THANKS FOR CLAP!
そういえば、娘が進んで歌を口ずさむなど、非常に珍しいことであった。
旋律に言の葉を載せることは好むようだが、みそひともじに思いの丈を託すことはさほど好まないらしいことを知っている。伊達に、日々を共に過ごしているわけではない。もっとも、いつだかその旨を指摘した折には、好悪でなく、得手不得手の問題であるとむくれていたが。
「もう一度」
「え?」
「よく、聞こえなんだ」
だからもう一度詠ってほしいと、重ねて乞うた時の気まずげな表情は、何に因るものだったのだろう。わずかに躊躇い、娘はまず、ささやかな抵抗から着手する。
「特に、そんな。改めてお聞かせするようなものではないかと思います」
「お前が歌を詠むなぞ、しかも自ら、必要に駆られたわけでなく。これは、由々しきことであろう?」
「……では、気のせいでございましょう」
「この距離で、俺が、お前の声を聞き逃すとでも?」
「空耳という可能性は?」
「お前がこれほど必死に言い募るのに?」
真に気のせいで、空耳であったのなら、きっと娘は男の身を案じるはず。疲れが溜まっているのか、何か良からぬことを考えていたのか。それとも、ヒトの身では計り知れぬ不可思議に、また巻き込まれているのかと。
「なんだ、恥じらってでもいるのか? 別に、評を下すつもりなぞない」
ただ、興味が湧いただけだ。男ではきっと永劫に辿り着くことも、見聞きすることも、察することも能わぬだろう娘の郷愁が、こうして零れ落ちていることに。
「だって、絶対に通じません」
「なら、言葉を添えればいい」
「わたしも別に、詳しく知っているわけではありませんし」
「俺にもわからん。誰に何を言われることもないではないか」
「……なぜ、そんなにご興味を示されるのです?」
「………単なる気まぐれだ」
なぜ、なぜと。娘は問う。本当に、心底から不思議そうに首を傾げて。察しの決して悪いわけではないくせに、こういった心の機微も、他人のものならばもっと細やかな観察眼を発揮するくせに。
いっそ、目など反らせないように突きつけてやろうかと思うこともある。だが、まだ早い。まだ時期尚早なのだと、男は苛立つ内心を宥めすかす。娘はきっと不安なのだ。どれほどに男が情を傾けようとも、邸のあらゆる者から目をかけられようとも。世界がいかに残酷なのかを、誰より知っていればこそ。
「いいから、聞かせろ。俺は、お前のもたらすあらゆるものに興味があるんだ」
そして娘は男には逆らわない。多少の抵抗を示すことはあっても、本質的には逆らわない。こんな、無意識の絶対服従が成り立つ中で、男の内心で燻っている想いのうち、いったい何をどう伝えようというのか。
まだ早い。けれど、ではいつになれば良いのだろう。
今宵逢う人みな美しき、と。月を見やってそんな言葉をしっとり奏でる横顔は、どこの男にみそめられるか知れたものではない色香を醸す。
まったくもって罪深いものと、ひっそり息を吐く男の頭は、そしてすぐさま、美しい桜木の候補を探すことで一杯になる。どうか、共に過ごす日々の重さが、永劫に届かぬ郷愁に一日でも早く追いつくようにと願って。
Spring will come soon !
旋律に言の葉を載せることは好むようだが、みそひともじに思いの丈を託すことはさほど好まないらしいことを知っている。伊達に、日々を共に過ごしているわけではない。もっとも、いつだかその旨を指摘した折には、好悪でなく、得手不得手の問題であるとむくれていたが。
「もう一度」
「え?」
「よく、聞こえなんだ」
だからもう一度詠ってほしいと、重ねて乞うた時の気まずげな表情は、何に因るものだったのだろう。わずかに躊躇い、娘はまず、ささやかな抵抗から着手する。
「特に、そんな。改めてお聞かせするようなものではないかと思います」
「お前が歌を詠むなぞ、しかも自ら、必要に駆られたわけでなく。これは、由々しきことであろう?」
「……では、気のせいでございましょう」
「この距離で、俺が、お前の声を聞き逃すとでも?」
「空耳という可能性は?」
「お前がこれほど必死に言い募るのに?」
真に気のせいで、空耳であったのなら、きっと娘は男の身を案じるはず。疲れが溜まっているのか、何か良からぬことを考えていたのか。それとも、ヒトの身では計り知れぬ不可思議に、また巻き込まれているのかと。
「なんだ、恥じらってでもいるのか? 別に、評を下すつもりなぞない」
ただ、興味が湧いただけだ。男ではきっと永劫に辿り着くことも、見聞きすることも、察することも能わぬだろう娘の郷愁が、こうして零れ落ちていることに。
「だって、絶対に通じません」
「なら、言葉を添えればいい」
「わたしも別に、詳しく知っているわけではありませんし」
「俺にもわからん。誰に何を言われることもないではないか」
「……なぜ、そんなにご興味を示されるのです?」
「………単なる気まぐれだ」
なぜ、なぜと。娘は問う。本当に、心底から不思議そうに首を傾げて。察しの決して悪いわけではないくせに、こういった心の機微も、他人のものならばもっと細やかな観察眼を発揮するくせに。
いっそ、目など反らせないように突きつけてやろうかと思うこともある。だが、まだ早い。まだ時期尚早なのだと、男は苛立つ内心を宥めすかす。娘はきっと不安なのだ。どれほどに男が情を傾けようとも、邸のあらゆる者から目をかけられようとも。世界がいかに残酷なのかを、誰より知っていればこそ。
「いいから、聞かせろ。俺は、お前のもたらすあらゆるものに興味があるんだ」
そして娘は男には逆らわない。多少の抵抗を示すことはあっても、本質的には逆らわない。こんな、無意識の絶対服従が成り立つ中で、男の内心で燻っている想いのうち、いったい何をどう伝えようというのか。
まだ早い。けれど、ではいつになれば良いのだろう。
今宵逢う人みな美しき、と。月を見やってそんな言葉をしっとり奏でる横顔は、どこの男にみそめられるか知れたものではない色香を醸す。
まったくもって罪深いものと、ひっそり息を吐く男の頭は、そしてすぐさま、美しい桜木の候補を探すことで一杯になる。どうか、共に過ごす日々の重さが、永劫に届かぬ郷愁に一日でも早く追いつくようにと願って。
Spring will come soon !