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まっすぐまっすぐレールの先へ



 膝を抱える同僚を前に、ふとまだ高速鉄道が自分と彼しかいなかった時はどうしていただろうと山陽は記憶の海へ思考を飛び込ませてみた。しかし、答えは様々な記憶に埋もれ、すぐに探し出すことは無理だった。じっくり探らなければならないようだが、今はそのような余裕はない。
 東海地方を早朝から襲っている雨雲は予報よりも多量の雨を降らせているようで雨量計はすでに規制値を超え、東海道新幹線区間は始発から数本を除いてほぼ運休、巻き込まれる形で山陽新幹線も一部運休という事態に発展した。自分のところは東海道からの直通以外運行しているという状態だ。豪雨が集中しやすい時期に何度も起こる事態でどのような対応をすればよいかは解っているが、その煽りを受けるように関西地区でも雨が降っていれば溜め息を吐きたくなるのも仕方ないだろう。
 運休している東海道は新大阪駅にある新幹線専用執務室のソファで膝を抱えうずくまっている。最初はからかう山陽に対して、うるさい黙れ、と吼えていたが、次第に返す言葉に覇気もなくなり膝を抱えて表情が見えなくなり、結果いつものように落ち込んだ状態になった。この現状に山陽が吐いた溜め息の回数も数知れず。
 ここが東京駅だったら東海道を上手くなぐさめる山形がいて、この重苦しい空気を早々に霧散させてくれたかもしれない。山形が東海道をあやすところを何度も見ていた山陽もその手の優しさを知っている。今ではあの男以外東海道を復活させる者はいないではないかと思うくらいだ。度々目撃したその姿を思い出して、ただ隣でいるだけで何もできていなかった己に不甲斐ないと悔しさと、隣がぽっかり空いた寂しさに似た感情を抱いた、という事実だけが記憶の海から浮かび上がってきた。
 心臓に近い位置にちくりと小さな痛みが急に生じる。
 どこか調子がおかしい部分があっただろうかと首を傾げた。検診は定期的に行っていて、異常は見つかっていない。はて、と原因不明の痛みに疑問が浮かぶが、今の最優先事項は東海道だ。己のささいな痛みなどどうってことない。己のことよりも何か行動を起こさなければ、とひとまず東海道の横に座った。山陽の重みを受けて沈んだソファに合わせ東海道の身体も山陽に傾き、重力に従ったその身体は当然山陽の肩と腕にもたれかかる形となった。
「とーかいどー」
 わざと少し砕けた言い方をして、大丈夫かと俯く表情をうかがおうかと思ったが膝に埋もれたままの顔は見えなかった。再度名を呼んでもはやり返事がない。だめだこりゃ、とお手上げもしたくなる。しかし、何も言わずにはいれなかった。
「雨が止んだら走れるんだからさ」
「……」
 解っている。言葉によるなぐさめなど効かないことを。だが、変化しない状況に手をこまねいている訳にはいかない。
「回復した時にすぐ走れるようにっていつも言ってんのはお前だろ? お前がいないとオレも平常通りに走れないんだよ」
「……当たり前だ」
 この状況に陥って、初めて東海道から言葉が返ってきた。
「……わたしも……お前がいなければ博多までお客様を運ぶことはできない」
「だったら、な?」
 それきり同僚はまた口を閉ざした。しかし、少しでも喋ったことを前向きの捉えるべきなのか。
 そっと肩に触れる頭を撫でてみた。これが直接的な解決方法になるとは思っていない。肩に触れるぬくもりがくすぐったくて撫でてみた、という単純な考えによるものだ。襟足にくせがつきやすいという割には柔らかい髪。一度も染めたことのなさそうなそれはさらりと山陽の指の隙間をすり抜けた。
「……この……」
 小さく何かが聞こえた。それは紛れもなく東海道の声であり、山陽が聞き間違えるはずなどないもの。そろそろ復活するかもしれないと予想できて、髪を梳く手を止めずに先を促した。
「……もう少し、このまま……」
 その先に続く言葉はなかったが、山陽はほぼ確信した。その唇が次に言葉を紡ぐ時には復活していると。
 ああそうだ、と山陽は天井を仰いだ。記憶の奥底からまた一つ浮かび上がってくる。それに呼応するように様々な記憶が浮上する。
 高速鉄道がまだ二人の頃、速さを求められながらも騒音・環境問題も言及され、その矛盾さに立ち止まりそうな時があった。そんな中、年に何度も通過する台風や予想外の積雪により運休になると東海道は落ち込み膝を抱えていた。そこは今と変わらない。違うのは山形という存在がいなかったということ。だから、落ち込む同僚にどうすることもできず、ただ隣にいて彼の復活と天候の回復を願うばかりだった。
 東海道がたった一人で日本の高速鉄道として走っていた数年間はどのようにしていたか知らない。その頃はまだ国鉄篠山線という赤字路線だった自分は、彼を遠くからしか見たことがなかったからだ。未来、高度経済成長を象徴する高速鉄道、東海道新幹線。まっすぐ未来へ向かって走っている姿が印象的だったことを覚えている。唯一のかみさまのように見えた。
 そのかみさまがまさか照れ屋で意地っ張りで泣き虫なやつだと知った時の衝撃はいまだに鮮明に記憶している。
 しかし、その東海道の姿を外の者が一切知らなかったのは、本人がその一面を表に一切出さず内に隠していたからだと知ったのは、彼を後ろから見る位置についてしばらくのことだった。今でもそれを知っているのは自分たち高速鉄道、彼の弟くらいだろう。そうして自分の弱さを隠し東海道は世界で初めて200km/h以上での高速運転を可能とした上で他に類を見ない安全性の高さを『新幹線』の名と共に世界へ知らしめた。それは東海道の新幹線としての誇りでもあるだろう。これらはひとえに東海道が一から一つ一つ確実に作り上げたと言ってもいい。自分が山陽新幹線の名を冠すことになったときにはもう日本中が、世界中が『新幹線』とそれの技術力の高さを知っていた。
 業務に対する真摯さ、ベストトレインとしてのプライド、決して外に見せない照れ屋で意地っ張りで泣き虫、時々暴君なところ全部ひっくるめて東海道新幹線である彼を形作るもの。東海道が東海道でなければ日本の高速鉄道は高水準を維持できたか定かではない。
 そんな東海道を、自分を含め高速鉄道の誰もが好きなのだ。他人から向けられる感情を感じ取ることが鈍い本人は気付いていないが。
 視界の端でもぞりと動き、少しばかり覗いた顔に確信が強まった。まっすぐ未来を見据える意志の強い目がレールの先を見るのはそろそろだ、と。
「すぐに走ろうな、東海道」
 王様が復活するまでもう少し。

「山陽、行くぞ」
「おうよ」
 襟を正し、己の手に寸分違うことなくぴったり合う絹で誂えられた白い手袋をして。前を見据えて。自分はその背中を見守る。それが自分に与えられた使命だと山陽は思っている。
「すぐに遅れを取り戻す」
「どんくらいで?」
「愚問だな」
 振り返った表情にはもう自信の笑みしかない。颯爽と走るいつもの東海道だ。
 ホームにはまもなくのぞみ東京行きが来るとアナウンスが入る。再開して初めての東海道区間直通ののぞみだ。しばらくすれば下りホームに山陽区間直通ののぞみ博多行きも来るだろう。
 ほどなくして鉄の轍の上を車輪が滑る音が鳴り響き、N700系はホームに入線する。その白い車体は雨雲の去った空からの陽の光を浴びて輝いている。
 西日本の乗務員が降りた乗務員室に東海の乗務員と共に乗り込む東海道の肩に軽く触れる。
「じゃあ、またここでな」
「ああ。遅れるなよ」
「お前もな。どうせすぐ元通りだろ」
「当たり前だ。わたしを誰だと思っている」
 不敵に微笑んだ東海道の手袋に包まれた手が山陽の肩を叩き、乗務員室の中へ消えた。そのドアがばたんと閉まり、ほどなくして発車のアナウンスと発車のベルが鳴る。客室のドアも閉まると、なめらかに走り出した。乗務員室では車掌長とこれからの運行について話し合っているだろう東海道の姿が思い浮かんで口元がかすかに緩むのを自覚した。
 ホームを離れすぐに加速をするN700系は気付けば小さく見える。その姿はまっすぐに前だけを見据え走り続ける彼のようだった。唯一相棒と決めた彼のようだ、と。
 白い車体が見えなくなるまで東海道を乗せたN700系を見送り、山陽はあと数分で来るだろうのぞみ博多行きが止まるホームへ向かった。

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