メールが届いていたのに気づいたのは、家に戻ってからだった。先に戻っていた家族を起こさぬようにそっと洗濯物を洗面所に出したときにカバンの中で携帯電話が光っているのに気づいた。差出人は、アイツだ。
件名:今日
本文:お疲れ様でした。ずっと見てました。
いつもと違い、絵文字も何もそっけの無い内容に俺は少し考える。そして随分気を使わせてしまったものだと頭を掻き毟った。
確かに、今日は準決勝で負けた。それについてはどうしようもなく悔しいし、今日で自分の高校野球という一つの区切りがついてしまったことに対して、虚無感すらも感じた。だが、それと同時に爽快感も感じている。漠然と負けたらこう感じるんだろうな、と思っていたどれとも違う気持ちで俺はそのことに少し驚いていたぐらいだった。
やはりこの気持ちはこのメールを送信した張本人のおかげであるとも分かっている。けれど、既に時計は短針を右半分に寄せており、今更返信もないものだ、と俺は携帯電話をまたカバンに戻した。明日にしよう。
それから俺は手早くシャワーを済ませて、早々にベッドへ身を投げた。確かに胸の奥が熱い。目を閉じると、甲子園のマウンドに立っている自分の目線がそのまま再現された。応援席を見渡し、同じ水色の帽子を被った彼女を目の端に捉える。俺は遠く離れていた彼女の笑顔を確かにあそこから見た。そのまま俺は意識を手放した。
『もしもしっ!志波くんおはよう』
「おはよう……今良かったか?」
『うん、どうしたの?びっくりした!』
俺はメールを打つのももどかしく、朝起きてすぐ電話をかけることにした。そして電話をかけると、電話で話すことすらもどかしく感じることに気がついた。
「お前、今日、暇か」
『え?今日?暇だけど……』
「じゃあちょっと会えないか」
『う、うん、いいよ。何時ぐらい?』
今すぐにでも、と思ったが、そんなことを言えるはずもなく、俺は時間と場所の指定をして、電話を切った。そのまま携帯電話をベッドの上へ放り投げると、俺は洗面所へ向かった。
今日も、うだるような暑さだった。
とりあえず森林公園を指定してみたが、この暑さの中、俺は既に汗だくだった。居並ぶ木立の作り出す濃い影に入ってみたものの、感じる暑さは変わりもしない。アイツがきたらすぐに移動しようと考えていたところだった。
「志波くんお待たせ!」
ターコイズと言っただろうか、南の海の色のような青いワンピースを着ていた彼女は涼しげにみえた。よく見ると、彼女も汗をかいてはいるようだったが、俺のそれとは全然違った。
「暑いな」
「うん…今日も暑くなるって今朝天気予報で言ってた」
「噴水のほうでも行ってみるか…」
「そうだね!」
笑いかけた彼女に俺も笑顔を返す。いつも通りのその様子に俺は少しほっとしていた。
噴水広場には何組かの子供連れが水遊びに興じているほどで、人出はほとんどなかった。こんなに暑ければそれも仕方が無いと俺は思う。既に隣のアイツはハンカチを取り出して、顔に当てていた。
「…暑いな」
「…うん、暑いね…」
しばし、目に入る子供たちの遊んでいる様を黙って見ていた。羨ましいぐらいに涼しそうだ。あんまりな日差しに木陰へと移動することにした。芝生に直に座る。清清しいほどに草はからっとしていた。
「陰はちょっと風が入ると気持ちいいかもね」
「そうか?やっぱり暑いけどな」
「っていうか志波くんが誘ったんじゃない」
「そうだな……」
ぶつぶつ言いながらも付き合っているお前は何だ、と返そうとして、昨日のメールの返事をしようと思い出した。麦わら帽子を被りなおしているその姿を覗き込む。
「メール見た。ありがとな」
ぱっと彼女がこちらを振り仰ぐ。じっと視線を浴びせられて、余計に暑苦しい。
「ううん、あの、お疲れ様でした」
「ああ。”ずっと見てて”くれてありがとう」
昨夜、自分の心にすとん、と降りてきた彼女からのメールの文面を思い出した。そうか、とそれは時間差で俺の脳に信号を与える。
「!!別に、そのまま内容言わなくても、いいじゃない…!」
「ありがとうって言いたかっただけだ。自分でよこしたメールのくせに、恥ずかしいのか?」
「べーつにー」
嬉しかった。
お前が見ててくれるから頑張れたんだ。俺は力を出し切ることができたんだ。
言おうと思えばそういうことを言えるはずだった。
でも顔を見た途端、どうしても言えなくなる。まだ俺は少し、臆病者だ。
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