ありがとうございました!
ささやかながらお礼のSSをどうぞvv







■  彼らの距離の概算



雨の向こうに、人影が見えた。
(・・・あれ、)
黒い傘を片手にぼんやりと佇む、見覚えのある後ろ姿。
「・・・真壁君?どうしたの、うちに何か用?」
声をかけると、ビクッと肩を揺らして振り返る。
「あっ・・・蔵前、か。」
こちらを認めたその顔に、安堵と後ろめたさの入り混じった表情が浮かぶ。
(気に入らないな・・・)
反射的に、そう思ってしまう。
こういう表情は嫌いだ。
自分の中の怖れから逃げようとしているくせに、そうして逃げている自分に罪悪感も持っているのだと主張している、その表情。
逃げることが出来るのも、逃げている罪悪感に暢気に悩んでいられるのも、幸せなことだ、と思ってしまう。
(逃げることの出来ない現実だってあるのよ)
そう、思ってしまう。
八つ当たりに近い感情だということは、充分自覚しているけれど。
『感情的になりやすいのは、蔵前の悪い癖だ。』
いつだったか、血の繋がらない同じ歳の兄弟にそう言われたことがある。
(だけど、ねえ、皆城君、)
まるで冷静さを絵に描いたような沈着な顔をして、そう指摘した彼に。
(あなたも大概、感情に引きずられていると思うんだけど?)
目の前で、進むことも引くことも出来ずに立ち竦んでいる一騎の姿に、そう思う。
逃げることを許容し、その罪悪感で一騎を縛り付けている今の状況を、聡い彼が分かっていないはずはないのだから。
やれやれ、と溜息をついて、ひとまず自分の感情を落ち着ける。
「もしかして、お見舞いに来てくれたの?」
そう問いかけると、一騎は慌てて頭を振った。
「ノート、届けるようにって、頼まれただけだから。」
まるで言い訳をするような口調で、一騎は急いで鞄からノートを取り出すと、押し付けるように手渡してくる。
手渡される時に、少しだけ触れた一騎の手が随分と冷たい事に気付く。
「皆城君いるんだから、チャイム鳴らせばいいのに。」
「起こしたら悪いと思って・・・」
(・・・嘘吐き)
そんな理由で、チャイムを鳴らせなかったわけではないくせに。
できれば顔を合わせたくなくて、その顔の傷跡を直視したくなくて、だけどノートだけを適当にポストに投げ込んでおくことも出来なくて――進むことも引くことも出来ずに、ただずっとそこにいただけ。
それだけの、くせに。
「じゃあ、上がってく?ノートのお礼に、お茶でも入れるわ。」
「あ、いや、いいよ。蔵前もおじさんの手伝いで、忙しいんだろ?」
自分が今日学校を休んだのは、養い親の手伝いに借り出された為、ということになっている。
本当はアルヴィスでの訓練の為だが、大きな意味では嘘ではない。
島の真実を知っている自分と総士が学校を休む時には、嘘にならない嘘を用いるようにしている。
適度に真実を織り交ぜたほうが、何事もバレないものだと経験的に学んでいるからだ。
「今日の手伝いはもう終わったわ。けど、おじさんはまだ帰ってこれないし、皆城君は寝てるだろうから、ちょうど暇だなって思ってたとこなの。」
さりげなさを装って重ねて誘いかけると、一騎は目に見えてうろたえた。
「や、でも、悪いし・・・」
「そんなたいしたことじゃないわよ。こう見えても、家事は得意なのよ。」
同居人が揃って家事が不得手な為に、やらざるを得ない、というのもあるのだけど。
「ごめん、オレ、夕飯の支度あるから・・・」
そう言って逃げるように後ずさりかける一騎を、それ以上引き止める理由もなくて。
そもそも、意趣返しを込めてのお茶の誘いだったので、この辺で勘弁してあげることにする。
「そう?じゃあ仕方ないわね。」
あからさまにホッとした表情の一騎に、何食わぬ顔でニッコリ笑いかける。
「ノートありがとね。皆城君にも渡しておくわ。」
そう言って、踵を返そうとしたら。
「蔵前、」
思いがけず呼び止められて、驚いて振り返る。
相変わらず所在無げに佇んだままで、けれどどこか意を決した様子で、一騎が顔を上げて。
「・・・その、具合はどう、なんだ?」
遠慮がちに、けれどその双眸は逸らされることなく真っ直ぐにこちらを見据える。
そこに浮かぶのは、罪悪感ではなく心配そうな感情だけだった。
(――なんだ、)
ふっと心が軽くなる。
(私が気を揉まなくても、けっこう大丈夫なのかもね。)
そう思ったら、自然と顔が綻んで。
「大丈夫よ、もうだいぶ良くなってるから。今日は大事をとって休んだだけなの。明日には学校に出られるはずよ。」
総士は今日、風邪で学校休んだことになっている。
具合が悪いのは本当だが、風邪ではなく昨日行われたファフナーの起動実験の後遺症によるものだ。
起動中に生じたという左目の痛みは、一日経っても残ったままで、本人は大丈夫だと言い張ったけれど、念のために今日は休養をとりなさいという父親の厳命にしぶしぶ従った、というのが実際のところだ。
総士がファフナーと一体化するにあたって致命的な欠陥、それが彼の左目の傷だ。
そしてその傷に、何らかの形で一騎が関わっていることは間違いなかった。
総士も、そして一騎も何も言わないけれど、それくらいは分かる。
昔は仲の良かった彼らの関係が、透明な壁を挟んだようにもどかしい距離を生じたのは、あの傷が出来てからのことだからだ。
進むことも引くことも出来ずにいる一騎と、それを分かっていながら何もしない総士を見ていると、時折無性に苛立たしい気持ちになることがある。
感情的だ、と彼に指摘されずとも、自分が多分に直情的な性質であることは自覚している。
(でも、皆城君には、そういうズバッと切り込んでいくことも必要なのよね。)
あの、全てを一人で抱え込んで、痛みも辛さも苦しみも自分の中で押さえ込んで、平気な顔をしてみせる彼には。
自分のように――そして今の一騎のように、真っ直ぐに向かっていく相手が、必要なのだと思う。
「・・・そっか。じゃあ、オレはこれで。」
一騎は少し安心したように頷くと、さっさと踵を返してしまう。
その背中に向かって、
「ありがとう、真壁君。」
もう一度、そっと声をかける。
振り返った一騎は、珍しく少しだけ微笑んで、じゃあ、と言って今度こそ歩き出す。
その後ろ姿を見送ってから、鞄から鍵を取り出して重いドアを開ける。
――いつか。
――遠くないいつか、一騎が躊躇うことなくこのドアのチャイムを押すことができればいいのに。
そうして総士が自然にそのドアを開く日が来ることを、願わずにいられなかった。






END.







果林のことをじっくり書くのは初めてでしたが、小説版での総士に対しても真っ向から意見をぶつけてた辺り、かなり気の強い印象があります。
総士って、真矢とか後半に一騎みたいに、真っ直ぐ切り込んでくるタイプに弱いと思うのね・・・(笑)
そういう相手が、同じ島の真実を知る立場で側にいてくれたのは、総士にとってとても大きかったと思います。








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