文通ごっこ 6 







「ねえサンジさん。明日空いてたりしないかしら?」
「へ? どーしたのビビちゃん。まままままさかデートのお誘い!?」
「ううん、違うわ」
 あっさりと首を横に振られ、サンジはがっくりと項垂れた。そうだよね、うん、知ってた、と心の中でだけ涙を流した。
「あっ、ごめんなさい、サンジさん」
 しかも正当に謝られると心に痛い。サンジは顔を上げて、にこりと笑ってみせた。
「いや、でもどうしたの、珍しいね。休日におれを誘うなんてさ」
 ビビは良いところのお嬢様なので、土日はお稽古事に忙しい。たまにクラスメイトで遊びに行ったりはするが、それも前々から予定しておくことになっている。前日に急に予定を聞かれるなんてことは、今まで無かった。
「なんかあるの?」
 首を捻ると、ビビは両手を合わせて指先を口元に当てた。その唇は嬉しそうに微笑んでいる。素晴らしく可愛かった。ビビちゃん可愛すぎるぜ、とサンジはしばらくぼうっと見とれてしまった。なので、ビビの言葉に一瞬だけ反応が遅れた。
「実はね、ナミさんが東京に来るの」
「……えっ!? ほんと!?」
 言葉が頭に落ちてくると、サンジは素っ頓狂な声を上げてしまった。まさか実際に会うほどの仲になっているとまでは思っていなかったので、かなり驚いた。
「うん、本当。大学の下見に来るんですって。そのついでで会いましょうってことになったの」
「うわ、まじかあー。おれもお会いしたかった! ……日帰りだよね、やっぱり」
「ううん、私の家に泊まってもらうつもりよ」
「う、うらやましいっ! ビビちゃんのお家!」
 思わず本音を漏らすと、ビビは可笑しそうに笑った。
「いつでも遊びに来ていいって言ってるのに」
「いやいやだめだめ。コーザに捻られるよ」
「そうかしら」
「そうだって。だめだよビビちゃん。彼氏以外の男に簡単に『部屋に来てね』なんて言っちゃ」
「……部屋に、とは言ってないんだけどね」
「あああー! ナミさんがいらっしゃるのかあ! お会いしたかったなあああ!」
 心の底から無念で、サンジは本気で店の手伝いを免除してもらおうかと思ったくらいだった。しかし、生憎大口の予約が入っていることが決まっている。ただでさえ忙しいのに、明日はその倍以上の多忙が約束されているのだ。とても休みが欲しいと言える状況ではなかった。しかも前日では、ピンチヒッターを頼む時間もない。
 ビビも分かっているのだろう、サンジに「仕事を休めない?」と聞くことはなかった。
「ナミさんと写真をとっておくわね。後でサンジさんにも見せるわ」
「うん、頼むよビビちゃん! 焼き増しして! 焼き増し! 枕の下に入れて、毎日ナミさんの夢を見るぜ、おれは!」
 拳を握り締めて宣言すると、ビビは苦笑いをした。
「そう上手くはいかないと思うけど……」




「一息入れていいぞ、チビナス」
「……おー」
 じゃがいもの皮むきが終わったところに、ゼフから休憩の許可が下りたので、サンジは半ばよたよたとしながら、裏口を出た。これからが本番だが、さすがにサンジはまだ調理ができる身分ではない。下ごしらえとテーブルセットが終わったところで、休憩の時間となった。
 扉を開けると、すっと冷えた空気が吹き付けて、厨房の熱気に当てられていた顔を冷ましてくれた。
 気持ちが良くて、サンジは二度三度深呼吸をした。裏口という環境が良いとは言えない場所だが、ちゃんと掃除をしているので汚くはない。
 店の壁に寄りかかると、ゴミ置き場に置いてある袋の口が開いているのが見えた。サンジは「仕方ねェな」と呟きながら縛りなおした。
 新人はゴミの出し方もなってねェ、と自分よりも年上のコック見習いに悪態をついてみる。
 休憩時間は十五分くらいだろう、とサンジは裏口から表通りに出た。いつもだったら、隠れて煙草を吸うところだが、今日は少し広い空間で吸いたい気分だった。さすがに、大口の予約が入るときつい。
 表通りに面したところまで出て、サンジはうんと伸びをした。ビルとビルの隙間から、紺色の空が見える。すでに紫がかっているので、完全に暗くなるまでにそうかからないだろう。あー、一日が終わる、と思いながら、ぼんやりと道行く人を眺めていた。
 今頃、ビビはナミと合流して楽しんでいるのかもしれない。一息つく余裕が出来て初めて、サンジはやっぱり惜しいことをしたなあ、と後悔した。
 折角地方から来てくれたのだ。会う機会など、そうそうないだろう。
 でも、大学の下見って言ってたし。
 なら、再来年には、ナミは東京の大学に来るかもしれないのだ。
 それなら、また会う機会もあるだろう。
 つらつらと連想して自分を慰めると、サンジは煙草を咥えた。完全に法律違反であるが、覚えてしまった悪癖はなかなか抜けない。ゼフも黙認しているので、休憩時間に堂々と吸うようになってしまった。勿論、見つかれば容赦ない蹴りが飛んでくるのではあるが。
「あー、極楽極楽」
 夜の空気の中に、白い煙はすぐに消えていく。携帯灰皿を取り出して、短くなった煙草を捻じ込んでポケットに仕舞うと、サンジはもう一度背伸びをした。
 そろそろ戻るか、と思いながら大通りに目を移すと、ちょうどそこに立っていた人間とばっちり目が合ってしまった。
「……あ?」
 背伸びしたままの手が、中途半端に空中で止まってしまった。偶然に目が合ったんじゃない、とサンジは思った。見られていた、と気づく。
 若干近視気味のせいで、目が合ったとわかったものの、顔はよく見えない。
 しかし、どこかで見たような気がした。
 手を下ろしながら、少し頭を傾げた。目が合った人物は、道の向こう側で、真っ直ぐサンジを見ていた。ここらでは見かけない制服を着ている。年の頃は同じくらいなのだろう。スポーツバッグを左側に、右肩に独特の細長い袋をかけている。
 ……竹刀?
 サンジは目を見開いた。連想が、ある人物に直結する。
 まさか、と思っていると、彼は車が通り過ぎるのを待って、こちらへ歩いてきた。店の明かりに照らされて、はっきりしなかった顔が見えてくる。サンジはその顔に見覚えがあった。なぜか何度も見返してしまった、あの雑誌の中の顔と同じだった。
 じっと目は逸らされずに歩いてくる。サンジは気迫に押されたかのように、一歩だけ後ずさってしまった。一歩だけで済んだのは、壁があったからだった。サンジの周りには、こんなに目に力のある奴なんていなかった。気圧された、と気づいて、サンジは眦に力をこめた。瞬時に、負けられねェ、と体が戦闘態勢を取ったかのようだった。
 誰だ、と思考がまとまる間もなく、彼は距離を詰めてきた。サンジから五歩ほどの位置で止まると、彼はサンジを見て口を開いた。
 どうしておれはこんなに緊張しているんだろう、とサンジは握り締めた手をほどきながら思った。
 ……ってか、なんでこいつがここにいんだよ。
 真っ当な疑問がやっと浮かんできた時に、彼の背後から声が聞こえた。
「あー! いたー! ゾロっ!」
 びくりと震えて、サンジはやっと彼から目を逸らすことができた。目の前の人間もまた、開きかけた口を閉じて、声が聞こえた方を振り返っていた。サンジの肩から、ほっと力が抜ける。金縛りが解けたような気分だった。
「ちょっと! あんた一人で行動すんのやめてって言ったでしょ! あんたを都会に野放しにしたら、一生家にたどり着けないでしょ!?」
 オレンジ色の髪をした少女が、男に掴みかかるようにしてまくし立てた。壁に阻まれて無理だったが、気分的にもう一歩後ずさりたくなるような勢いだった。掴みかかられた男は、うんざりしたように眉を顰めた。
「おいナミ。てめェ、バカにしてんのか?」
「バカになんてしてないわよ! 当然の理を述べたまで! あー! もうっ! ほんっとに腹が立つっ!」
「お、落ち着けよナミ……」
「これが落ち着けるかっての! 二時間も捜し歩いたのよ! しかもタダで! あんたもちょっとは腹立てなさいよ、ウソップ!」
「……もうおめェの激昂だけで十分だよ。おれの気は済んだ。とにかく、見つかってよかったぜ、ゾロ! 携帯も持ってねェんだもんなあ、お前」
 今度はやたらと鼻の長い少年がしみじみと頷いている。
「あんな面倒くせェもん、持てるか」
「いやそこは持っとけよ、常連迷子としては」
「おれは迷子じゃねェ。お前らが迷ったんだろ。現に、おれはちゃんとここに着いたぜ?」
「あんたを探して遅くなったに決まってんでしょ! このアホ!」
 学ランの襟元を引っつかんで、美少女ががくがくと男の頭を揺らしている。
 なんだこれ、修羅場か? とサンジは訳がわからなくなってきた。
「サンジさん」
「……ビビちゃん」
 声の方に振り向くと、苦笑いを浮かべたビビが立っていた。馴染みの顔を見てこんなにほっとできるなんて、サンジは今まで知らなかった。
「……えーと、これなに?」
「サンジさんに会いに、みんなで来ちゃいました」
 えへへ、と笑うビビは非常に可愛かった。
「あ、あなたがサンジくん? 初めまして、ナミです。この間は美味しいお菓子をありがとう」
「おれはウソップだ! 菓子美味かったぜ、ありがとな!」
「は、はあ……」
 これが麗しのナミさん! と思いながらも、サンジは反応できなかった。女の子を前にしてこんな体たらくなのは初めてだ。それよりも、無言で佇んでいる男の方が気になるなんて、前代未聞だった。空前絶後だ。
「やっぱ、合ってたか」
 彼は、サンジを見て一人頷いた。雑誌の通り緑色の頭をしている。
「……あんたが、ゾロか」
「おう」
 ゾロは頷いた。
 サンジはそこで言葉を飲み込んだ。何を言って良いのかわからなかった。接客業のセミプロとしては情けない顛末だった。
 ――だって、こいつまで来るなんて、知らなかった。
 助けを求めるかのような気持ちでビビを見ると、彼女はいらずらが成功したかのように、にこりと笑った。
「実は、秘密にしていたんです。本当は、ナミさんだけでなく、みんなで来てくれたの。さっきまで、カヤさんのところに行っていたのよ」
「……そうなんだ」
 そこは秘密にする必要があるのかい、ビビちゃん。とサンジは問いかけたくなったがぐっと堪えた。思春期の女の子のすることに逆らってはいけないのだ。
 さて、この状況をどうするべきなのか、と思っていたところで、背後から怒声が聞こえた。
「チビナス! 休憩時間はとうに終わってんだろうが! いつまで油売ってやがる! さっさと給仕しやがれ!」
 レストランの扉を蹴破るように出てきたゼフが、サンジを取り囲んでいる面々を見て、眉を顰めた。
「……友達か?」
「あー、まあ、そんなもん?」
「ああ?」
 疑問系で返したせいで、ゼフはますます眉を寄せた。
「こんばんは、すみません、お仕事中に突然お邪魔してしまって」
 ビビが頭を下げると、ゼフはやっと寄せた眉を少しだけ緩和した。本当に少しであるが。
「ああ、ネフェルタリ家のお嬢さんか」
「はい。今日はサンジさんに会わせたい人たちがいたので、訪ねてしまいました。お仕事の邪魔をして、すみません」
「びびびビビちゃん! ダメだよ、ジジイなんかに謝っちゃ!」
「ああ? なに言ってんだチビナス」
「ナス言うな!」
「いいから、上がってもらえ」
「……は?」
「間抜け面してんじゃねェよ。客を店の前で待たすな」
 そう言うと、ゼフは店の中に入ってしまった。
「サンジさん。ごめんなさい、怒られてしまって」
「いや、ビビちゃんのせいじゃないよ」
 サンジは振り返って、初対面の三人を見回した。
「えーと、とりあえず、中で飯食ってってくれよ」
 そう提案すると、ナミの目がきらりと光った、ように見えた。
「あら、いいの? 私、こんな立派なところで食べられるだけのお金持ってないんだけど」
「いいんだよナミさんっ! ここはジジイの奢りだから」
 ゼフが自ら「上がれ」と言ったのだから、暗黙の了解でそういうことになる。サンジはゼフの言葉に甘えることにした。このまま帰ってもらうのはさすがに気がひける。
「ほんとに? 後で請求されても払わないわよ?」
「もちろんさ!」
「ナミ、おめェって奴は……」
 ウソップが嘆かわしいという風にため息を吐いた。これが、カヤの文通相手なのだろう、とサンジは改めてウソップを眺めた。
「早くしねェかチビナス!」
「うっせェな、今行くっつってんだろ!」
 店内からの声に怒鳴り返して、サンジは唐突にやってきた客人たちを店に促した。
 最後に扉を潜ったのはゾロだった。店に入る瞬間に、サンジを振り返った。
 何か言いたそうな目をしていたが、サンジはその背中を押した。
「おら、とにかく食ってけ。腹減ってんだろ」
 ゾロはサンジをじっと見た後に、ビビたちが向かった席へと歩いていった。
 視線が外れて、サンジはどっと疲れが足から這い上がってくるのを感じた。このままベッドにダイブしてしまいたくなるくらい、疲れている。大口予約の客が三つ重なっても、これほどは疲れなかっただろう、というくらいだ。
「チビナス! オーダーだ!」
 大口予約客の料理が始まっている。飲み物の注文を取るために、サンジはテーブルへと早足で歩いていった。
 とにかく、今は仕事だと気分を入れ替えて。
 追いかけてくる視線に蓋をするように、サンジは仕事に没頭した。








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