拍手ありがとうございます! 本編最新話までお読みいただいた後に楽しんでいただけると幸いです。 また下部に書き込み欄がありますのでご感想などお気軽にお寄せいただけると嬉しいです。 あわた わらべうた966.5 斉藤は会津行きを了承し総司とともに船着場へ移動して、近藤と土方に挨拶を済ませた。 近藤は安堵の表情を浮かべた。 「ありがとう。こちらのことは心配しなくていいからしっかり治してきてくれ」 「できれば早めにな」 養生するように促す近藤と、強引に話を進めたくせに「早く戻ってこい」と言わんばかりの 土方。総司は勝手な土方の脇を肘で突いたが、本人は素知らぬ顔だ。 近藤は懐から二つの文を取り出した。 「斉藤君、こちらは松本先生への文と…もう一つは会津公への文だ。会津公は謹慎されると 伺っているし、頼みの小姓頭の浅羽殿は当務召し上げと九十日の閉門だと耳にしたが… もし機会があればお渡ししてほしい」 「…承知しました」 斉藤は文を恭しく預かり、銀之助から荷物を纏めていた小さな行李を受け取った。 総司も剣術以外に趣味がなく荷物が少ないが、斉藤はそれ以上に極端に身の回りのものが 少ない。それは彼の生き方に関係しているのかもしれないが、総司は行李へ文を仕舞う姿を 眺めながら何となく 「斉藤さんって、実は左利きですか?」 と訊ねた。 武家の子は左利きで生まれた場合、基本的に皆が右利きへと矯正される。それは常に左側に 帯刀し、抜刀する際も左手で鞘を持ち、右手で刀を抜くのが当たり前であったからだ。 左利きであることは剣術だけでなく、書やそろばんなどの稽古でも支障をきたすので特に 武家の子には左利きはいない。 「え?どうしてですか?」 本人が答えるよりも先に銀之助が目を丸くして総司に尋ねた。斉藤は右手を難なく 使いこなしているのでそのような気配は微塵もなかったのだろう。けれども総司はずっと 昔から尋ねてみたいと思っていたのだ。 「剣を持った時は完ぺきに右利きとしか思えない使い方をしてますけど、日常的なところで 咄嗟の時はよく左手が出てますよね。さっきも行李を開けるときは左手だったでしょう? ずっと偶然かなって思っていたんですけど、今は左腕を怪我をしていて使いづらい はずなのにそれでも左を動かしていたから…そちらの方が使いやすいのかなって 思ったんです」 「へぇ…」 銀之助は感心していたが、近藤と土方もそんなことには気が付きもしなかった。斉藤の ことをよく知っている総司だからこその観察眼だろう。 斉藤は小さく笑った。 「…そうだ。生まれた時から左利きで幼少の頃は苦労した。父が剣術に支障が出ては いけないと強引に左手を縛って稽古させたおかげで、剣術や筆、箸では右を使えるように なったが、本当は左の方が勝手が良い。最初は剣の稽古で相当練習する羽目になった」 「へえ…不思議な感覚ですねぇ」 総司やほとんどの武士には覚えのない苦労だったが、銀之助は唖然とした。 「じゃあ…本当は今も左の方が便利に使えるということですよね?それでもあれほどの 剣術を身に着けられるものですか…?」 だったらもともと右利きだったとしたらさらに高みを目指していけたのだろうか… 銀之助は途方もない気持ちになって慄くしかないが、斉藤にとっては無駄な議論だった。 「いや、右利きだと今の技術を身に着けられたかどうかわからない。左の使い勝手が 良いからこそ、身体の軸がブレないということもあるだろう。だから結局は机上の空論だ」 「そうですよ、日頃の鍛錬の積み重ねですから」 「はぁ…そうですか」 斉藤と総司に指摘されたものの、剣術に自信のない銀之助にとっては想像すらできない世界だ。 そうしていると共に会津へ向かう梅戸がやってきて出立を知らせに来た。いつの間にか日が 暮れて、辺りは薄暗くなり始めている。 「では行ってまいります」 「うむ、皆をよろしく頼む。滞在場所が決まったら文で知らせてくれ」 「はい」 斉藤は近藤に頭を下げた後土方をちらりと見たが、二人は視線を交わすだけで何も口には しなかった。互いに話をせずとも土方の意図を斉藤は受け取っているのだろう。 そして総司へと視線を向けた。 「じゃあ…元気で」 「はい。道中お気をつけて」 あれほど食い下がったのが嘘のように、斉藤はあっさりとした挨拶で梅戸とともに船に 乗り込んでいく。日が暮れてしまっているので船の小さな明かりでしかその様子を窺う ことができず、その後は合図とともに出立していってしまった。 (行ってしまったなあ…) 総司は静かな船出を見送った。会津へ向かった者たちは傷が癒え次第、再び新撰組に 合流することになっているがそれがいつになるのかはわからない。彼らにとっては 一時的に隊を抜けるだけだが、総司にとってはそうではなく近藤と銀之助が去った後も 何となく船の気配がなくなるまで見送っていた。 すると土方が隣にやって来た。 「…お前、斉藤のことはよくわかってるみたいだな」 「え?ああ、なんでだろう…ずっと近くにいたからかな」 「ふうん…近くにねぇ…」 土方が妬いたように言うので、総司は少し揶揄いたくなってしまった。 「だって謎めいた人だから、興味が沸いて知りたくなってしまって。…でも土方さんは 昔から一緒にいるでしょう?今更隠し事もないでしょうし…」 「隠し事くらいある」 「へえ、そうなんですか?教えてください」 「嫌だね」 土方は話しを切り上げて「帰るぞ」と総司の腕を引いたのだった。 |
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