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=ぱちお礼SS=

「日照雨」


「Heyアンタ、食べるか喋るかのどっちかにしたらどうだ?」

政宗は呆れたように軽く肩を竦めた。先程から幸村の口は忙しなくよく動く。小十郎が持ってきた団子を頬張りながら、ここ最近の己の近況を嬉々として報告しまくっているのだ。とはいえ、武田での幸村の日常なぞ、政宗には容易に想像がつく。そしてその想像通り、出てくる言葉の殆どは、お館様が、佐助が、毎日の鍛錬が…などで占められている。代わり映えのしない話に少々辟易していたが、幸村が嬉しそうに話しているので、苦笑いしつつも政宗は、時々相槌を打ちながら、何度も聞いた話に付き合っていた。

「それで、その時、お館様が………ぐっ、ごほっ…!!」

何十回目かの『お館様』を聞いたところで、幸村が盛大に咽せた。勢い込んで話すあまり、食べていた団子が気管に入ったらしい。眉間に深い皺を寄せ、涙を浮かべながら咳き込む幸村の姿を見て慌てた政宗は、湯呑みを手に取り、急いで幸村の前に差し出した。

「オイオイ…言わんこっちゃねぇ。…大丈夫か?」

幸村は身体を折り曲げながら、震える手で湯呑みを受け取り、息を詰まらせながら、むりやり茶を喉に流し込んだ。

「か、かたじけのう…げほっ、ござる…ごほっ…!!」

ぜいぜいと苦しげに息をする幸村の背中を、政宗はゆっくりと擦ってやった。幸村は利き手で握り拳をつくり、つかえを取り除くように胸の中心あたりをどんどんと叩いていたが、やがて大きく深呼吸をし、政宗の方を向き直った。

「お、お世話をかけ申した…。もう大丈夫でござる…」
「…ッたく…。ンな慌てなくたって、団子は逃げちゃいかねェぜ?」
「…む、某、そんなに食い意地が張っているわけではござらぬ…!」

まるで説得力のない言葉を、政宗は鼻先で笑い流した。それを見た幸村は不満そうに口を尖らせ、もごもごと口の中で呟いた。

「…いや、その…、折角、片倉殿が持ってきて下さったものでござるし、早く食べないと固くなってしまうでござるし…」
「なら、食べてから喋りゃいいだろ。いっぺんにしようとするから咽せるんだ」
「…分かっているでござる…けれど…」

幸村は政宗から目線を外して俯いた。五月晴れの明るい空に、澄んだ鳶の鳴き声がひょろろと響く。風の流れに乗って優雅に空を泳ぐその姿を目で追った後、政宗はそのまま視線を幸村の横顔に流した。

「けれど、なんだよ?」

問われて幸村は二、三度ゆっくりと瞬きをした。長い上睫毛が動きに合わせて上下する。

「…時間が…無いのでござる…」
「え?」
「某が、政宗殿と居られる時間は、まことに短うござる故…。」

幸村はそこで言葉を切り、僅かに目を潤ませて黙り込んでしまった。

「…幸村」

それ以上言われずとも、政宗には幸村の胸中が嫌というほど分かる。互いの立場や、今の世情を思えば、二人が重ね合える時間は極めて短い。その刹那の価値をよく分かっているからでこそ、幸村は急くのだ。やる事は幼く、つたない行動だが、そのいじらしさがひしと伝わり、政宗は胸の奥が熱くなるのを感じた。

「幸村…」

俄に愛おしさが込み上げ、政宗はついと手を伸ばして、幸村の肩を引き寄せた。軽く掴んだだけだったが、虎若子の身体は抵抗なくゆらりと揺らいで吸い寄せられ、すとんと政宗の腕の中に収まった。柔らかい幸村の髪に指を絡ませてくしゃりと掻き混ぜれば、若草のような香りが政宗の鼻を擽る。幸村は恥ずかしげにもじもじと身を動かして、政宗の肩口に額を押し当て、先達てまであれほど饒舌だったのが嘘のように口を噤んだ。

(照れ隠し、だったのか?)

もう幾度も身体を重ねているというのに、未だに軽い抱擁ごときで緊張に身を固くする。幸村の細腰にそっと腕を回しながら、政宗はぼんやりと考えた。

(…相変わらず、初心な男だよなァ)

政宗は軽く口の端を上げ、右手の親指と人差し指で幸村の顎をそっと掴み、くっと上に持ち上げた。幸村は一瞬、びくりとしてその大きな黒目を政宗に向けた。が、いくら幸村が奥手で鈍くても、流石にもう、次に政宗がどうするかは分かる。政宗の意図するところを察し、幸村は目尻を仄かに紅く染めて、静かに瞼を閉じた。その様子を見て政宗は左目を眇め、そっと幸村に顔を近寄せた。

(…)

あと一寸足らずで唇が触れ合う、というところで、政宗は動きを止め、幸村の顔をじっと眺めた。

(真田…幸村)

戦場で初めて出逢った時のことがまざまざと目に浮かぶ。赤い戦装束を身に纏い、二槍を携えた勇ましいその姿は、一廉の武将に見えた。成り行きで即座に刃を交えれば、まごう事なき百戦錬磨の兵、虎の若子の二つ名に相応しい、猛々しい武人である事はすぐに伝わってきた。戦ってその強さを認め、互いに宿命の好敵手であるということを、魂に告げられたような、そんな気がした。…だが。

(…知れば知るほど、意外だったよなァ)

勇猛果敢に思えたこの男は、蓋を開けてみれば、驚くほどに世間知らずな少年であった。この、魑魅魍魎が跋扈するような戦国の世にあって、産まれたままのような無垢な心で、真っ直ぐに育ってこられたなど、政宗にとっては信じがたいことであった。時にはその純粋さに苛立つこともあったが、掛け値のない透明な心根からくるひたむきさに、いつしか政宗も心惹かれるようになっていた。しかし、想い交わしてからも、その純真さ故に煩悶させられることがしばしばあった。

(Pureにも程があるだろ)

政宗は小さく息を吐いて苦笑した。互いの鼻先が軽く触れ合って、幸村の肩がびくんと揺れた。視線を落としてみれば、幸村の唇が小刻みに震えている。

(…ちょっと面白れぇな)

少々意地の悪い気持ちになって、政宗はそのまま幸村の顔を眺めていた。口付けされると思っていた幸村は、政宗の気配を間近に感じながらも、それ以上の動きのない事に些かの動揺を覚え始めていた。閉じた瞼の下で瞳がうろうろと落ち着きなく彷徨っているのが分かる。熟れた林檎のように紅潮した、ふくふくと柔らかい頬を軽く突いてみれば、高まった幸村の熱が政宗の指先に伝わってきた。

(相変わらず…ガキみてぇに体温高ぇなァ)

堪えきれずに政宗は喉奥でくっと笑った。その笑声に気付き、幸村が薄く目を開けた。

「………政宗、殿?」

名を呼んですぐに、直近にある政宗の顔を認めた幸村は、至極驚いて再びぎゅっと目を閉じた。だが政宗は、吐息がかかるほど至近距離で幸村の顔を眺めているだけで、それ以上なにもしようとはしない。幸村の心臓の鼓動が大きく早くなってゆく。それにつれて次第に幸村は焦れてきた。

「………政宗殿」
「Ah、なんだ?」
「…どう、なされたのでござるか」
「どうって、何がだ?」
「………なぜ、その…何もせぬのでござる…か…」
「…何か、して欲しいのか?」

からかうような物言いに、幸村はぱちと目を開いて眉を寄せた。顔を赤らめて、頬に汗を伝わらせながら、しどろもどろに抗議する。

「こ、この状態で寸止めされているのは…い、居たたまれぬでござる…!」
「Hum? なら、どうして欲しいか言ってみな?」

政宗が声を一段落として低く囁く。色香を含んだ声にどぎまぎと慌てながら、幸村は政宗の視線から逃げるように目を泳がせた。

「か、顔をお離し下され…!」
「…そうきたか」

望むような返答が来ず、政宗は小さく舌打ちした。この色気の無さが幸村らしいといえば幸村らしい。しかし。

「…アンタはいつまでBabeなんだよ?」

揶揄するように言い放ち、政宗は幸村の頬を抓んで軽く引っ張った。幸村は不満げに口を窄めた。

「某…子供ではないでござる」
「…ガキだろ。分かってねえ」
「…?」

陽光眩しい空から時季外れの紋白蝶がひらひらと舞い降りてきて、幸村の髪にそっと留まった。政宗は一瞬ためらった後、それをついと指で払い、静かに目を伏した。

「…アンタが言ったんだぜ?時間がねぇ、ってな」
「う…」

言いながら政宗はゆっくりと掌を幸村の背中に落とした。幸村の奥手さに焦れているのは政宗も同じ。わざと幸村を煽るように、背の窪みに指を滑らせれば、細い身体がびくりと揺れる。幸村はそこが弱いことを政宗は熟知している。

「こうしてアンタに触れられる時間はホントに短いんだ。俺にどうして欲しいのか、素直に言えよ」
「…申さずとも…某の気持ちは…良くお分かりでござろう…」

拗ねたように小さく呟いた後、幸村は目を潤ませながらそっと政宗の耳許に唇を近寄せ、微かな声でなにかを囁いた。政宗はようやく満足げな笑みを浮かべ、静かに幸村と唇を触れ合わせた。

「…ま…さむね…どの…」

熱を帯びた幸村の声が、甘やかに政宗の名を呼ぶ。政宗の背に回した幸村の腕に、俄に力が込められた。政宗は幸村の唇を深く追いながら、抱きかかえた身体をゆっくりと床板の上に倒した。

「…ちょ…お戯れを…!このような所で…!」
「言っただろ、時間が惜しい」
「…まったく…」

幸村の細やかな抗議を軽く往なすと、政宗は幸村の首筋に唇を寄せた。幸村は擽ったげに目を細めたが、ふと、閉じかけた目をもういちど見開いて、不思議そうに数回、瞼を瞬かせた。

「ン?どうした?」
「…雨が…」

幸村の言葉に、政宗がついと顔を上げてみると、真っ青に晴れ渡っている空から、ぱらぱらと細かい雫が落ちてくる。透明な水滴は陽の光を反射してきらきらと虹色に輝きながら、青草茂る柔らかい土の中に、あとからあとから吸い込まれてゆく。

「日照雨か…」
「…そばえ?」
「こんな風に、天気がいいのに降る雨の事だ。狐の嫁入り、なんて言うところもあるな」
「へえ…」
「まァ、雨の神様は竜だ、って説もあるからな。竜神が出かけるときに戯れに雨を落としてゆくのかもしれねェな」

幸村も政宗も、暫し動きを止め、晴天の降雨という幻想的な光景に見入っていたが、幸村が悪戯っぽく笑みながら、こそりと政宗の耳元で呟いた。

「天の竜も奥州の竜も、まこと、お戯れがお好きなようでござる…」
「…皮肉か」

政宗は憮然とした表情で幸村の顔を見下ろした。視線の先で幸村が楽しげにくすくす笑う。

「戯れじゃねぇってことを…教えてやるよ」

政宗は幸村の頬を人差し指で軽く弾くと、再びその花唇に口付けを落とした。心地よい雨の音色が、優しく幸村の内耳を揺らす。身の内に政宗の熱を受けながら、幸村の意識は、ゆるりと遠くへ攫われていった。

空にかかった薄雲は、気紛れにさらさらと雨を落とすと、やがて気が済んだかのように、いずこかへ去っていった。後には雨上がりの清々とした空気と、初夏の香りが残され、空の片隅にうつくしい七色の弧が描かれた。




10/11/03 up



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