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拍手お礼SS 「コンクリート」  蒼海鈴



「あれ、これ蛹じゃない?」
こんなところに珍しいね。そう言って笑う母さんの横で、私は深いため息を吐いた。
朝から目覚ましと格闘して着替えて顔洗ってご飯食べて歯みがきしてさあ学校へ行くぞと自転車の鍵を取り出して――ここまではいつも通りの朝だった。
一つだけ違ったのは、タイヤに何だかよく分からない謎の物体が付着していたことだ。
「これ、蛹なの?」
私の知ってる蛹と違う。形も歪だし、こんなに小さいものだったっけ?
「確かにちょっと変だね。上手く蛹になれなかったのかな」
そんなこともあるのか、と思ったけど、今はそんなことどうでもいいのだ。自転車どうすんの。乗れないじゃん。
ぽいっとはがしてどこかに投げてしまえばそれで解決なんだろうけど。風に吹かれれば飛ばされそうで、でもしっかりとタイヤにはりついている目の前の蛹と、思い出すだけで背筋が寒くなる幼虫が頭の中でぐるぐる回る。
仕方ない。もう一度深くため息を吐いて、鞄を背負いなおす。学校までは歩いて行けない距離ではないし、幸い今日は早く起きたから時間も十分にある。
いってきます、と言って歩き出す。いってらっしゃい、と返ってきた母さんの声は少しだけ嬉しそうだった。
次の日も、その次の日も私は歩いて学校に行く羽目になったけど、想像していたよりもそれは苦にならなかった。朝早く起きなければいけなくなったのは若干辛いものがあるけれど。毎朝小さな蛹を確認してから学校に行くのも、それはそれで楽しかった。

七日目の朝、タイヤに蛹ははりついていなかった。代わりに、タイヤのそばに“昨日まで蛹だったもの”が転がっていた。いや、形状としては今も蛹ではあるのか。
潰れかけた殻の隙間から、綺麗なオレンジ色がのぞいていた。家族分の自転車が並ぶテラスの薄汚れた無機質な灰色と、からからに乾いた茶色のコントラストにぞっとする。
スコップで拾おうとして、思い直して指先でそっと拾い上げる。暖かくもなく、冷たくもなく、かさりと乾いた音をたてたそれは、昨日まで、もしかしたら今日、ついさっきまでは生きていたのに。
いつの間にか隣にいた母さんが小さな声で、花壇に埋めてあげたら、と言った。庭の花壇の、一番綺麗なパンジーが咲いている隣。ぽとりと落としたそれを隠すように土をかける。立ち上がって手についた土をはらう。学校に遅れる、と思ってから、今日は自転車が使えるから急がなくてもまだ間に合う時間だと気づいた。

久しぶりに自転車に乗って、風を切るように走る。昨日までは少し暑いぐらいだったのに、向かい風は強くてとても冷たかった。
どんな蝶になるんだったっけ。幼虫の時の鮮やかでいっそグロテスクな姿ばかりが印象的で、成長した姿がどうしても思い出せなかった。実物を見れば分かると思っていたのに、分かったのは隙間から見えたオレンジ色だけだ。
視界の端にひらひらと飛ぶ何かが映って、思考が途切れる。自転車を止めてそちらを見ると、薄茶色とオレンジ色が風にあおられながらそれでも懸命に飛んでいた。
「あれだ……」
思い出した。そうだ、大きくなったらああなるんだ。
ひらひらと飛ぶそれは、今にも風につぶされてしまいそうで、けれど明確に意志をもって前に進んでいた。一休み、とでも言うように、目の前の葉っぱにしっかりとつかまる。
歪な蛹、自転車のタイヤ、薄汚れたコンクリート、庭のパンジー、強い風、鮮やかなオレンジ。
羽化することもできなかった蛹を思いながら、私は自転車を力を込めてこぎ出した。








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