1.デリバリーコント風小話「チョロ松とトド松の 本当はものすごい 幽霊屋敷」


「ここが噂の幽霊屋敷か~」
「ねえトド松。もう帰らない? 男二人でこんなところ来たって何も楽しくないだろ」
「あっれぇ~? チョロ松兄さん、もしかして怖いわけぇ?」
「こっ、怖いとか怖くないじゃなくて、そもそも意味が分からないって言ってんの。なんで急に幽霊屋敷に行こうとか言いだしたんだよ」

 チョロ松はふてくされたように口をとんがらせた。
 “噂の幽霊屋敷”はいかにも恐ろしげなたたずまいで、足元の小さな人間を見下ろしている。腰ほども伸びた草や、錆びた門扉、そして暮れかけた日に橙色に染めあげられた屋根が、おどろおどろしい存在感を放っていた。

「いや~、こないだ献血したときに出会った女の子が怖いもの大好きらしくてさぁ。今度、二人でそういうところ遊びに行こうねって約束しちゃったの。それで、下見も兼ねて……」
「ちょっと待ってトッティ。お前、献血とか行くの?」
「行くよ?」
「えっ、そのとき初めて行ったの?」
「ううん、よく行くよ。なんか、いいことした~ってスッとするよね」
「聞いてないんだけど!」
「言ってないからね」

 なんて人の心のない、ドライな弟だ。チョロ松は心底がっくりと肩を落とした。
 もうツッコミも拒絶もなにもかもめんどくさくなって、ぐいぐい腕を引っ張られるがまま、チョロ松は幽霊屋敷に足を踏み入れた。

「おわ~……廃墟って感じ。確かになんか出そうだね」
「ここって、本当に出るの?」
「おっ、チョロ松兄さんビビッてるね~。それがどうも、本当に出るらしいんだよね……この世に未練を残した……幽霊が……」
「……そういう非科学的な話は信じないようにしてるからね、僕は。大体幽霊とか、お化けとか、現実的じゃないんだよ。時代遅れなんだよね、ナンセンス」
「特に夕方から夜にかけて、恐ろしい化け物に出会うみたいでさ……。ちょうど今の時間。この世のものとは思えないほどのけたたましい奇声をあげて、生きてる人間に襲いかかってくる……」
「ゴ、ゴクリ……」
「どう? この話をして、怖がった女の子を僕が勇敢に守る。イケると思わない?」
「お前なあ……。作戦が浅はかなんだよ。そんなありきたりなやり方でイケるわけないだろ」
「そうかなあ……。まあ女の子が怖がらなくたって、二人で薄暗い屋敷を歩くだけで仲良くなれる可能性もあるからね。とりあえず屋敷のあちこちを探検してみようと思うんだけど、付き合ってくれるよね?」
「ハァ~。もう分かったよ。ちょっと探検したらすぐに帰るからね」

 廊下の隅々には埃がたまって、天井には蜘蛛の巣が張っていた。今の怖い話を聞かなくたって、ただ歩くだけでよっぽど恐ろしい。
 ま、まあ、どうせ全部トド松の作り話だろうけど。チョロ松は爆発しそうな心臓を押さえながら、こっそりと深く息を吐いた。

「……? ねえ、今なにか聞こえなかった?」
「え?」

 言われ、チョロ松は顔を上げる。あたりを見回すが、変わったところは何もない。音だってなにも聞こえなかった。

「気のせいじゃないの?」
「いや、絶対になにか聞こえた! あっちからだよ。チョロ松兄さん、行こう!」
「えっ、あっ、ちょっ、トド松!」

 急に腕を引かれ、紅い絨毯につんのめりそうになりながら、チョロ松は慌てて走りだした。洋風の屋敷の長い通路を駆ける。溜まった埃がもうもうと舞い上がった。
 重たそうな扉の前で、ようやくチョロ松は立ち止まった。その昔は豪華で綺麗だっただろう革の扉は、今ではボロボロと朽ち果てている。
 チョロ松の背筋に冷たいものが走った。扉を開けなくても分かる。いる。中に、なにかがいる。かすかな音が扉の隙間から漏れ聞こえていた。

「……開けるよ」
「えっ!? 開けるの!? ちょ、ちょ、待てってトド松! なにも開ける必要ないだろ! もう帰ろうってば!」
「でも、せっかくここまで来たんだし……。この部屋になにがいるのか……見たくない?」
「見たくねーよ! なんなのお前!? 怖いんだけどぉ~! 感情が凍結しているのか!? このドライモンスターが!」
「開けます! えい!」

 ぎい、ときしんだ音を立て、扉は大きく開け放たれた。逃げようにも、チョロ松の腕は強く掴まれたままで逃げられない。
 こんなドライモンスターに付き合ってこんなところまで来なければよかった! ああ! 心底後悔しているチョロ松の目に、扉の先の光景が飛び込んできた。

「ボエーーーーーーーーッ!!」
「アーーーーーーーーーーッ!!」

 瞬間、耳をつんざく奇声とともに、チョロ松の顔に何かが覆いかぶさった。
 神さま! 助けて下さい! 死にたくない! このドライモンスターをいけにえに差し出しますから! 僕だけは助けて! やだよ~~! 死にたくない~~~~っ!!

「チョロ松兄さん!」
「神さま~~! 仏さま~~! にゃーちゃぁああん!! アーーッ! 殺さないでぇええーーーっ!!」
「チョロ松兄さん! ねえ! こんなところで何してんの!?」
「いやだーっ! 童貞のまま死ぬのは、いや…………え?」

 うっすら目を開けると、チョロ松の視界は黄色く染まっていた。自らの頭に抱き着くようにしているのは、よく見慣れた、黄色いパーカー。

「あっ、十四松兄さん!」

 隣からの声に、ようやくチョロ松は我に返った。

「じゅ、十四松……?」
「あい! 十四松でっす!」
「お前こそ……こんなところで何やってんだよ……?」
「僕!? 野球!」
「あっそう……」

 十四松はチョロ松の頭から、ぴょんと飛びおりた。広い洋室の大きな窓にはもうガラスは嵌め込まれておらず、腐りかけた木枠だけが残されている。そこから橙色の光が部屋の中にさあっと差し込んでいた。向こう側には公園が見えた。十四松がよく野球をしている公園だ。

「なんだよ……奇声をあげる化け物って、十四松のことかよ……」
「何が!?」
「なんでもない……」

 窓から侵入したらしい十四松は、ぶんぶんと元気よくバットを振った。チョロ松は自分の腕を掴んだままでいる隣のドライモンスターを睨んだ。

「お前、知ってたな?」
「えへ、チョロ松兄さん超ビビッてたね! ウケるわ~」
「マジぶっ殺す!」
「え!? なに!? 野球かな!?」
「なんでもない! 十四松には関係ない!」

 疲れがどっとチョロ松の身体を襲う。怖がって損した。というか、二度とトド松の誘いには乗らない!

「はあ……帰ろ」
「え~っ? チョロ松兄さん、もう帰っちゃうの?」
「帰るに決まってるだろ。なにが幽霊屋敷だよ……ただの十四松屋敷だったじゃないか」
「へへっ、楽しくなかった?」
「楽しい楽しくないじゃない! もう疲れたの! 僕は帰るからな!」
「おっ、チョロ松兄さん帰る!? じゃあ僕も帰りマッスルマッスル!」
「十四松……お前、勝手に忍び込んだ屋敷で野球するの禁止」
「ええーーー!! へこみ~~~」

 大きなため息をついて、チョロ松は窓枠を乗り越えた。
 日はほとんど暮れ、紫色に変わりかけた空には一番星が輝き始めている。

「マッスルマッスル! ハッスルハッスル!」
「はあ~~。ほんっと疲れた……。もう二度とあの幽霊屋敷には行かない」

 十四松のやたら元気な声をBGMに、チョロ松は重たい足取りで家路についた。

「そういえば、あそこで何してタイムリーエラー!? 僕は野球!」
「それさっき聞いたから。何してたっていうか……うーん、肝試しみたいなものかな……」
「へえー。変わった趣味があるんだねー」
「僕の趣味じゃないよ。こいつの……」

 そこまで言って振り向いたチョロ松は、目をぱちくりさせた。さっきまで隣を歩いていたトド松が、いない?

「えっ……あれ?」
「どうしたのチョロ松兄さん。家入んないの?」
「いや、トド松が……」

 戸惑うチョロ松を横目に、十四松は元気よく松野家の玄関扉を開けた。

「ただいマッスルマッスル!」
「お帰り~」

 居間のふすまが開く。ひょこ、と顔を出したのは、トド松だった。

「えっ? トド松? お前いつの間に帰ってたの?」
「ん? 何が?」

 チョロ松の言葉に、トド松は不思議そうに首を傾げた。

「僕、今日はどこにも出掛けてないよ」
「え? いや、何言ってんの? ふざけてんの?」
「どういうこと? 別にふざけてないんだけど……。チョロ松兄さんこそふざけてるの?」

 む、としたように眉をしかめたトド松の顔は、嘘をついているようには見えない。チョロ松は混乱しながらも、十四松に助けを求めた。

「さ、さっきまで僕たち、トド松と一緒にいたよな、十四松!」
「えっ? うーんと、トド松はいなかったんじゃないかなあ」
「な、何言ってんだよ。ほら、幽霊屋敷で、トド松と一緒にお前に会って……」
「えー? あそこにいたのはチョロ松兄さんだけだったよ!」

 チョロ松はめまいを感じながら、魚のように口をぱくぱくとさせた。

「トド松が……幽霊屋敷に行こうって……僕を誘って……。そうなんだよな? トド松?」
「幽霊屋敷? そんなの行くわけないじゃん。僕、怖いの苦手なの、チョロ松兄さん知ってるでしょ? 夜に一人でトイレにも行けないのに、そんなの無理」
「トッティビビリッティ!」
「うるさいなあ十四松兄さん!」
「チョロ松兄さん、ひとり肝試し楽しかった? 今度は僕も誘ってね! ハッスルハッスル! マッスルマッスル!」


「…………え?」





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