ヴィクトルが勇利に向かってぱちん、とウィンクした。格好いい。思わず見惚れてしまう。この一年と少し、一緒に過ごしたことでヴィクトルの格好よさにも慣れたはずなのに、こうして時々、どきどきさせられてしまう。

「……ヴィクトル、外で可愛いとか言わないでって言ったよね、僕」
「勇利が可愛いんだからしょうがないよ」
「だから言わないでって」
「分かった。じゃあ家でたくさん言うことにするよ」
「もう、やめてってば……」

 勇利が顔を赤らめてヴィクトルを見上げると、ヴィクトルは嬉しそうに笑っている。

 ――ああもう恥ずかしい。話を切替えなきゃ。

「そ、そういえば、チョコレートも種類が多いよね」

 勇利は少し先の棚にあるチョコレートを目にして言った。
 視線の先には、様々なパッケージのチョコレートが、所狭しと並んでいる。

「チョコレート好きな人も多いからね。ロシアのやつだけじゃなくて、輸入品も多いかな」

 ナッツが入ったもの、オレンジが入ったもの、変わったものでは、板チョコの中に別のチョコが入ったもの。色々なチョコレートが並んでいる。ウエハースにチョコレートを挟んだものいくつかあった。棚の中に並んでいるチョコレートの中から、勇利は一つを手に取った。

「これ、この間練習の後に貰ってひとつ食べたんだけど、美味しかったなあ」
「そのチョコレート、俺も好きだよ。甘いだけじゃなくて、ほろ苦い感じがして」

 ヴィクトルはそう言うと、棚からチョコレートを手に取って、買い物カゴの中に入れた。


     ◇


「ねえ勇利。ご褒美あげる」

 夕食が済んだ後、ソファに座って雑誌を眺めていた勇利に向かって、ヴィクトルが声をかけた。

「ご褒美……?」

 突然何を言っているのだろうか。ヴィクトルの行動が突然なことには慣れたけれど、それでも意味が分からなくて、勇利は怪訝な顔を浮かべた。

「うん、ご褒美だよ。今日も練習を頑張った勇利への」
「練習を頑張った……? いつもと変わらなかったと思うけど」

 やはり意味がわからない。勇利が困惑しているのを気にする様子もなく、ヴィクトルは勇利の隣に腰を下ろした。手に持っているのは、練習帰りにスーパーマーケットで買ったチョコレートだ。

「チョコレート、食べるの?」

 買った時に、ヴィクトルが好きだと言っていたことを思い出した。

「うん。勇利がね」

「僕が?! だめだよ、チョコレートってカロリー高いし」
「たくさんはあげないよ。一日に一粒だけだから。慣れない環境で練習を頑張ってるんだから、ちょっとくらいご褒美があった方が頑張れるだろ」
「一粒なら、まあ……」

 今は去年の春みたいに体重は増えていない。シーズン中のベスト体重を維持したままだ。だったら確かに、一つくらい食べだって問題ないだろう。

「勇利、口をあけて」

 ヴィクトルはチョコレートのパッケージを開いて、勇利に言った。

「自分で食べられるよ」
「いいから、ほら」

 ヴィクトルは、どうやら僕に自分でチョコレートを食べさせるつもりはないらしい。勇利はあーん、と口をあけて、チョコレートを口に入れた。チョコレートを口に入れた拍子に、ヴィクトルの指先が唇に触れる。

「美味しい」

 味わうようにして、ゆっくりとチョコレートを舐めて溶かしてから、勇利はヴィクトルを見上げた。
 視線の先では、ヴィクトルが楽しげな表情を浮かべていた。


     ◇


 チョコレートを、一日一粒。ヴィクトルが取り出したそれを、僕がゆっくりと食べる。その習慣は、今もまだ続いている。一箱分食べ終われば終わるのかと勇利は思っていたが、チョコレート一箱が終わると、ヴィクトルはいつの間にかまたチョコレートを買ってきていた。

「勇利、ご褒美だよ」

 ヴィクトルにそう言われて、勇利はぱっと口を開いた。ヴィクトルにチョコレートを食べさせてもらうのは練習を頑張ったご褒美だから、オフの日にチョコレートを食べることはない。それにすっかり慣れてしまって、オフの日は少し寂しく思うくらいだ。
 ぱっと口を開けて、チョコレートを口に含む。
 そしてふと思いついて、チョコレートと一緒にヴィクトルの指先を口に含んだ。ぺろ、と舌の先でヴィクトルの指先を舐めて、そして口を離した。
 チョコレートをゆっくりと舐めて溶かしたあと、そっと視線を上げて、ヴィクトルの表情を伺う。

「チョコレート、僕へのご褒美だけど、ヴィクトルのご褒美でもあるよね」

 ヴィクトルは蕩けるような、幸せそうな表情を浮かべている。そしてその表情を見て、確信する。

「なんだ勇利。やっと気づいたの?」
「うん。やっと気づいたよ。僕にチョコレート食べさせるの、楽しかった?」
「ああ、すごく楽しかったよ」
「食べさせるのが楽しいって、ヴィクトルって変わってるよね……」

 少し呆れて言うと、ヴィクトルが勇利の顎に手をふれた。

「ねえ、俺にもチョコレートちょうだい」

 あ、と思った時には、唇が重なって、舌が絡まっていた。ゆっくりと味わうようにして、ヴィクトルの舌が勇利の舌に絡みつく。

「チョコレート、美味しかった?」

 勇利はまっすぐに、ヴィクトルをみつめた。

「美味しかったよ。ご馳走さまでした」





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