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狐の村




「はぐれちゃった」
「あらまぁ」

 はぐれていたのは、狐の娘だった。
 とある暑い日のこと。まだ暦の上では春だと言うのに、夏のような暑さがこの村を包みこんでいた。うるさく鳴く蝉はいないけれど、黄色の大輪は咲いてはいないけれど。一足先に夏が来てしまったようだった。
 暑さをしのぐために、広西(こうせい)は川に来ていた。少しの音をたてて山の中を流れる川のほとりは涼むには打ってつけだった。それは、獣も変わらないようで。
 小さな狐の娘、亜津沙(あづさ)は、緑の葉を一枚持って、川の中にいた。

「どこの群れだい」
「川神の狐の所。ずっと上にあるの」
「送ろうか?」
「一人で帰れるよ」
「なら大丈夫だね。川神様はどうだい」
「川神の狐は綺麗だよ。川は汚くなってるけど」
「そうだねい」

 ぱしゃぱしゃと、亜津沙は川の中を歩いていた。川辺を着いて行くように歩く広西。
 川神の狐は人間を見るものだ。川を護るのは神様だそうで。その神様に仕えるのは天の使いだそうな。狐は川と人間を見ると言う。川神の狐とは、川と人間を見るものということ。
 狐は人間が愚かな行動をする前に天の声をつげる。しかし、今は助言を受け入れてくれる人間は少ない。神という存在が希薄になりつつあるこの世界で、広西のような村は珍しい。
 信心深く、狐の存在も信じる人間ばかり。だからこの村の人々には神様が見える。天の使いが見える。狐と出くわすことも多い。
 それはごく当たり前なことで、何ら特別なことでもなかった。
 信じれば、見える。ただそれだけのことなのだ。

「川神様は綺麗でも川が汚いんじゃ意味がないね」
「そうでもないよ。川神の狐が汚いと、天の声も汚くなっちゃうんだよ」
「そうなのかい」
「そうなの」

 へー、と広西は相槌をうった。
 天の声は清らかな心からうまれるようだ。だからこそ、天に通じる。悪しき心があればそれは地界へと繋がり、人間にとっても、全てにとっても、マイナスにしか働かないのだろう。
 川を汚すのは人間で、浄化するのも人間である。しかし、浄化の仕方が分かっていない人間を助ける為に狐がいるのだろう。
 天の声を聞いて、人間に届ける。そうすることで、少しでも人間が良い道に行くように導く。
 狐は人間を見るというより、人間を助けると考えた方が良いかもしれない。

「あのね、もうすぐ大変なことになるよ。でも助けてあげてね」
「私らの村は見捨てないよ。出ていってしまうのかい?」
「分かんない。でも多分、貴方達と同じだと思うな」
「ありがとうねい」

 いいよ、と亜津沙は言った。
 ぱしゃぱしゃと幼い足音がやんだかと思えば、亜津沙は嫌に真っすぐな口調で言うのだ。
 大変なこと、と言うのはきっと日の国全体が困惑するようなことなのだろう。大きな被害を受けて、立ち上がらざるを得なくなるような出来事。
 神様が見えるこの村の住人は、神の恩恵を受けている。人間の中で恐らく、最も神様と繋がっていると言えるだろう。
 だから、この村の住人の祈りは神様に届きやすい。
 日の国が危機に陥った時には、この国の為に、他の人間の為に、祈ってほしいと亜津沙は言うのだ。
 もう一つ。亜津沙の言うことから考えれば、狐が、人間を見放す可能性もあるかもしれない。

「人間は好きだよ。でも、今の人間は好きじゃないの」
「どうして」


「神様ってね、いないんだよ?」


 え、と広西は言葉を落とした。その一言が終わる前に、亜津は姿を消していた。緑の葉を一枚残して。

「そういうこと」

 と、広西は微笑む。
 昔の人間は妄信的に神様を信じていた。今のように、この村の人間だけではない。全ての人間が、信じていたのだ。
 信じていたからこそ存在していただけ。ということは、今、この世界に神様が存在するのはこの村だけ。
 狐は確かに天の声を届けるかもしれない。けれど、神様は、いない。
 神様が存在するのはこの村だけ。
 愚かなのは、この村の住人。

 それだけだ。


終わる

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