一夜限りの逢瀬


 仕事を終え、蒼志と樹は二人揃って学校を後にした。
 「蒼志、車は?」
「免許も持ってまいせんよ」
「だろうと思ったよ。私の車に・・と言いたいところだが、私も今日は電車で来たのでね。二人でゆっくり話しながら歩こうか」
樹の言葉にそっと頷くと、彼の手が腰に回された。蒼志は腰を引くが、彼は気にせずさらに抱き寄せてくる。蒼志は諦めてその手に体を委ねた。
 未だに自分は彼の手を振り払うことができないのだと思い知らされる。
 「寒くないか?」
「大丈夫です」
樹に問われて、緩やかに首を横に振った蒼志だが、コート一枚羽織っただけで、マフラーも手袋もしていない蒼志はこの時期だと少し寒そうだ。
 実は両方とも少し前に羽奈にあげてしまった。皮肉にもそれは樹が蒼志を気遣ったのと同じ理由だった。
 「無理してはいけないよ。ほら、手がこんなに冷たい」
右手の手袋を外した樹が、蒼志の左手を握り込んで自らのコートのポケットに一緒に入れてしまう。ホカホカと温かい樹の手を、蒼志はそっと握り返した。
 樹は外した右手の手袋を蒼志の右手にはめる。彼の手に逆らえずにされるがままになっていた蒼志だが、流石にこれには黙っていられなかった。
 手袋を片方ずつ分け合って、手袋をしていない方の手は繋いだまま同じコートのポケットの中。
 「樹さん、これじゃあまるで・・・」
「恋人同士みたいだろう?」
そう言って口元を緩める樹に、蒼志はため息をついた。
「少しは周囲の目というのも考えてください。男同士でこういうことをするのは、あまりよく見られませんよ。・・・男女でも恥ずかしいと思いますが」
「おや、君は周囲の目など気にするのか?」
蒼志の指摘に、樹は意外とでも言うように目を見開いた。
 確かに蒼志はそういうことに偏見は持っていなかったし、別に人目など気にしないが、職業柄多少は自重しなければならない。だが、樹にはそれすら気にならないらしかった。
 「もう、いいです。好きにしてください。仕事、クビになったら責任取ってくださいね」
「ああ、責任もって君を一生面倒見よう」
蒼志はいい加減にしてくれとでも言いたげな目を樹に向けたが、それでも繋がれた手は握り返したまま、手袋も突き返そうとはしなかった。
 彼の手を振り払うことができなくて、彼の温かさが愛しくて。あの時から、自分が何一つ成長していないのだと、改めて思い知らされた。
 歳を重ねて落ち着いたし、思慮深くもなったと思っていたが、彼の前では全然だ。ただ少し意地を張っているだけで、まったく変わっていない。
 「とりあえず夕食にしようか。いい店を見つけたんだ。付き合ってくれるかい?」
「はい」
 蒼志と樹は寄り添ったまま、夜の道を歩き出した。


 「嬉しいな。君とこうして寄り添って歩けるなんて。英国にいるときも、私はずっと君のことばかり考えていた。君からの手紙が楽しみで仕方がなかったよ」
ギュッと蒼志の手をポケットの中で握りしめながら、樹が愛おしそうな声を出す。
「僕も貴方の手紙はずっと楽しみでしたよ」
「それは嬉しいな」
本当に嬉しそうに微笑む樹の懐かしい笑顔に、蒼志も口元を綻ばせる。
 樹は会話上手で、途次(みちすがら)英国を出る時の話や、空港で観光客らしい中国人女性に逆ナンされた話などを面白可笑しく語って、蒼志を楽しませた。そうしている間についたのは、如何にも老舗といった感じのフランス料理店で、蒼志は思わず後ずさった。
 「樹さん、僕こんな格好でこんな店に入れませんよ」
まさか帰りしなにフランス料理店に寄るなどと思っていなかったので、蒼志の服装はジーンズにセーターというラフなものだった。樹にしたところで、スラックスにセーターと、蒼志とあまり変わらない。もっとも、こちらはどれもブランド物ではあったが。
 「そうか。では先に服を買いに行こう」
樹は店の前で踵を返すと、駅の方向に歩き出す。五分ほど歩くと、駅前の繁華街に辿り着いた。
 「樹さん、昔より手口が強引になりましたね」
今まで足を踏み入れたことのないような高級洋服店に連れ込まれ、樹の見立てたスーツを試着させられながら、蒼志は呆れたような声を出した。樹は自らもスーツを選びながら、闊達に微笑む。
「そろそろ手段を選んでいられなくなったからね。君は昔より私に冷たくなった」
樹の言葉に蒼志の表情が曇る。
「すいません、あの時は貴方に甘えていました。反省しています」
「別に今もどんどん甘えてくれて構わないよ。前にも言ったが、君に甘えられるなら役得というものだ」
 樹は蒼志が試着したスーツ一式を見て、満足した表情を見せると、そのまま着ていくと定員に言い渡し、自らの分と一緒に現金で支払ってしまう。一万円札が三十枚ぐらい。蒼志は目眩を覚えた。
「ちょっ、待ってください!! そんな高い物買っていただくわけには・・・」
「気にすることはない。私が買いたいんだ」
それだけ言うとさっさと蒼志の手を握り、店を出て行く。
 店に入ってから出るまで二人は定員の好奇の的だったが、二人とも気にもかけていなかった。
 そこまでして入ったフランス料理店は、値段が高いだけあって、味は申し分ない物だった。
 久しぶりに会った樹と、他愛ない会話をしながら食べる食事は楽しくもあったし、昔から蒼志にとって樹の側は居心地がいい。だからいつもそれに甘えてしまうのだ。
 食後のワインを口にしながら、樹はとうとう本題を口にした。
「蒼志、君と別れる時に私が言ったことを覚えているかな?」
「・・・はい」
蒼志は居心地悪そうに返事を返す。
「私の気持ちは今も変わらない。君はあの時頷いてくれたね」
「ええ。でも、僕には・・」
「恋人がいるんだね」
蒼志は首を縦に振る。彼には守らなければならない愛しい人がいた。樹の側は心地よかったが、彼と寄り添うことでその人を傷つけたくはない。
 「やはりね。君が意識して私にそっけなくしようとしているようだから、多分そうじゃないかと思っていた」
「もう、同じ過ちはしないつもりでした。中途半端な態度でまた貴方を傷つけたくなかったのに・・・。僕は弱いですね。結局こうやって貴方に甘えている」
テーブルの上で固く握り閉められた蒼志の手に、樹はそっと自分の手を添える。
「構わないと何度言ったらわかるんだ、君は。それに私はあの時言ったように君に恋人がいても、容赦しないよ。必ずその恋人から奪ってみせる」
「樹さんっ」
「大丈夫。君の愛しい人に危害を加えたりはしない。そんなことをして、君に嫌われるのはご免だからね」
 樹は茶目っ気たっぷりに片眼を瞑ると、トイレに立った。
 残された蒼志は頭を垂れて思考に沈む。
 彼の別れ際の言葉は今でもはっきりと覚えている。確かに樹は次にあった時は蒼志に恋人がいても、蒼志を奪ってみせるとそう言った。蒼志もそのときは迷わず頷いた。樹となら別にそういう関係になってもいいと思ったし、自分に恋人ができるなどと思っていなかったから。
 今更後悔してももう遅い。羽奈は何かしら感じて不安になっていたし、事実自分は彼の手を振り払えないでいる。そうでなくても自分はまだ・・。
 「出ようか」
トイレから帰ってきた樹の声が、蒼志の思考を遮った。
 蒼志は慌てて席を立つと、今度こそ自分で払おうと伝票を探すが、見あたらない。
「支払いなら、さっき私がしておいた。トイレのついでにね」
蒼志の行動を読んだ樹のスマートな手口に、蒼志はぐうの音も出ない。
 「さあ、行こうか」
樹は蒼志の手を取って、来たときと同じように繋いだままコートのポケットに入れると店を出る。
 駅まで一緒に歩いて、二人はそこで別れた。
「本当はもっと一緒にいたいが、明日は学校だ。これ以上一緒にいると我慢できなくなって、明日は二人揃って欠席ということになりかねない」
間をおいて樹の言葉の意味を悟った蒼志が、顔を赤くする。
 「愛しているよ、蒼志」
声が聞こえるが早いか、蒼志は唇に柔らかい感触を覚え、続いて舌を絡め取られる。
「・・ふっ・・んぅ・・」
 長い口付けの後、肩で息をする蒼志の頭を樹がそっと撫でた。
「相変わらず息継ぎが上手にできないのだね。可愛いよ、蒼志」
愛おしそうにそう言うと、樹は手を振って去って行く。
 蒼志は去っていく広い背中を、複雑な想いで見つめていた。





ウェブ拍手小説 「ある男と青年の過去」5〜8話の裏話

このお話は、「少年と青年シリーズ」の「ある男と青年の過去」の5〜8話(蒼志の浮気シーン/笑)の蒼志と樹サイドの話です。
「ある男と青年の過去」を最後までお読みになってない方はネタバレになりますので、そのまま窓を閉じてください。

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