拍手ありがとうございます! こちらは「夢とさめてあとはなし」の最新話となります。これ以前のお話は「わらべうた番外編」に 掲載しておりますのでそちらをご一読ください。 夢とさめてあとはなし -4- 江戸に戻ってきたのは半年ぶりだったが、ここにいたのはつい先日のような気がした。 密集した町並みに漂う空気の匂い。 (なぁんにも変わらねー) 俺は何だか気が抜けて空を仰いだ。 都から戻った船で新撰組は品川から上陸し、釜屋という立派な旅籠にしばらく 滞在することとなった。豪勢な部屋で過ごすのは悪くはないが、それよりも 新撰組の所在や行き先が決まらないままで何となく落ち着かない。それは 俺だけでなく組長格の先生も同じだったようで、永倉先生や原田先生が連日 憂さ晴らしのように品川の妓楼へ連れて行ってくれた。 俺は相馬も誘ったが、決まって嫌そうな顔をして「俺はいい」と拒んだ。 堅物なのは相変わらずだが、それが『お前とはいたくない』と言われている ような気がして胸が痛む。 (胸が痛むっていうことは、やっぱり俺…そうなのか?いや、友達としてって ことか…?) なんだかまだ輪郭がぼやけている気がするが、無視できないほど相馬の存在が 大きくなっている。俺はもやもやしたまま品川楼で女郎に囲まれながら酒を 煽っていた。 「お、いい飲みっぷりだなァ」 徳利を持ってやってきたのは顔を真っ赤にして出来上がった原田先生だった。 俺の隣にドカッと腰を下ろすと空になっていた盃になみなみと酒を注ぐ。 「なぁにヤケになってるんだ?」 「…ヤケなんてなってねぇっすよ」 「ま、ヤケになっても仕方ねぇよなぁ。同じ組の奴がさぁ…」 「え?」 原田先生が一体何を知っているというのか。いや、むしろ俺の儘ならない 気持ちがダダ漏れだというのか?俺はドキッとしたが、 「出世して局長附に異動だもんな」 「…異動?」 「あれ?聞いてねぇの?相馬だよ、相馬。賢くて剣も立って見目も良くて気が 利くだろ?だから土方さんが特別に取り立てて局長附にしたんだよ」 「そうだったんすか…」 俺には寝耳に水だったが、別のことで頭がいっぱいで聞き流していただけ かもしれない。原田先生が肩を揺らす。 「なぁなぁ、悔しいだろ?お前は何かと相馬と張り合ってたもんなあ」 「…いや、そういうのはないっすね…相馬ができるやつだってのは本当だし、 見栄えするでしょ。…それにあいつも俺と離れられてせいせいしてますよ」 「お前たち犬猿の仲だもんなぁ?でも最近は仲良くやってたじゃねえか?」 「仲良く…ねぇ…」 入隊以来、顔を合わせるたびに歪み合い口論になっていたが、それは決して 憎しみからではなく俺が優秀で堅物そうな相馬を面白がってちょっかいを 出していただけなのだ。相馬の実力と勤勉さは誰もが知ることであり、 一番隊の中から引き立てられて局長附となったのは当然のことだろう。 俺はため息とともに呟くと、原田先生は 「ちぇ、面白くねぇなぁ」 と笑った。俺の愚痴を肴にしようと期待していたのだろう。先生は俺の肩を 掴んだ。 「じゃあお前の好みの子を教えろよ。ほら色とりどり揃ってるだろ?ほら、 あっちの子はどうだ?おすすめは端っこの子だけどさ~」 呼ばれた女郎たちはあどけなさの残る芸妓から、厚化粧の年増までさまざまだ。 吉原よりも安価で遊べるだけあってとびきりの美女はいないが、愛嬌のある 女郎ばかりだ。 「あー…じゃああの子にしようかなぁ…」 俺はこの中では一番薄化粧の女郎を選んだところ、原田先生が手招きして 女郎を俺の隣に座らせた。 「じゃあな、野村。しっかりやれよ」 「はあ…」 お膳立てしたつもりなのか意味深に親指を立てて笑った原田先生が去っていく。 呼びつけた手前仕方なく俺はおしゃべりな女郎と適当な会話を交わしていたが、 モヤモヤした気持ちは晴れそうにない。 そしてどういう話の流れか、 「お部屋、行きましょ?」 と誘われて宴を抜け出して別の部屋に移った。その意味はわかっていたし それも悪くないと投げやりな気持ちで女郎の肌に触れた。薄暗闇のなかろくに 顔を見ずに。 (女ってやわらけぇ…) まるで真綿に触れるような久しぶりの感覚に戸惑った。押し潰していまいそうな ほどか弱い存在が女というものだと知っていたはずなのに、なぜだか今はそれを 『頼りない』と思ってしまう。 (…あいつが支えてくれた手はもっと…無骨で、堅かった) 酷い船酔いの時、身を預けられる安心感があって、それを温かく…いや、熱く感じた。 こんなに幻のようなほのかな温もりではなく確かに感じることができたのだ。 「…お疲れでありんすか?」 「あ…」 はだけて乳房を露出した女郎が上目遣いで俺を見る。その場限りの鬱憤を発散 したかったのに、身体は全く反応せずまるで望んでいないかのようだった。 「…悪ぃ、飲みすぎたかな」 「ふうん」 「すまねぇな…お前さんが良いならこのまま朝まで休もうぜ」 常に寝不足の女郎にとって行為なしの睡眠は有難いものらしい。女郎は喜んで まるで事後のように隣で眠りについた。 俺はひたすらに天井を眺めていた。 (俺のなかではとっくに…白黒はっきりしてたんだな…) 翌朝。 俺は朝靄のなか、ふらふらと帰路についた。首を左右に何度か倒しながら欠伸をする。 「くそ…寝違えたか…」 誰かと同衾するのが久しぶりで身体が強張っていたようだ。都にいた頃ほど規律が 厳しくなくなったおかげで朝帰りをしても咎められることはないのだが (相馬には叱られるかなァ…) と思う。しかし相馬はすでに局長附きに異動したのだからもう文句を言われるような 関係でもないことに気が付いた。 俺は何となくつまらなくなって足元に転がった小石を蹴飛ばした。小石は地面に ぶつかって何度か跳ねて俺の歩く先へ転がっていく…たまに見失って、姿が 見えなくなって。 「…あーあ…」 相馬の栄転を喜ぶ気持ちはあるが、もう何の繋がりも無くなってしまったと思うと 俺はどうやって相馬に声を掛けたら良いのかどうかさえわからない。何もかもが 今更で、ずっとそこにいたのに遠くへ行ってしまったような気がした。こうなると 釜屋に戻るのも億劫で、相馬とどんな顔を合わせていいのか…。 (これが恋ってやつかぁ…) 俺はまた小石を蹴る。遠くに飛んでいったそれは予測不能な動きをして、 「いてっ」と誰かに当たってしまったようだ。霧が濃かったので人がいたことすら 気づかなかった俺は咄嗟に 「あ、悪ぃ…」 と駆け寄って謝ったところ、そこにいたのは相馬だった。 「…お前か」 「な…なんでここに?」 「早く目が覚めたから鍛錬に行くところだ。宿屋だと他の客に迷惑をかけてしまう」 「そ、そう…」 心の準備がなく相馬と顔を合わせたせいで、俺の目は泳いでしまう。相馬も 気が付いただろうが、先日の船中のやり取りの後ずっと気まずいままだったため 何も言わなかった。 「…品川へ行っていたのか?」 「あ、ああ…その、原田先生との付き合いって言うか、憂さ晴らしっていうか…」 「憂さ晴らしか…まあうっ憤は溜まるよな」 俺の言い訳じみた答えを聞いて相馬は少し目を伏せたので、誤解をさせてしまった と思った。 「いや!俺は抱いてない!」 「…はぁ?」 「指一本触れてねぇとは言わねぇけど、何もしてないから!」 女郎と同衾したことは間違いないが、相馬が誤解するような真似は一切していない …と俺は身を乗り出して潔白を主張したが、相馬は 「何を弁明しているんだよ」 とあきれ顔だ。 「…と、とにかく相馬に誤解されたくないだけだ」 「誤解も何も…好きにしたらいいだろう。俺とお前はもう所属が違う。一番隊の 斉藤先生の許可が出ているなら、酒を飲もうが朝帰りしようが俺には関係な…」 「関係ある!」 俺は相馬の手首を取った。相馬の顔が一気に赤らんで逃れようとしたが、俺は 渾身の力を込めて離さなかった。 「の、野村…?」 「相馬、俺の念者になってくれ!」 ―――静かな朝、俺の懇願はよく響いた。 |
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