(ランダムで漫画と小説と絵)



「筆箱友達」


 算数を数学なんて呼んでみたり、制服なんか着ちゃったりなんかして、さも今までとはちょっと違うような雰囲気をかもし出してみても、結局それをやる自分にはなんの変化もないわけであって。
 つまり俺は高校に入学したとはいえ今まで通り倦怠感を抱きつつそれにしたがって真っ白なノートをただただ眺めているだけなのである。
 カツカツと音を鳴らし七三わけが目印の木下が黒板に文字を羅列しているが、あいにくとそれを書き写すための筆記用具がない。机の中にはしっかり筆箱が入っているのだけれど、それを取り出す気分にはなれなかった。
 窓際から二列目の俺の席には熱くもなく程よい春の日差しが入ってきて、いい感じに眠い。これが昼休み後の授業だったら確実に寝てる。午後になると傾いた日差しが黒板にかかるためカーテンを引かれてしまうから、心地よい日差しは入ってこないのだけれど。
 春眠暁を覚えず。この恵まれた季節に惰眠をむさぼらないのはむしろ太陽に失礼な気もするが、寝ればさすがに木下が怒るのでうとうとするのにとどめる。あとは早く授業が終わるのを待つだけだ。
 閉じたり開いたりを繰り返す視界の中に、ふと何かが飛び込んできた。虫かと思うと、もう一つ同じ影が飛んでくる。
 ぼんやりじゃあなんなんだと考えている内にまたもう一つ。何も書かれていないノートに小さな物体が三つ乗る。
「おい」
 左手から囁き声が聞こえた。そういえば三つの影は窓側から飛んできたもので声も窓側からだという因果性に気付いたのは振り向いたあとで。
 見ると、隣の席のやつが首を最小限こちらに向けて、口元に手をやり、「やっと気付いた」と笑った。
 逆光になって顔が暗かったが、輪郭を光がなぞって、黒髪を赤茶に彩っていた。高校に馴染みきれていない幼い顔立ちを包む制服は真新しく、色々と古びた校舎から浮ついていた。
 いかにもな「高校一年生」で少しうんざりした。目をきらきらさせて、高校生活に希望を持っていそうなタイプだ。
 制服を変えても、所属を変えても、自分自身はそう変わりやしないのに。
「あー、何?」
 クラスメイトとのコミュニケーションのつもりなら休み時間に違うやつとやってくれ。要するに俺には面倒だから話し掛けるなという気持ちを込めて、全力で鬱陶しそうな返答をする。
 俺の精一杯の言葉はその真意まで伝わらなかったらしい、相手は相変わらずニコニコしたままシャーペンを差し出してくる。
「はい」
 いや、はいと言われましても。なぜここでシャーペンが差し出されるのかどう考えても判らず、ビジー状態になった俺の思考がフリーズする。相手はそれにもかまわず手を伸ばしてシャーペンを俺の机に置いた。白と黒の、よく参加賞とかでもらうような安っぽいやつがコロンと転がる。
「これ」
「貸す」
 単語での会話になるのは授業中だからいたし方がない。俺はちらちらと木下の様子をうかがいながら簡潔に聞く。
「何で」
「ないだろ、筆箱」
「あ……、」
 へらへらしやがって、見た目どおりの単純さだ。コイツは俺が筆箱を持っていないからノートを取っていないのだと思っているらしい。
 こいつは毎日学校に行き、授業を真面目に受け、ルールに縛られることを何の疑問も持たずに享受できる人間なのだろう。ある意味とてもうらやましい。余計なことを考えずただ平坦な日々を過ごしていればこいつの人生は不幸を知らずに平穏に過ぎていくのだ。斜に構えている俺にはとてもまねできそうにない。
 気に入らない。けれど、その笑顔が純然たる善意で俺に向けられているのを思うと、「本当は持っている」とは何となく言えなかった。
「サンキュ」
 俺がぽつりと言うとやつは口を横いっぱいに引いて目を細めた。恥ずかしいほどの満面の笑み。授業中にする顔ではないだろう。
「そこ、何してる」
 ほら怒られた。木下が眼鏡の奥から冷ややかな目を向けていた。俺は視界の横でやつが慌てている姿を捉える。木下の視線がこちらにも向いていることから、俺の私語もばれているだろうし、他人事ではないのだが。
 さて、この四十分間、ノートを取っていなかったのだから本当のことを言っても起こられるのはどうせ俺だし、どう言い訳したものかな。俺が吐く嘘を隣にいる当人が黙って見過ごしてくれればいいのだが(単純だからすぐに顔に出そうだ)。
 とりあえず、ここを乗り切ったら名前を聞いておこう。間抜けな笑顔の似合う、俺の「筆箱友達」。


End.

 拍手ありがとうございました!
 これからも時の支流をよろしくお願いします。(メッセージの返信は雑記にて)



ついでに一言あればどうぞ(拍手だけでも送れます)

あと1000文字。