さくら


 「お花見? 花を見に行くのか?」
土曜日、朝食の席で、水鈴が蜂蜜の付いた食パンを囓りながら冷也を見つめる。
「ああ、桜の花を見に行くんだ。近くに綺麗に見える場所があるから」
同じように、こちらは目玉焼きの乗った食パンを手にした冷也が、そう答えた。
 「桜か。桜は天界にもあった。今から行くのか?」
「いや、明日だ。弁当を用意して・・。何か希望があったら言ってくれ。後で材料の買い出しに行くから」
冷也の言葉に水鈴が目の色を変える。キラキラと光る青い瞳を眺めながら、冷也はまだまだ“花より団子”のお子様に微かに瞳を細めて見せた。彼なりの笑顔のつもりらしい。
 「ホットケーキがよい!! あと、ココアと、たこ焼きと・・・」
脈絡のないリクエストを挙げていく水鈴に、冷也は困ったように眉根を寄せる。花見にホットケーキやたこ焼きというのは、どうだろう?
 重箱に水鈴のリクエストがずらりと並んだ図をと、それを見て手放しに喜ぶであろう水鈴を想像して、冷也は複雑な思いに駆られた。
 「だが・・冷也の作るものであったら、全部美味しいから何でもよいな。・・・いや、嫌いな物もあるのだが、そなたは私の好みを知ってくれておるし、ちゃんと私が好きなものも入れてくれるであろう?」
嬉しそうな笑顔のまま確信を込めてそう訊ねられれば、冷也に首を横に振る理由などなかった。
 今まで料理というのは、最低限の栄養の摂取とある程度自分の舌が満足すればそれでいいと思っていた冷也だが、水鈴が来てから彼の喜ぶ顔が嬉しくて、つい本屋に寄った際に料理本を購入したり、出掛けた先で美味しそうな物を見つけると、お店の人にレシピを訊いたりしてしまっていた。
 何だか主婦や母親にでもなった気分だが、水鈴の喜ぶ顔を思い浮かべるだけで、知らない人から料理の作り方を訊くのすら、楽しいことに思えてしまう自分がいる。
 冷也はそれを“幸せ”というのだと、そう思っていた。


 「ちょっと遅かったな・・」
花見客で賑わうとある神社の一角で、冷也は持ってきたレジャーシートを広げながら、既に散りかけでひらひらと花弁の舞い落ちてくる桜を見上げて、いささか消沈した様子の声を漏らした。
 もっとも、彼の口調など喜んでいても消沈していても、そう大きく変わるわけではないのだが。
 「そうか? これはこれでいいと思うぞ。花弁が雪の様に降ってきて綺麗ではないか」
水鈴が同じように桜を見上げて、降ってくる花弁に手を翳す。
 そんな水鈴を目にするだけで、それもそうだと同意できてしまう自分が、冷也は嫌いではなかった。
 冷也がシートの上に重箱を広げると、水鈴の興味はすぐに桜からそちらに移る。そんな様子を苦笑しながら開けた重箱の中には、おにぎりと簡単なおかずに、フルーツ、ちゃんとホットケーキも入っていた。
 「冷也、ありがとう」
幸せそうに頬を桜と同じ色に染めてホットケーキを頬張る水鈴を見るだけで、冷也はお腹いっぱいになる気分だった。


 降り注ぐ桜の雪の下、のんびりとした温かい幸福感に浸っていた二人だが、不意に水鈴が立ち上がった。
 そのまま冷也に何も言わず、藍色の髪をふわりと風に乗せて揺らし、踵を返して神社の奥の方向に歩を進める。
 桜の雪のちらつく中、遠ざかって行く後ろ姿を視界に写したとき、冷也を胸に突き刺さるような不安が襲った。
 水鈴は元々この世界の人間ではない。今の幸せな時間はいつ崩れ去ってもおかしくない脆いものなのだ。
 いつかあの太陽に向かう向日葵の様な明るい笑顔で別れの言葉を紡ぎ出し、水鈴は自分を置いて故郷に帰ってしまうのだろう。ああやって背中を向けて、髪を揺らして遠ざかっていくのだ。
 「水鈴っ」
冷也は思わず立ち上がって、水鈴の後ろ姿を腕の中に抱き寄せていた。バランスを崩してそのまま後ろの冷也に背中から凭れ込んだ水鈴が、不思議そうに頭をそらして冷也を見上げる。
「・・・冷也? どうかしたのか?」
冷也は水鈴の問いに答えず、その未成熟な体を腕の中にきつく抱き締めて放さない。
 「冷也・・おにぎりの包みが飛んでいったのだ。早くいかないと見失ってしまう。放してくれぬか?」
頭をそらして冷也の顔を見つめたまま紡がれた、水鈴の戸惑いを込めた言葉に、冷也は我に返ったように水鈴をその腕から解放した。
「悪い・・」
 水鈴は冷也の謝罪に頷くと、そのまま走っておにぎりを包んでいたラップを追いかける。ポイ捨て厳禁だ。  「どうかしたのか?」
暫くして、風に舞うラップを捕まえて戻ってきた水鈴が微かに息を弾ませながら、冷也を心配そうに見つめる。冷也は何でもないと言ってその頭に、そっと手を置いた。
 「寂しいな・・・」
桜を見上げて不意に冷也が呟いた。感情を多くは写さない茶色い瞳に、うっすらと切なげな色が浮かんでいるのを見てとって、水鈴は冷也の掌を強く握る。
 「桜のことか?」
「桜だけじゃないが、今が綺麗だから余計に散ったら寂しく感じる」
今が幸せであればあるほど、失った時の辛さは大きくなる。それでも求めずにはいられない二律背反。それは、本当に幸せと言えるのだろうか?
 「来年も咲くではないか」
水鈴の楽観的な答えに、冷也は思わず眉を寄せて首を横に振った。
「来年咲くのは、この桜じゃなくて別の桜だ」
冷也の返答に水鈴は面食らった。言いたいことは分からないでもないが、桜というのは花ではなく木が一つの生き物だ。人間の毛が生え替わったからといって別の人間になるのではない。桜にも同じ事が言えるはずだ。
 不思議そうに冷也の切なそうな表情を見つめて、水鈴は冷也が別れの寂しさの比喩として桜を用いていることに思い当たった。
 「では、よく見ておくがよいと思うぞ」
水鈴の言葉に冷也は視線を桜から逸らす。
「そしたら、散ったとき余計に寂しいだろ」
水鈴は俯く頬を捉えて上を向かせ、冷也の視界に再び桜を写した。
 「よく見て、よく覚えておくんだ。そうすれば、それは例え散ってもそなたの心にずっと残っているだろう? 目を閉じればいつでも会えるであろう?」
そう言って何とか冷也を元気づけようと笑いかける水鈴に、冷也は瞳を穏やかに細めた。
「ああ、そうだな」
 例え別れる時が来ても、俺はずっとお前を覚えていよう。
 だから、胸の中のお前が色褪せることのないように、今はもっとお前を見つめて、感じていよう。その風になびく藍色の髪、輝きながら目まぐるしく表情を変える蒼い瞳、日の光を映したような笑顔、生真面目で優しい性格や少し鈍くさい仕草、その全てを俺の心にずっと留めていられるように。別れが来るその時まで。





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