▼ 熟れゆく秋
じっと見つめたまま手を動かそうとしない黒子に、きらいだったか? と問う。はっと跳ね上がった顔はすぐさま左右に振れて、隣の青峰を見上げた。
体温が空気を伝うような夜だった。
やけに静かで敏感で、特別寒いわけじゃないのに肌が粟立つ。床に腰を下ろし自室のテレビに目を向けつつも、青峰は傍からぶつかる瞳を掬うように見つめ返した。
剥きたてのゆで卵のようなつるりとした白い肌からも、ほのかに甘い香りが立つ。果実のようで花のようで、でもどれともつかない匂いはきっと、愛とか恋とかそういう類が持ち得るなにかだと思うのだ。
引き寄せられるように顔を近づければ、黒子はぴくり、と肩を揺らすものの、抵抗はしなかった。まだほんのり湿ったままの襟足に鼻先を突っ込み、すん、と吸い込む。そこで初めて、青峰くん、と言葉だけの抵抗を見せた。
「きらいだったら残せよ」
「嫌いじゃないです」
「食えねぇのか」
「そうじゃなくて……いまは、」
「いまは?」
片手で軽く肩を押し返され、そのままゆっくり背を起こす。画面の中の試合はいいところだった。ボールデッドから反撃が始まる。さっきまで夢中になって見つめていたところから呆気なく意識を引き剥がしてしまうのだから、そのフェロモンたるや強烈だ。
あぁ、なるほどフェロモンか。
自分で思い至ったことに心の中で苦笑する。いい匂いだ。ぼそり、と口にした自分はほとんど獣だったに違いない。
青峰の心中をどれほど見透かしているかは分からないが、大きな瞳は一度瞬きした後、すん、とまた真下を向いた。銀色のフォークの先に突き刺さるのはとろとろに熟れた柿だ。母親が剥いていたものをなにとはなしに風呂上がりに持って上がった。
「柿、昔はだめでした」
「ふーん」
「固いのはずっと大丈夫だったんですけど、こう熟してやわらかくなると、なんとなく触感が苦手で」
「あー、そういうのはあっかもな、」
俺もバナナはかてぇやつが好き、と青峰がぐさり、とガラスの器の真ん中を刺す。串刺しの柿は弾力を残しつつも、滲むようにやわらかく輪郭を崩していた。頬ばると途端に蕩ける甘い果肉、舌先でつつけば歯と歯の間を擦り抜けるようにつるり、と暴れた。
あめぇ、と青峰が言うと、黒子も口に運ぶ。あっさり半分に噛み千切られた断面がとろとろとしていた。
「いまは好きですよ」
「ん……じゃあいっぱい食えよ。テツ来てっと調子乗ってなんでもすげぇもりだくさんになっから」
「ふふっ、はい」
今夜も騒々しかった食卓を思い出してはげんなりしつつも、それはそれで幸せなことだと思う。しょっちゅう家に上がって夕食をともにすること、願うどころか想像すらままならない時間があった。
一瞬テレビに移った目もくちゅ、という音に引っ張られ、濡れた唇を見つめる。フォークを引き抜く様がこれまた強烈だった。素直すぎる体は火をくべられた鍋みたく、ふつふつ、ぐらぐらと煮え始める。
「……んなエッチな食い方すんなよな」
「なんですか?」
「あー……柿ってエロい」
「……」
「なに想像してんだよ、テツ」
「……」
小さな音を立てて置かれたフォークを放した指が濡れた唇をなぞった。ゆっくり、横に滑らせる。何度かの咀嚼のあと、ごくん、と上下する喉仏が白くてだめだった。ふあ、と開いた唇の合間に舌を差し込めば、吐息で名前を呼ばれる。
果実の匂い、ソープの香り、伝わる熱と痺れるような衝動、ずん、と重くなった腰をからかうように腿に這う指を捕まえ、抱き寄せた。背凭れにしていたベッドがかすかに軋む。試合の音は遠くなる。
「……電気、」
「いいよ、」
「……」
「もう、食えねぇな」
まともな顔して、と囁いた声はたくし上げる布の中に消える。階下の足音にふたり震えながら、熟れた舌を何度も何度も繋げた。
「きみが熟して、どうするんですか」
「テツが言うな、」
ピーッ、とホイッスルが鳴る。歓声が響く。スウェットの上からなぞった熱に重い息を吐きながら、湿った肌をくっつける。とけそう、どちらなく呟いてはとめどない熱に言葉を失くした。
(青黒)
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