・人の振り見て振り返れ9


「済まないが、火を貰えないかね?」

 トイレで用足しをしていた俺にそんな声が掛けられたのは、ちょうど、他の連中が教室に戻って、俺の周りに誰も居ない時だった。
 まぁ、大概の奴は残念な事に、俺を見かけると去っていってしまうので、トイレで順番待ちとかは無いのだが。
 スゲェ微妙だが、俺と北野の利点、と無理やり思わなくも無い。

 さて、火だが。
 俺はタバコは兎も角、ライターなど持ち歩かない。
 買うのが勿体無いのだ。ならどうするかというと。

「はいどーぞ」
 
 氣で炎を作るのだ。
 一旦出来てしまえば後は簡単で、しかも自分の意思一つで出したり消したり出来、安全でコストも掛からない。
 まさにうってつけの方法である。そしてそれ故に俺の定番だった。だから――――――。

「ああ、ありが……と……」

 相手の言葉が不自然に途切れるまで、俺は自分の取った行動の拙さに思い至らなかった。
 己の取ってしまった行動の拙さに。

 やっべぇ。
 人前でやらかしてしまった。
 しかも声から察するに大人、というかオッサンに。

 此処の喫煙者比率の低さゆえに全く思い当たらなかった事に愕然としつつも、脳内で誤魔化しについて思いをめぐらせる。
 ライターを隠し持っての一発芸、辺りで片付けられればよかったのだが、前述の通り俺はライターを所持していないので、もう一度やれといわれたらどうしようもない。
 こんな事ならば、黒田から巻き上げておくんだったと思いつつ、見たくないと思いながら男の方を見れば。
 口をあんぐりと開けたまま固まっている男が居た。 

 背広にネクタイ。髪は少しばかり横がボサボサ気味で、寝癖のように見えなくも無い。
 が、格好はまごう事なき教師の姿だ。
 これが事務員さんとかならどうにか頼み込めば黙ってくれたかもだが。

 と、男の手に持っていたタバコが落ちる。
 そこには、きちんと掃除されてないのか、トイレットペーパーの切れ端があって。
 案の定、ほんの少々であるが火が燃え上がった。

 咄嗟に、俺は動く。
 呆然とした状態から、漸く何らかのアクションを起こそうとする男の機先を制するが如く。
 素早く一歩踏み出し、タバコとペーパーの切れ端をふんずけた。

「おっと、危ねぇ。
 火傷するところだった」

 大げさ過ぎる表現。
 まぁ、もしもあと5分位、誰も気付かずそのままだったら、服に燃え移って火傷する事もあったかもしれないが。 
 しかし靴を這い登る前に消えるだろう。結論、やっぱあり得ない。

 しかし、俺の頭脳は、悪あがきの為にこれを口実にする心算でいた。
 教師が小火騒ぎとか拙い事この上ないだろう。
 実際は小火にすらならんレベルだが、どうにかなる、というかどうにかする。

 俺は、そのままあっけに取られた様子の男にニヤリと笑いかけた。
 そして背中を向ける。
 顔が引きつってない事を確認しながら、背後の教師に短く言葉を残した。

「お互い、此処は見なかった事にしましょう。
 その方がお互いの為でしょう」

 背後の男からの返答は無い。
 思考停止に陥ってるのか、何事か考えてるのか。
 しかし、兎に角突っ込まれないうちに、と俺は足早にその場を去った。


[SIDE:???]


 北野誠一郎。通称、悪魔番長。
 凶悪な容姿と狡猾な頭脳を持つ、此処、碧空高校の番長。

 そして火引要。
 知名度は北野程ではなく、実力も不明だが、何故か北野を立てている。
 もしかすると何処かで北野に敗れているのかもしれない。

 正直なところ、この男については、北野の序の心算でしかなかった。
 幾乃の話では実力の程が知れない、という事だったが、それでもあの男以上ということは無いだろうと思っていた。
 この男が、目の前で指先から炎を出すまでは。

 何だアレは!?
 トリックか何かが……いや、立てた指は一本だけ。どう考えてもライターどころかチャッカマンすら隠せん。
 しかし……、ならばアレは何だというんだ!? まさか氣の使い手だとでも言うのか!?

 浮かんだ考えを瞬時に打ち消す。あり得ない、と。
 氣なんてものは現実には先ずあり得ない。世間で「本物」と言われる連中を貶める気は無いが。
 確かに、一部の人間がそういったものを扱える「らしい」というのは信じてみても良い。
 そう思わなければ信じ難いほどの事を行うものもいたのだから。

 だが、あり得たとしても、あの歳でそれを修めるのは先ずあり得ないだろう。
 その一握りの「本物」達はドイツもコイツも何時死んでもおかしくない様なしわくちゃの老人だ。
 そんなになるまで鍛錬をして漸く至れるであろう領域。
 そこに、私の半分ほどの年齢のガキが達しているなどあり得ないにも程がある。

 思わず本来の職分を忘れてただ目の前の相手を叩こうとした私は、しかし直ぐにその勢いを殺される事になる。
 私が足を踏み出すそれより数瞬早く、目の前の男が私の間合いに踏み込んできたのだ。
 私は思わず男に目をやる。男、火引要は嘲笑っていた。

「おっと、危ねぇ。
 火傷するところだった」

 機先を制された。
 そう思い距離を取ろうとするが、足が動かない。
 気圧されているのだ私が。この目の前の、得体の知れない実力者に。



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