拍手ありがとうございました!
お礼になるかはわかりませんが、小話を置いていきます。


  かたりとテーブルが揺れる。既に杯を重ねすぎたために手元が覚束ないせいもあるのだろう、グラスを戻した拍子にテーブルの端に手をぶつけてしまった。案外勢いよく殴打したせいで、ジンジンとした痛みが手のひらを侵食する。隣で僕と同じように陽気にお酒を楽しんでいた賢木が、打撲した場所に視線を落とした。
「大丈夫か?」
「ん、ああ。打っただけだから。ちょっと酔ってるかもしれない」
「ちょっとどころじゃねーぞ。おまえ顔真っ赤」
 からかうように笑った賢木に頬をつつかれる。グラスの結露によって冷やされたその指先を気持ちいいと感じるということは、やはり頬が熱を持っているのだろう。自宅での飲みだという気安さからいつもよりも勢いよく飲んでしまったかもしれない。更に、明日も仕事が休みで、実家に帰ったチルドレンたちが明後日まで戻ってこない、完全なる休日ともなれば、羽だって伸ばしたくなる。
「おまえも、明日は休みだっけ」
「もちろん。今日は一晩中飲むぞ。ただでさえ、最近子守で付き合い悪い皆本クンがようやく俺の相手をしてくれるっていうのに」
 鼻歌交じりに空になっていた僕のグラスに新たな琥珀色のそれを注ぎ込む姿はとても楽しそうで、見ているこっちまで笑えてきてしまう。僕と一緒にいられるのがそんなに楽しいのかなんて、口には出さないけれどもまあ邪推するくらいは許されるはずだ。
 押し付けられたグラスを受け取って、もう何度目かもわからない乾杯を繰り返す。題目があったのは最初だけで二回目以降は勢いみたいなものだ。グラスのぶつかる涼やかな音に、視線を交わして笑い合う。お酒に弱いわけではないのだけれども、どうにもこうにも賢木と飲むときには羽目を外しすぎるきらいがある。自覚しているからこそ、毎回注意しなければならないと思うのだが、その決意はいつも打ち砕かれるばかりだった。今回もそうだ。しかしよくよく考えてみると、初めてお酒を飲んだのも賢木とだった気がする。コメリカにいた頃に、僕は未成年だからやめろというのに、手八丁口八丁なんだかんだと言い負かされて、気づけばお酒なんて飲んで更に悪酔いまで体験させられて忘れられない思い出となってしまった。
「なんだか、お酒を飲むときはいつも賢木と一緒にいる気がする」
 僕が作ったつまみに手を伸ばしていた賢木が黒茶色の瞳を瞬かせた。箸を置いた手が口元を覆い何かを考えるように視線が宙をさ迷う。どうかしたのかと問いかけると、じっと見据えられてなんだか居座りが悪い。誤魔化すようにグラスに口を付けて甘めの果実酒を嚥下すると、ぐいっと肩を抱かれて乱暴に引き寄せられた。飲み込みきれなかったアルコールが変なところに入りかけて激しく咳き込む。
「げほっ、さ、賢木、急になにするんだ!」
 喉の奥焼ける。苦しくて涙目になりながら肩で息をしていると、僕をこんなにも苦しめている元凶がその罪を知らぬ鷹揚さで覗き込んできた。
「死にそうだけど、生きてる?」
「生きてなかったら大問題だ。おまえの夢枕に立ってやるからな」
「なに、死んでも俺のところに遊びに来てくれるの」
「その無駄なプラス思考をどうにかしろ!」
 咳の名残を引きずって、枯れた声で叫ぶと、はいはいといなすように笑われて、自分が子供っぽいことをしたみたいで恥ずかしくなってくる。まだ僕の肩を抱いたままの賢木を押しのけようとしても、もがくほどに力を篭められて体の自由が利かなかった。それよりも、自分が思っているよりも酔っているのだろう、うまく体に力が入らない。宥めすかすように僕の肩を優しく叩いた賢木は、大丈夫かとまだ涙の残る目元を拭っていく。さっきまでは冷たく感じられた指先は、僕と同じように酷く熱い。
「大丈夫かどうかあやしいところだから、手を離せ。暑苦しい」
「えー、そんな冷たいこといわないでよ皆本。最近本当におまえ俺と一緒にいてくれないんだもん」
 隣り合って座っていたのが、いつの間にか賢木に抱き込まれるような形になっていて、どうしてこんなことになったのかと違和感をいだかずにはいられない。しかし、賢木はこの状況に微塵も疑問を持っていないのだろう、僕の提案を棄却するとむしろ不満そうに口を尖らせて僕を拘束する手に力を篭めた。こいつ完全に酔っている。
「そういえば、おまえに初めて酒飲ませたの俺だっけって思ったらなんかたまらなくなってきた」
「何が」
 どこにたまらなくなるようなポイントがあるのか理解しかねるのだが、賢木的には思うところがあるのだろうむにむにと僕の頬をつつきながらご満悦だ。
「いやー、俺が初めてかっておもうと、こう、くるじゃん?」
「いや、全く。主に僕にはつらい思い出しか残ってない」
 飲みたくなと断固拒否したのに、無理矢理あの頃の僕にとっては美味しくもなかったアルコールを飲めと強要されるし、飲んだら飲んだでまだ足りないと更なる苦行を強いられるし、何とか堪えて次の日になれば頭は痛いし、吐きそうだし、こうなる原因である賢木には皆本クンはまだまだ子供だなあとばかにされるし、この一連の出来事からいい思い出を掬い上げることのできる人間がいたらそれは精神的被虐思考の持ち主としかいえない。そして誠に残念かつ幸運なことに僕はそこまで特殊な嗜好は持ち合わせていない。
 半眼になりながら、賢木を責めるように脇腹辺りにぐいぐいと肘を食い込ませると、肩ではなく腰の辺りに手を回されて逆に距離が縮まってしまった。広くもないソファで男二人がもがいているせいか限界を訴えるようにスプリングが悲鳴をあげて、強引に体勢を変えさせられたせいで、膝がテーブルの端にぶつかり、グラスの中のアルコールが波紋を描く。ぐらぐらと不安定なそれに零れてしまったら大変だという日常の断片が紐付けされて、一体僕たちは何をしているんだろうかと今更みたいな疑問が脳裏に浮かんだ。
「賢木、そろそろ」
 離してくれと、そういう前に重々しくも焦れるようなため息が耳朶に触れた。ぞわりとした感覚に瞼を閉じると、賢木の指先が遠慮がちに僕の髪を梳いていく。土足で踏み込んでくるような戯れのコミュニケーションとは性質の異なるもどかしくなるような指先の感覚に、いつもの賢木とは違うものを感じてすぐ傍にいる親友を見やる。よく知る彼がそこにいるという確証が欲しかったのかもしれない。だが、それを裏切るように、視線が交差したのちに眩しげに目を細めた賢木が小さく笑った。
「分かってないなあ。お前の中に、少しでも俺と分かち合ったものがが残ってると思うと、嬉しいだろ」
 無邪気に目を瞬かせ、流れるような所作で僕の頬を包み込んだ賢木は、おまえは俺の大切な友達なのに、いつも俺を置いていくから寂しいだろうと、少しだけ拗ねたように頬を膨らませた。
「おまえ、酔ってるだろ」
「酔ってねぇよ。人が真剣な話をしてるときに、失礼なやつだな」
「失礼なのは賢木のほうだ」
 心外であるとばかりに眉根を寄せた賢木の頬を思いっきり抓りあげてやった。痛いだとか酷いだとかいっているけどそんなのは知ったことではない。勝手なことをばかり言うから天罰だ。
「いいか、僕だって賢木のことを、その、あれだ、大切な友達だと思ってるわけだ。なのに、そんな言い方ないだろ。きみとの思い出なんて、抱えきれないくらいたくさんあるよ」
 頬を掴んでいた指を離して、少しだけ赤くなった場所を撫でる。少しやりすぎたかもしれないという気持ちがないわけでもない。それでも、何故わからないのかとじれったく思う気持ちのほうが強かった。だから、すぐ傍にある賢木の肩に体を預けて、距離をゼロにする。賢木が悪戯に超能力を使うような男ではないと分かっていた。それでも、いっそその能力を使って、その不安を拭い去ってしまえばいいのにと思うときがある。僕は、こいつに恥じるような気持ちなんて一欠けらさえ抱いていないのだから。
「いつだって僕の傍にいてくれるのはきみじゃないか。賢木との思い出ばっかりだっていうのに」
 吐き出してしまってから、ああ酔っているなと自分に苦笑する。面映いなんて感情があとからになって追いついてきた。頬が熱いのは、アルコールのせいだけじゃない。だが、これで僕も賢木も同罪だ。明日起きたら二人して苦しもうじゃないか。さあ、もう、この雰囲気はここでお終いだと言葉にする代わりに体を起こそうとすると、黙り込んでいた賢木がぎゅっと僕の肩を掴んだ。
「賢木、離せって。痛い」
「いやだ」
 捨て鉢のように言い切った賢木の声音は掠れていて、僅かな違和をもって僕たちの間に落ちた。だが、それをすぐに上塗りするみたいに賢木が言葉を重ねる。
「なんか、いま思い至ったんだけど」
 わざとらしく言葉を切った賢木が、土色の瞳を瞬かせて至近距離から覗き込んでくる。酔いのせいか熱を孕んだそれはまとわりつくようで、賢木の知らぬ一面を覗きこんだような気まずさと訳のわからぬ焦燥が這い上がってくる。じんじんとした疼きに手先が痺れ、ふるりと体がふるえた。その様に、三日月のように口元をゆがめた賢木が、笑みを深くする。
「俺、おまえとならキスできるかも。いまの皆本、すごく、かわいい」
 顔真っ赤だと、低くよく響く声が耳元に落ちる。僕たちには似つかわしくないと分かっているのに、やけに艶めいたそれに総毛だつ。かわいいやつだといわれたことが無い訳じゃなかった。だが、悪ふざけの中で向けられる言葉とは違う。閉じ込めるように腕に力を入れた賢木は、かわいいともう一度だけ熟んだ熱っぽい口調で僕を追詰めていく。その言葉尻は僕の動揺を見抜いたように揺れていた。
「また、赤くなった。恥ずかしいの?」
「恥ずかしくない! 落ち着けおまえは女専門だろ! いいか、いまお前の目の前にいるのは」
「皆本光一だろ? 知ってるよ」
「分かってるなら」
「分かってるから、なおさらだろ。おれ、おまえのこと、すげぇ、すきかも」
 軽い語調。なのに、僕を見つめる賢木の目は怖いくらいに真剣で、逃げることを許してはくれな。これ以上その黒茶色を見ていられなくて、逃れるようによく知る賢木の部屋の中に視線をさ迷わせる。見慣れた室内は、だが、僕を裏切るようにしんと静まり返ったまま救いの手ひとつ伸ばしてくれやくれなかった。逃げ道を探しているはずが、どんどんと追詰められていく。軽く肩を押されてソファの上に押し倒され、賢木がのしかかってくる。頤を掴まれて、明確な反論の言葉は音になることなく霧散した。駄々っ子のように嫌だと、逃れ暴れるたびに衣擦れの音とスプリングが軋む音が交差する。だが、皆本と乞うように名前を呼ばれてしまえば、それ以上の抵抗を重ねることは出来なくなる。僕を見る賢木の瞳は余裕綽々の態度を裏切るようにどこか頼りなく揺れていて、僕はそんな賢木のことを突き放すことなんて出来るわけがなかった。だから、大丈夫だからと伝えるように賢木の頬に触れると、その手のひらをぎゅっと握り締められて、賢木のかさついた唇が僕の手の甲に押し付けられる。
「ずるい」
 責めるような言葉。手首の薄い皮膚に噛みつかれる。ちくりと刺すようなその痛みを誤魔化して眉根を寄せる。ああ痛いってこんな感じだったなと、現実逃避としても及第点にも満たないことを思い浮かべた。僕の手を解放して躊躇いもなく唇を撫でた指先。見下ろす賢木は女の子達をナンパしているときよりも切羽詰ったもので、こんな顔も出来るのかと場違いと分かりながらも彼の知らない一面を知った喜びのようなものを感じていた。
「もう、やめてなんてやらない」
 近づく距離。瞼を閉じる暇もなく、賢木の唇が僕のものに重なる。唇を撫でる吐息は熱く、アルコールと賢木のかおりが混じってくらくらとした。離れたと思ったらもう一度口付けられて、今度こそ瞼を閉じる。軽く唇を噛まれて、こわれるように口を開けると熱くぬるついた舌が口内に侵入してくる。ずれた眼鏡のフレームが鼻の頭に食い込んで痛い。だが、それどころではなかった。僕はいま、どうしてだか、賢木とキスをしているのだ。一気に深くなったそれにもがくようにして賢木の胸を殴りつけても、そのまま肩を押さえつけられて、交わす口付けが深くなる。柔らかな粘膜をざらついた舌でくすぐられるたびに息が上がって、もうどちらのものとも分からぬ唾液が口角を流れ落ちていった。ようやく解放されて口元を拭う。荒い呼吸音が僕たちの間に響く。だがそれは、僕のものだけで、賢木はまだ余裕さえにじませて、僕の唇に触れた。もう一度と、近づいてきた賢木を押しのけ、息苦しさとそれ以外のせいでぼんやりとした思考のままに睨みつけてやる。
「やめろ」
「いやだね。もう、やめてやらないっていっただろ」
「合意もなしにこんなこと」
「しねぇよ」
「してるだろ! いま! 現在進行形で!」
 火に油を注ぐというか、逆鱗に触れるというか、癪に障るばかりの物言いに上体を起こして、賢木に食って掛かる。賢木を押しのけるつもりで起き上がったというのに、簡単に自由になった体に肩透かしを食らってしまった。そこまできてはたと気づく、ああ無理矢理拘束されていた訳ではなかったのかと。そして、それをみかねたようにお前気づいてないのと涼やかな笑みを浮かべた賢木が、まだ唾液にぬれたままの口角を拭った。その手首で見慣れたリミッターが揺れる。
「おまえ、嫌がってねーもん。だから、やめてなんて、やらない」
 そうだろうと、両頬をつつまれて鼻と鼻がぶつかりそうなほどに距離が近づく。眼鏡がずれたせいで、滲んだ視界で賢木が怖いくらいに綺麗な笑みを浮かべていた。だが、それを裏切るように黒茶色の瞳は爛々とした光を宿していて、僕の名を呼ぶその声はかすれている。触れる手のひらの温度は熱く、伝播するそれに僕の体まで熱を持つ。もう、賢木が僕を拘束する力は弱まっていて、本気で嫌がれば逃れられるんだろうなんてことは分かっていた。力でねじ伏せられているわけじゃない。なのに、違和を感じる余裕もない自然さで重ねられた唇を身じろぎをすることもなく受け入れる。ああと、何かしらの感情の残滓を言葉にするよりもたしかに、すきだよ皆本と耳朶を揺らした睦言のなりそこないに同意するようにただ息を呑んで、最後の抵抗のごとき緩慢さで逞しい背中に腕を回していた。











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