まほうのて(1842)〈@asakixx〉「一松、気分悪いのか?」 「うわっ!?」 人気のいない場所を選んだ筈だった。ここなら誰も来ないと見越して堂々と寝転がっていたというのに。 テノールより若干高い甘い声と共に、ぬっと現れた人物に思わず跳ね起きる。思ったよりも顕著な態度を取ってしまい、目前の男――次男の松野カラ松――は申し訳なさそうに、下がり眉な顔をしてきたので、一松は顔を背けた。その顔は理由が分からないが苦手だ。もやもやとした得体の知れない何かが這い上がってきて、自分にも説明のつかない衝動を起こしてしまいそうだったからだ。 のたうち回るその何かは一松自身にも分からないものだ。その衝動を何とか抑えようと、服越しから胸を抑えれば、それを見たカラ松が怪訝そうあ表情へと姿を変えた。 「やっぱり気分悪いのか? 顔色も悪いみたいだ。一緒に保健室に行こう?」 「違うって。そういうんじゃないから放っておいてくんない?」 カラ松の気遣いを有難いと思うけれど、今は気持ちに余裕がなかった。優しいその気遣いよりも有難迷惑だと嫌気が差して背を向けた。 ”拒否”というオーラをなるだけ発しているつもりなのだが、カラ松は一向にその場から立ち去ろうとはしない。いまだ居座り続けるその空気は居心地が悪い。普段ならさして気にもしなかった。だが、今回ばかりはタイミングが悪い。身勝手ながら苛立ちを隠せず、早くどっか行けよ、と言葉を発しようとした時だった。 ふわり、と温かな何かが一松の目元を覆った。柔らかなその感触に目を覆われて、思わず瞠目する。 その目元を覆った何かがカラ松の掌だという事に気付くのは大分時間を有して、発した声は動揺からか擦れていた。 「……なに、してんの」 「あ、ご、ごめん。こうすると落ち着くって聞いたことがあったから……」 一松、本当に辛そうだからとそっと転がしたその声は、小さかったがじんわりと溶けるように、一松の目元へと落ちる。 気遣いの塊の言の葉と共に、ぶわっと身体中の毛が逆立った。 ばくばくと煩い鼓動と、カット燃えるような顔が熱い。沸騰してしまったようだ。は、とその熱さを逃がすような息を、カラ松は拒否と捉えたようだった。 「や、やっぱり嫌だよね……変なことしちゃってごめん」 落胆の声と共に離れゆく柔らかく温かな熱。隙間から柔らかく眩しい陽射しが一松を強襲したが、その陽射しよりも、何よりも欲しいものがあった。 「一松?」 柔らかな、その掌を離さないようにと、カラ松の腕を掴んだ。突然の行動にぱちくり、と何度も瞬きをするカラ松に、こくんと一松の喉仏が動く。 「……嫌じゃない。だからさ……」 続く一松の言葉に、カラ松は穏やかに満ちた表情を浮かべた。その表情は、一松のくさくさした心を緩やかに解いでいった。 周りを何度も見渡しながら、一松は歩いていた。 クラスメイトが一松に話しかけてくるのを愛想笑いで何とか回避し、目線を四方八方に巡らせる。どのぐらい歩いただろうか。ふ、と視線の先に見えた人物に、あっと小さく声を発して勢いよく歩き、距離を詰めていく。 目的の人物はベンチに座って黙々と目線を動かしていた。近くにきてもそれは変わらず、その集中力に舌を巻く。だがそれと同時に一松に気付かないのも気に障った。狭量すぎる自分に自嘲したが、それも一瞬だけ。どかり、とベンチに座る。音を立てて座ったのは故意的だ。その音と気配に気付き、一松が会いたくて焦がれていた男、次男のカラ松が一松に漸く目を向けた。 「一松。どうしたの?」 柔和な表情を浮かべ、何も言わない一松に、ん?と首を傾げてくるカラ松に、一松は平静を装って、カラ松の方に身体が傾げ膝に自分の頭を置いた。自らこの行為に及ぶのは羞恥にまみれたが、背に腹は代えられぬのだ。カラ松は一松の行動に驚き、びくんと身体を揺らす。 耳まで真っ赤にして「いつもの、してよ」と甘えを帯びた声で紡げば、驚いた顔はみるみる内に慈愛に満ちた顔へと変わった。 「うん、わかった」 一松を安心させるような声が降ってきて、柔らかく、熱いてのひらが目元を覆ってきた。熱望していたその手。一松は知らず安堵の息を吐き出した。 いつの間にか恒例と化してしまったこの行為。パブロフの犬よろしく、不安な事が起こるとこうしてカラ松に甘えるようになってしまった。 もうやめよう、と何度も思うのにカラ松のその優しさは一松の心を掴んで離さない。 カラ松の纏う空気、匂い、こえ、全てが一松を歓迎しているから。優しく迎え入れてくれるカラ松に、一松は泣き出したい気持ちになる。 その優しさは、凶暴な優しさで一松を包み込んで、そして開く事のなかった感情を開かせてしまうのだから。零れそうになる二文字をなんとか飲み込んで、からまつ、と舌足らずな声で名を呼ぶ。なぁに?と返ってくる声に、ありがと感謝の言葉を紡いで溢れ出そうになる思いを必死に封じ込めた。 終わり |
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