ふうふのおはなし


 南条家は古くから続く、とても由緒のある旧家です。
 その南条のご本家には、四人の息子さんがいらっしゃいました。旧家であるだけに、やはり跡取り問題はいつの時代も親族の間で最も関心が向けられるものですが、この時ばかりはみなさん安心しきっていたようです。一人息子、ということだといろいろと気を揉む場合も多いですけれど、なにしろ正式な跡継ぎ以外に、あと三人も控えていらっしゃるのですものね。これで南条家は安泰だ、と誰もが喜んでいたそうです。

 ──でも、運命っていうのは、どう転ぶかわかりません。

 まず、ご長男が、二十歳を過ぎたところで、ぽっくりと急死なさってしまいました。
 おまけに、跡取りとなるべき息子を目に入れても痛くないほどに可愛がり、大事にしていたご当主さまは、これでがっくりと気落ちして、その半年後、自分もあとを追うように病死されてしまいました。
 ご長男が亡くなられ、次の跡継ぎとなったご次男は、昔から長男次男の扱いに大きな差があることに多大な不満を抱いていらっしゃったようで、突然降って湧いたこの事態に、すっかりとりのぼせてしまったようです。もともとそんなに強くもないのに、お酒をたくさん飲んで酔っ払い、川べりから足を滑らせてざぶんと転落……呆気なく、亡くなってしまわれました。
 次に跡継ぎの座が廻ってきたご三男は、ご次男のようには舞い上がらず、逆に、尻込みをされました。生来、気の弱いところのある方だったのです。このご三男は、「とてもではないが自信がない、探さないでくれ」と書き置きを残して、行方知らずとなってしまわれました。崖から飛び降りたらしい、という噂も出ましたが、今のところまだご遺体は見つかっていません。
 相次ぐ不幸に、憔悴された奥様は寝たきりになってしまい、一年後、そのまま眠るように息を引き取ってしまわれました。

 というわけで、南条家の跡継ぎ、本家のご当主さまは、四男の司朗さんという方が据えられることになりました。

 正式にご当主となられたからには、次に決めなければならないのは、その伴侶です。旧家ですもの、なんとしても血筋を絶やすわけにはいかないのです。親族はみんな揃って、司朗さんの妻探しに躍起になりました。
 ……でも、ねえ。
 そんなに簡単に、お嫁さんが見つかるはずがありません。そりゃそうです。いくら条件的に恵まれていたって、ここまで死者が続いた以上、「南条本家は呪われている」なんて思われて当然なのです。どんなに説得しても、そんなところに自分の娘を嫁入りさせることに肯ってくれるおうちはありませんでした。女性のほうだって、死ぬのはイヤだと泣いて喚いて逃げ出してしまう人ばかりです。

 そのような事情で、白羽の矢が立てられたのが、この私でした。

 南条家の遠い血縁関係にある家。私はそこの実の娘ではなく、養女でしたが、一応の体裁はとれています。本家と深い繋がりができる、と養い親たちは諸手を上げて賛成しておりましたし、親族たちは本当のところあまりいい顔をしませんでしたが、この際だからやむなしということで許しを出しました。
 もちろん、私の意見なんて、一度も聞かれておりません。要するに、「断る」なんていう選択肢は、最初から与えられなかったのです。致し方ありません。もとより、私はどのような形であれ、「恩を返すために」育てられた娘なのですから。

 私は司朗さんの妻となり、広くてがらんとした南条家のお屋敷で暮らすことになりました。


          ***


 司朗さんというのは、とても静かな方でした。
 私がお嫁入りしたのが二十の時、司朗さんは三十五歳でした。他の人たちから勝手に「呪われた家」という札を貼りつけられ、女性たちにこぞって後ずさりされた結果、その年齢まで独身だったわけですが、ご本人はそんなことをちっとも気にされた様子もなく、いつもおっとりと構えておいででした。
 正直、何を考えているのかよくわからないところがあって、親族の間でも、「あれは大物だ」「いやただのボンヤリ者だ」と、評価が真っ二つに分かれておりました。本来なら決して廻って来なかったであろう跡継ぎの座を粛々として受け入れ、淡々と役割をこなし、何を言われても悠然としていらっしゃいます。
 そのお姿は、こう言ってはなんですが、ゆらゆらと波間を漂うクラゲを彷彿とさせました。
 十五も齢の離れた私に対しても、決してぞんざいに扱うことはされません。「小萩さん」とゆったり名を呼び、どんな時でも丁寧に接してくれます。私から見ると、年上の落ち着きを備えた司朗さんは、夫というよりは、先生とか師匠とかそんな感じの方でした。
 そして実際、結婚して一つ屋根の下に暮らしていても、私と司朗さんの間に夫婦としての営みはありませんでした。
 祝言を挙げてから迎えたはじめての夜、私はそれなりに覚悟していたのですが、おそらくとても緊張していたのだと思います。カチカチになって震えている私を見て、司朗さんはちょっと困ったような顔になり、
「……まあ、そう慌てなくてもいいんじゃないですかね。そのうち、なるようになるでしょう」
 と一人でご自分の部屋に行って、寝てしまったのです。
 それ以来、寝室は別になっています。少しほっとするような気持ちと、自分がまだ子供だから司朗さんは食指を動かす気にもならないのだろうという思いで複雑ですが、司朗さんの言われる通り、「なるようになる」まで待とう、と私は自分自身に言い聞かせました。
 物静かでクラゲのような司朗さんは、きっとそちら方面でも、非常に淡白な方なのでしょう。


          ***


 そういったことを別にすれば、二人の生活はごくごく穏やかに過ぎていきました。
 女中さんを頼んでもいいよ、と司朗さんは言ってくれたのですが、二人しかいないのに誰かの手を煩わせるほどでもありません。私はせっせと食事を作り、洗濯をし、掃除をして、なんとか形だけでも妻の務めを果たそうと一生懸命でした。
 司朗さんは植物の研究をなさっていて、大学の研究室に何日もこもることもあれば、ご自分のお部屋で一心不乱に論文を書いていることもあります。そんな時は邪魔をしないようなるべく静かにして、食事を司朗さんのところに運び、あとは息を潜めるように広い居間でじっとしていました。
 食べるのも、寝るのも、散歩をするのも私一人です。
 よく、夕日で赤く染まっていく室内で、ぽつねんとただ座りながら、縁側の向こうにある庭をぼんやり眺めておりました。


          ***


 ある日、司朗さんが、「植物の採取に行く」と、突然旅に出てしまいました。
 本当にその一言だけでぱっと旅立ってしまわれたので、私は困惑するばかりです。どこへ行くのか、いつ帰ってくるのか、不在の間何かがあったらどうやって連絡を取ったらいいのか、さっぱりわかりません。
 その時ばかりは、広い南条のお屋敷が、とても不気味で怖いものに感じられて、居ても立ってもいられないくらいでした。
 もしもこのまま司朗さんが帰らなかったら。もしも他に好ましい女性を見つけてそちらに行ってしまったら。いえそんなことより、もしも司朗さんの身に何かがあったら。
 そうしたら、私は一体どうすればいいのでしょう。不安と心配が、自分のこれからに向けるものと、司朗さんに向けるものと、同じくらいの比重で私の両肩に圧し掛かります。しんとした家の中は、嫌でも一人でいることが強調されているようで、怖くて怖くてたまりませんでした。
 いつもなら、どこかでする司朗さんの気配がまったくない。朝になっても、夜になっても、司朗さんがひょっこり現れることもない。ぼさぼさ頭を手で掻き回し、「小萩さん、お茶をください」と言ってくれる人は、今どこで何をしているのかもわからないのです。
 早く帰ってきますように、と必死で祈ることしか出来ませんでした。


 ──結局、三日ほどで、司朗さんは家に帰ってきました。
 なんでも非常に珍しい植物が見つかったということで、つい興奮して前後の見境もなく出発してしまったらしいです。あまり物にも人にも興味を示さない司朗さんですが、植物のことになると我を忘れてしまうようでした。
 すみませんでした、と頭を掻きながら謝られた瞬間、私の中に溜め込んであったものが一気に爆発しました。
 突如としてわんわんと泣き出した私に、司朗さんは相当驚いたみたいです。途端にオロオロして、どうしました、と訊ねてきましたが、私はそれに対する答えが自分でも見つけられませんでした。
 どうして泣いているのか、私自身、よくわからなかったのです。
 あんまり覚えていないし、思い出したくもないのですが、どうやらこの時の私は泣きながら、合間合間に、ずっと一人だった、誰もいなくて怖かった、暗くて静かで寂しかった、と幼子のように訴えていたようです。
 司朗さんはじっと黙って私を見つめ、もう一度、
「ごめんね」
 と謝り、優しい手つきで私の髪を梳いてくれました。

「余りものの四男坊で親兄弟に放っておかれながら育って、僕はどうも、『一人でいる』というのが当たり前になっていたみたいだ。夫婦になるということは、一人が二人になるということに決まっているのに、よく考えてもいなかった。小萩さんがいつも自然にそこにいてくれるものだから、僕はそれに甘え過ぎていた。……二人で暮らしていたって、別々のところで別々のものばかりを見ていたら、それは一人でいるというのと変わりないのにね」

 それから司朗さんは、私の手を引いて、縁側へと連れて行きました。
 そして二人で並んで座って、旅の間にご自分が見てきたこと、してきたことをいろいろと話してくれました。留守の間、私がどうやって過ごしていたのかも、聞いてきました。こんなに二人でお喋りしたのは、結婚してから、はじめてのことでした。
 ──司朗さんと一緒に見る夕焼けは、とても綺麗に見えました。いつも一人で見るものとは、まったく違っていました。
 思えば、私たちはお互いに、孤独に慣れすぎていたのかもしれません。司朗さんは「どうでもいい存在」と家族から見なされ、私は育ての親の許で、いつも肩をすぼめ小さくなって。
 でも、今の自分には、自分ではない人が傍にいてくれるのです。
 それを忘れてはいけないのだということを、この時、私たちは学んだのでした。


 ……ちなみにその夜、私と司朗さんは「本当の」夫婦になりました。
 そして私はどうやら、司朗さんについて、ちょっと勘違いをしていたらしいことも知りました。
 誰ですか、司朗さんが淡白だなんて言った人は!


          ***


 その後も私と司朗さんは仲睦まじく暮らしていました。
 でも、一年経っても、二年経っても、私には子供が授かりませんでした。
 二年が過ぎた時、親族のみなさんの我慢が切れ、どっと不満が噴出しました。
 南条の血筋を絶やさないために、私は司朗さんの妻となったのです。本当なら、どこの馬の骨ともわからないような血を引いた娘なんて、南条の名に相応しいものではありません。それでもやむを得ない仕儀で、仕方なく本家に入れたというのに、子供が出来なければ何の意味もないのです。
 そのようなことを、私はみなさんから面と向かって怒涛のように投げつけられました。
 「嫁して三年、子なきは去れ」なんてことを言いますが、親族の方々は、三年の猶予も私に与えるつもりはないようでした。むしろ二年もかけて時間の無駄だった、と言わんばかりでした。これまで死なずにいたのだから、結局「呪い」なんてものはやっぱりなかったのだという安堵もあって、掌を返したのかもしれません。
 石女は出て行け、南条の跡取りは次の伴侶をもらって、すぐにでも子供を──と声を上げる親族の方々に、司朗さんは激怒しました。

「冗談じゃない、僕はただ子供を産んでもらうために小萩さんを妻に貰ったわけじゃない!」

 立ち上がり、眉を逆立て、顔を真っ赤にして声を荒げる司朗さんに、親族の方々はみんな呆気にとられていました。私もです。結婚して以来、こんな風に怒った司朗さんなんて、一度も見たことがありませんでした。
 養い親でさえ、この役立たずがと私を罵ったというのに、司朗さんは拳を握りしめ、「子がいようがいまいが、僕の妻は小萩さんだけだ」と、きっぱり言いきってくれました。
 あまりにもその怒りようが凄まじかったのと、そんなに言うなら南条の家なんて自分の手で完膚なきまでに潰してしまうぞ、と物騒なことまで言い出す司朗さんに震え上がり、親族のみなさんはほうほうの体で帰っていきました。
 ごめんなさいと泣く私にも、司朗さんは怖い顔をしてお説教しました。

「小萩さん、よく聞きなさい。南条の家なんてものは、ただの名前、ただの入れ物に過ぎない。大事なのはそこにいる人です。僕がいて、小萩さんがいて、二人の間に子供が生まれれば、それは幸せなことだし喜ばしいことです。でもだからって、子供がいれば小萩さんはもういなくてもいいなんて本末転倒なこと、僕は決して思わない」

 小萩さんは小萩さん、僕は僕。どちらも、子供を作るためにこの世に存在しているわけではない。
 自分として生きるため、幸せになるために、ここにいるんですよ──と。
 そう言う司朗さんに、また涙がこぼれました。


          ***


 気が楽になったのが良かったのでしょうか、私はそれから間もなく身ごもり、長男を生みました。
 その一年後には、さらに長女も生まれました。司朗さんは、それはもう大喜びです。子供ってこんなにも可愛いものかと、世紀の大発見をしたかのように大真面目な顔で言って、ひたすらデレデレしていました。
 あんまり可愛い可愛いと連発するので、私は少しばかり不機嫌になってしまったくらいです。だって私がそんなことを司朗さんに言われたことはないのですもの。頬っぺたを膨らませ、年下の嫁は可愛くなくて申しわけございませんでしたと、それこそ可愛げのない皮肉が、ついつい口をついて出てしまいます。
 司朗さんは目をぱちぱちさせてから、
「小萩さんは最初からずっと可愛いですよ。そんなの当たり前すぎて、わざわざ言葉にしなくてもいいかと思って」
 と、これまた大真面目にのたまいました。
 ……とても大人で、賢くて、落ち着いた物腰の司朗さんは、たまにちょっとおかしなことを言うのです。
 私は真っ赤になりました。


          ***


 息子と娘はつつがなくすくすくと育ちました。
 子供だと思っていたのに、いつの間にか私よりもしっかりしだして、口も達者になり、今ではもう、あれこれとうるさく口出しをしてくる親族さえも、二人がかりでやり込めてしまうほどです。
 私が縁側に座っていると、必ず、司朗さんか息子か娘が隣にやって来て、なんだかんだとお喋りしていきます。もう、一人で庭を眺める機会なんて、滅多にないくらいです。
 幸せで、賑やかな日々でした。

 ……なのに、運命って、やっぱりどう転ぶかわかりませんね。

 息子が二十歳、私がこの家にお嫁に来た時と同じ年齢になった年、私は重い病気に罹ってしまいました。
 はっきりとは言われませんでしたが、自分でなんとなくわかりました。もう永くはないと。
 いよいよかなと思った頃、私はお医者様にお願いして、一日でいいから家に帰らせてほしいと頼みました。
 お医者様は案外あっさりと許可してくれました。きっと、それが私の最期の願いであることを承知していらしたのでしょう。
 病院から家の前までは車で、その先は司朗さんに抱っこされて中へと運んでもらいました。新婚の時だって、こんな恥ずかしい真似はされたことがありません。照れてしまいますねえ、と言って笑ったら、司朗さんは悲しそうに微笑んだだけでした。
 痩せ細った私の身体が、あまりにも軽かったことに、今さらながら衝撃を受けているようでした。
 布団に寝かされて、枕元には司朗さんと息子と娘。私は嬉しくてたまりませんでした。出来ればこのまま、たくさんの思い出の詰まった大事な我が家で逝きたいと、心の底から思いました。
 ぽろりとそう口にすると、ふいに、司朗さんが泣き出しました。
 沈痛な顔つきをして涙ぐんでいた息子と娘が引いてしまうほど、司朗さんはあたりを憚らず声を上げて泣いていました。まるで子供のようです。溢れる涙を隠そうとも拭おうともせず、司朗さんは大泣きしました。
「こんなのって変じゃないですか。僕と小萩さんは十五も齢が離れてるんですよ、どう考えたって先に逝くのは僕のほうなのに、どうしてこんな順番を無視したようなことが起こるんですか。おかしいですよ、こんなの、おかしい──」
 まるで天や神様に向かって文句を言い立てるみたいに、司朗さんはおかしいおかしいと繰り返します。
 こんなにも取り乱す司朗さん、はじめて見ました。私は思わずまじまじとその泣き顔を見ながら、奇妙なことに、心はぜんぜん別のことを考えていました。

 ──そういえば私、結婚してから一度も、司朗さんに「好き」とも「愛してる」とも言ってもらったことがないなあ。

 いえ、別にそれが不満というわけじゃないんですけど。それによく考えたら、私だってそんなことを司朗さんに伝えたことはありません。
 不思議ですね。
 そんな大事なことをお互いに言わなくても、それでもやっぱり、幸せなのだから。
 ああ、それとも。
 「あんまり当たり前すぎて、わざわざ言葉にしなかった」のかな。
 そう思ったら、なんだかとっても可笑しくなりました。ふふふと笑ってしまった私に、司朗さんがまた泣きます。

 わざわざ言葉にしなくたって、わかることがある。
 通じるものも、伝わるものもある。
 私たちはそれだけの長い時間を、一緒に過ごしてきたんですもの。
 目には見えなくても、二人で築いてきたものが、ここにはちゃんとある。

「司朗さん」
 でもせめてこれだけは、言っておきますね。
「……あなたと夫婦になれて、ほんとうに、よかった」
 私はとても満足して、静かに瞼を下ろしました。




       (2017.12.18 拍手御礼申し上げます。)






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