花の都の春卯月は、誰も彼もが浮き足立つ。香る花びら、ささやき声、あふれる音楽、舞う足取り。水上列車で訪れる人々は、海上に咲く絢爛の都に、皆感嘆のため息をつくらしい。薄桃色に染まった『花の都』は、今この季節がもっとも美しい。
 白鳩屋の判が押された紙袋を抱え、向かう先は水上列車の終着駅だ。街の住人と外の人々、誰も彼もが混ざった人の渦。道行く婦人の肩掛けは薄く柔らかで、さえずる女学生の髪飾りには花。厚い外套を脱ぎ捨てた警備隊の笛が鳴る。軽やかで色鮮やかな、花の季節は花も人もみなそれぞれ盛りだ。
 陽気な音楽隊の群を避け、お祭り騒ぎの合間を縫う。着古した黒い詰襟は、まるで花の木の影のようだ。足音密かに人を避け、屋根を飛び、時々猫に挨拶しながら、見下ろした先では水上列車の昼の便が到着していた。
 青い水の向こうにかすかにけぶる、帝都から延々と続く線路は、今日は調子が良かったらしい。懐から取り出した時計は予定通りの時刻を指していた。

「……いた」

 駅から溢れ出る人々の中、髪も肌も服も何もかもばらばらな人の中、僕の目に何よりも映るのは、同じ黒い詰め襟を着たその人だった。
 屋根から一跳び、行き交う群れに流されるように足を運びながら、一年ぶりのその人に、どんな言葉をかけようかと思えば思うほど、心が躍るようだった。きみが帝都に戻ってからしばらくは寂しかっただとか、夏葉月にちょっと大変なことがあっただとか、秋霜月は早々に雪が降っただとか、冬睦月に書いた手紙には続きがあるだとか、言葉になる前の様々な記憶が蘇ってくる。一つ一つ丁寧に語っていては、きっと七日後の帝都に帰る日までには語り尽くせない。あちらもきっと同じだ。まったく別の場所にいるからこそ、伝えたいことがある。
 鞄を抱えた詰め襟は、まだ僕には気付いていない。目が眩むような騒ぎと彩りの中、花の木の影のような黒い背に手を伸ばす。音楽隊の笛が鳴る。旅芸人の一座が高らかに名乗りを上げる。割れる歓声、舞う花びらと紙吹雪、水しぶき。振り返った僕の片割れは、一年前と変わらぬ顔に驚きを浮かべた。
 笑う。かける言葉はさんざん考えても浮かばなかったのに、いざという時はするりと口からこぼれてくるのだ。

「やあ久しぶり。ようこそ、花の都へ!」

 抱えていたお菓子の包みを差し出せば、まん丸くした目がにっこり笑い、久しぶり、と言葉を返した。






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