長く艶やかな黒髪が、無骨な掌の上をさらさらと滑る。シンジは絹糸のようなそれらを根本の方から指の腹で掬い上げつつ、櫛でゆっくりと梳き始めた。上から下へ、引っかかることなく通るのは手入れが行き届いている証拠であろう。旅をするトレーナーにとって野宿というものは、身なりを人一倍気にするこの少女であっても避けられないはずだが、何か対策をしているのか、流石に譲らないのだな、とシンジは呆れにも似た心持ちで感心していた。そして、ヒカリは酷く落ち着かない様子で、そんなシンジの動作をドレッサーの鏡越しに見守っていた。



きっかけはヒカリの一言だった。まだ終わらないのか、と小言を飛ばしたシンジに対し、シンジが髪を結ってくれたら終わりよ、と返したのである。もちろん彼女のそれは、すでに準備を済ませて涼やかに待機する恋人に負けを認めるのが嫌で飛び出した、屁理屈に近い冗談だった。しかしその直後、シンジは背後に移動して、普段と変わらぬ無愛想な表情のまま櫛やゴムを手にしてしまったのだった。これには、ヒカリは本当に驚いた。


出発時刻が迫っていながらなかなか支度が出来ないことに業を煮やしたのか、それとも手持ち無沙汰であることが嫌だったのか。ともかく、理由がなんであろうと、シンジはやると決めたら最後までやり遂げる人間である。いくら自分の遅刻が原因とはいえ、雑に扱われたら絶対に嫌だ、文句を言ってやる、などとヒカリは意気込んでいた。



…だが、それは杞憂に終わりそうだった。
何度か髪を梳かした後、シンジは櫛の細い先端を使って丁寧に横髪を分けていった。それが終わると、残った部分を両手で纏めるように持ち上げ、黒の髪ゴムでさっと括った。そして再び櫛を使って毛先を整える。ヒカリにとって、彼の骨張った手が、指が、このような繊細な作業をしているというのはいっそ異様といっても過言ない光景に思えた。
その中でも一番は、その表情が――相変わらず愛想はないが――険の取れたものになっている、ということであった。




「…ねえ、」
「なんだ」
「意外と、楽しんでたりするの?」




シンジは答えずに、サイドテーブルにあったリボンを取った。幅のあるサテン地を、向こう側が僅かに透けるふうわりとした生地で挟んであるそれを髪ゴムに数回巻き付けると、最後の仕上げに取りかかる。布が擦れる度にしゅるり、しゅるりと軽快な音が鳴り、平坦だった布は柔らかく結ばれて、間もなく完成した。
高い位置からしなやかに垂れる、鮮やかな橙色は、その名の通り蝶のようだった。









後書き。
拍手本当にありがとうございました!

シンジが、ヒカリのポニテを好きだったらいいなぁと思ったことから出来ました。
リボンがオレンジ色なのは、某探偵アニメを見ていたためです。大阪のあの子が出ていたんです。
少しでも楽しんでいただけたら幸いです。



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