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拍手ありがとうございます! 皆様の温かいお気持ちが糧となっております! こちらは「宿鴉は眠らない」最新話となり、番外編ページに前話までが掲載しておりますので、 そちらと、本編最新話までお読みいただいた後に楽しんでいただけると幸いです。 また下部に書き込み欄がありますのでご感想などお気軽にお寄せいただけると嬉しいです。 宿鴉は眠らない【2】 あれから何度か刺客のような連中を撒きつつ江戸を目指し、ようやく 十日かけて松川の目的地である高輪の近くへ辿り着いた。さすがに 藩邸まで供をするわけにはいかず、手前の泉岳寺のあたりで別れを告げる。 「いやあ、助かった!君のように腕の立つ者に出会えて幸運だった!」 松川は晴れ晴れとした様子だったが、俺はどこか芝居じみているように 感じた。 「…もしや、俺のことをご存じだったのでは?」 「まさか。何故、そのように思う?」 「偶然にしては出来過ぎではと…」 確かな根拠があるわけではなかったが、新撰組へ戻るために江戸を目指す 俺に何の迷いもなく声をかけて同行を申し出たことが今になって用意周到な 気がしてきたのだ。 松川は少し笑った。 「確かに、我が主君は松本良順先生とのお付き合いがある故に新撰組の 一部が会津へ滞在することになったのは耳にしていた。だから新撰組と 鉢合わせしてもさほど驚かなかったけれど…山口君に出会ったのは 本当に偶然だ。君の面構えを見て、すぐに信用出来る人物だと思った。 君は目的を果たすために苦労を厭わない…揺らがない信念をもって 行動する男だ」 「…大袈裟です。俺は個人的な、勝手な理由で江戸に戻っただけで…」 「だが最後まで付き合ってくれた。君の目的地よりも随分遠回りに なってしまっただろうに…私を見捨てずに同行してくれた。恩に着る」 「…」 「ではまたどこかで会おう。ああ、もし胖之介さんのことがわかったら すぐに知らせてくれ」 松川はにこやかな笑みを浮かべて、気軽に手を振って背中を向けた。 俺は最後の最後まで松川の本当の名や彼が狙われている目的、彼の主君… 何もかも掴み切れずに見送るしかなかった。 (もう会うことはあるまい) 俺はそう思いながら踵を返し、本来の目的地である浅草へと向かった。 俺が会津へ向かったのは半月ほど前だが、江戸の雰囲気はその時とは少し 変わっていた。江戸城総攻撃に戦々恐々とした雰囲気であったが、 勝安房守の手腕により回避されて一旦は棚上げとなったことで落ち着きを 取り戻していた。しかし佐幕派の兵たちはさらに勢いづき、浅草にほど近い 寛永寺を拠点とする彰義隊には続々と兵が集っているという。戦を恐れて 江戸を離れた民も多く、町には空き家が目立ち、居残る家もひっそりと 閉ざされている。嵐の前の静けさ…そんな不気味さが漂っていた。 俺が浅草へ向かったのはもちろん沖田が療養しているからだ。むしろ 彼の顔を一目でも見るために五兵衛新田ではなく先に江戸へ足を向けた …なんて松川にはとても言えない、俺がひたすらに江戸を目指す不純な 理由だ。 とにかく俺は松本先生の別邸で療養している彼の元を目指した。 (しかし松本先生には振り回されっぱなしだ…) まさか松川の主君が松本先生と繋がりがあるとは思わなかった。幕府の 御典医なのだから顔は広いのだろうが、やはり松川の主君は幕府の 大物なのだろう…。 そうして俺はあれこれ考えながら浅草へ到着し、沖田が療養している 松本先生の別邸を覗いた。しかしそこには沖田どころか、人の気配がなく 門は固く閉ざされていた。念のため扉を強く叩いたが物音ひとつしない。 (留守か…?) 俺は裏口へ回るがやはり誰もいない。隙間から覗くとどの部屋もぴったりと 雨戸が締まり生活をしているような雰囲気すらない。ここには沖田や英、 それどころか誰もいない…固く閉じられた錠前がそれを表しているようで、 急に気が急いた。 (まさか) 沖田の身に何かあったのではないかーーー。 「…っ」 俺は裏手の透塀に手を伸ばしよじ登ろうとした。築地塀よりも足を掛ける 場所があって容易に乗り越えられるだろうと思ったのだ。 しかし 「何をしている!盗人か!」 と俺を咎める若い男の声が背後に響いた。焦っていた俺は周囲の確認を 怠っていたため気づかれてしまったのだ。 俺は塀を飛び降りる。すると二、三人の男たちがこちらに駆け寄って きたのですぐに逃げ出した。 「待て!待てー!」 幕藩体制が崩れ統治する者が存在しないこの城下町で、素直にお縄に付く 必要などない。俺は顔を隠しながら松本先生の邸宅を離れてあちこち 走って男たちを撒き、空き家と思われる家に飛び込んで門家に身を隠して 外の様子を伺った。 ハァハァと荒い息をする彼らは「どこへ行った?」「わからない」 「見失った」と口々に話していたので、どうやら逃げ延びたようだ。 「市中取締の任を受けている我々としては不甲斐ないが、きっと盗人の類だ。 放っておこう」 彼らの中心人物であろう若者が悔しそうに吐き捨てる。 (市中取締…彰義隊か) ここ浅草は寛永寺に程近いのでおそらく彰義隊だろう。俺はこのまま彼らが 去るまでやり過ごそうとしたのだが。 「危険な真似は止しましょう、胖之助さん」 と、一人が口にしたので驚いた。 (胖之助だと…) 松川が探している若者だ。俺は戸板の隙間から様子を伺ったところ、胖之助と 呼ばれた若者は確かに十六、七の眉目秀麗の利発そうな男で、他の二人とは どこか違う高貴な雰囲気を纏っていた。 (こんな偶然があるのか…) 「我々の敵は薩長であり、盗人ではありません。それに目立つ真似をしては…」 「ああ、わかっている。しかし黙って見過ごすわけにはいかなかった。 …ひとまず、盗人も逃げたのだからそれで良かろう」 「戻りましょう、胖之助さん」 二人は胖之助の背中を押してここを離れていく。俺は安堵のため息を 漏らしながら、門屋を出て浅草から離れることにした。 『胖之助』のことは気になったが、それ以上に今は沖田の行方が気になって 俺は市ヶ谷の試衛館にやってきた。しかし以前聞いてきた通り局長の妻と子は 屋敷を離れており、浅草同様閉め切られていた。塀を乗り越えるような真似は 謹んで、俺は屋敷を一周して離れた。 (ここにもいないなら、日野か…) しかし甲府の負け戦から日野あたりは官軍に睨まれており、いま沖田が身を 隠すには危険な場所になっているだろう。 俺は当てがなく試衛館から離れてぶらぶら歩いた。俺は隊士募集のために 江戸へ下っており、その際には試衛館にも足を運んでいたのでさほど懐かしいと 思う光景ではないが、一度も帰郷しなかった沖田にとっては感慨深い景色だった だろう。俺が試衛館で過ごしたのはわずか半年の間だったが、沖田が手練れの 食客達とともに天然理心流を自由に使いこなし道場を飛び回る姿と、 剣を置けば天真爛漫に振る舞い仲間に囲まれる姿はよく覚えている。 (俺が持っていないものを、何もかも得ていた…) いつも俺はどこか遠くから、彼を羨んでいたように思う。その気持ちが 時を経て名前を変えていくことになるとは…江戸にいた頃は思わなかったが。 俺は内藤新宿方面へ向かう。沖田の所在を探るというよりも甲州街道の様子を 窺うのが目的であったが、その途中の四ツ谷で人だかりに出くわした。 野次馬たちが集まって誰かを囲んでいる…俺が近づくと、 「ゴホッゴホッ…!」 という聞き覚えのある咳が聞こえた。 (まさか…?) どくんと胸が締め付けられて身体が強張って、俺が急いで野次馬をかき分けて 進むとそこにいたのは、やはり沖田だった。 なぜか羽織に袖を通した着流しの姿で一人で咳き込んでいる…英や他の者が いないことや、何故四ツ谷にいるのか疑問が浮かんだが、野次馬たちが 「労咳だ」「うつるぞ」「医者を呼んで来い」と騒ぎになる寸前だった。 俺は野次馬を飛び出して沖田に駆け寄った。 「大丈夫か?」 声をかけたが、沖田は虚ろな表情で苦しそうに咳き込むだけだ。おそらく 俺のことにも気が付いておらずどうにか喀血しないようにと必死に 抑え込んでいるように見えた。 俺は沖田の肩を引き寄せて支え、 「この者は私の知人だ」 と周りに告げる。そのことによって野次馬たちは興味が失せたように一気に 散っていき、沖田も気が抜けたのか意識を失ってしまった。俺はひとまず 彼を抱き上げて人気のない場所に移動しようとしたところ、 「そ、そ…宗次郎!」 幼い女の子と中年の女が駆け寄って来た。幼女は俺を睨みつけて顔を真っ赤に して怒る。 「宗次郎をどこへ連れて行くの…!」 「…宗次郎?」 「そっ宗次郎はうちに一緒に帰るの!うちの子なの!返して!」 幼女は俺の衣服を引っ張る。俺を人攫いだと思っているようだ。 『宗次郎』が彼の幼名だということは知っていたが、幼女の顔にはさっぱり 見覚えがない。「お前こそ何者だ」と問い詰めたいが、幼女はあまりに 必死に縋ってきた。俺が困り果てていると中年の女が首を傾げつつ状況を 説明した。 「あのぅ…あたしは産婆で、この子は植木屋の柴岡さんのお宅の娘で…その 御方はいまは一緒にお住いの親戚の方だと聞いてます。今、柴岡さんの 奥様が急に産気づいて戻るところで…ああ、とにかく早う戻らな」 「かか様が大変なの!早く宗次郎を返して!」 幼女は必死だが、沖田は意識がなく返そうにも返せない。色々と訊ねたい ことはあったが、産婆の口ぶりでは急いでいるようだったので 「わかった、屋敷まで一緒に行こう」 俺が提案すると幼女はようやく納得した。 俺は二人の先導のもと小走りで四ツ谷から南下して千駄ヶ谷へ向かった。すると 途中で幼女の父だという植木屋の主人と見習の若い男と合流した。 「大変だ!弥兵衛、加也先生と英先生を呼んできなさい!」 「はい!」 と若い男が慌てて駆け出していく。加也と英…二人の名前を聞いてようやく どうやら沖田がこの柴岡という者の家で療養をしているのだと悟った。 彰義隊が彷徨いている浅草よりは静養できる土地だろう。 そうして到着したのはまるで庭園の中に屋敷があるような四方を花々に 囲まれたような場所だった。 植木屋の主人と娘、産婆たちは一目散に屋敷の中に駆け込んでいき、俺は 沖田を抱えたままその場に取り残される。妻が産気づいたというなら 当然だろうと、俺はそのまま屋敷には入らずに何となく庭へと足を向けた。 庭には植木屋らしく草木は整っており、中心に大きな梅の木があった。 もう散ってしまっているが立派な花を咲かせたことだろう。 (そうか、ここにいたのか…) 俺は目を閉じた沖田に「随分探した」と声をかけたが、やはり彼は 起きなかった。俺はしばらく痩せ細った身体を抱き抱えてその体温を 感じながら庭を見渡した。 屋敷を囲う桜の蕾が春の息吹を待ち焦がれている。花園のようなここに、 まるで自分と沖田しかいないような…そんな錯覚をしたが、都合の良い 妄想でしかない。 俺は開けっぱなしになっている離れにやってきた。寝床も荒れていて、 きっと産気づいたと聞いて大慌てで娘と屋敷を飛び出したのだろう… なんとなくその光景が想像できて苦笑してしまった。 「相変わらずお節介だな」 ゆっくりと寝床に寝かせると、彼の首元から小さな音を立てて鎖と指環が 零れ落ちた。細くなってしまった指先から無くならないようにと渡した それを肌身離さずつけている…俺は彼の白く細い手を握った。 「…また来る」 聞こえていないと分かっていてもそう言い残して、俺は裏口から出ていった。 |
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