おまけ





* 距離 * [切原赤也*芝砂織](テニスの王子様)

 年の差、それは時間の距離。
 身長差、それは空間の距離。

 想い、――それは心の距離。

「……重い。」

 徹夜で担当記事の文章をチェックし、写真を選び、次の取材先へ依頼メールを送り、カップラーメンなんか啜っちゃって、ふらふらになりながら自宅へと帰ってきたのは確か、地下鉄の始発に乗って。
 それからどうにかメイクだけは落として服のままベッドにダイブした、そこまでは覚えている。

 ……で。

「なんで今起こされたのかって、ものすごぉく不機嫌なのよ、あたし。」

 芝沙織は溜め息を隠しもせず、呟いた。

 いつ来たのだろう、ちっとも気づかなかった、寝癖じゃ誤魔化しきれない天然パーマ。
 気持ち良さそうに寝息を立てる顔は、まだ髭痕もなくて、喉仏だって未発達で、肌なんかつやつやでぷりぷりでハリもコシもあって、幼くて。
 よれよれになっているだろうブラウスの釦を寝たまま外しつつ、なんだか哀しくなってきた。

「きりはら、くん?」

 夢の世界にしがみついているらしい彼は、当然ながら返事など寄こさない。制服でもジャージでもない姿に、今日が祝日であることを思い出す。そうだ、どうにかこうにか休みをもぎ取りたくて、昨日から必死に徹夜したのだ。
 洗濯とか、掃除とか、お弁当用のおかずの作り置きとか、やるべきことはたくさんある。商売道具のカメラも点検しなくちゃならないし、テニス雑誌のスクラップもしなくちゃいけないし、だから、……だから、君に、メールする暇ぐらい、あるかな、って。

 なのに。

「なんで、いるのよ。」

 年の差。付き合うなんて、想像もできなかった年下の男の子。そりゃあ手塚くんとか跡部くんとか、恰好良かったりするけど。
 身長差。並んだら姉弟みたいだって、井上先輩に言われたこともあったっけ。どこがよ、ぜんぜん似てないのに。繋がりなんて、ないのに。

 距離が。
 ありすぎる。

 赤也の頬をすっと撫でる。被さった上半身をどけたくてした訳ではなかったが、くすぐったさに反応したのか、彼はごろりと仰向けになった。軽くなる躰。淋しくなる躰。冷えてゆく躰。
 部活だってあるだろうに、わざわざ今日が私の休みだからって、部屋に来て。誕生日にねだられた合鍵で静に入ってきたのだろう、そうしてベッドに潜り込んだ。疲れて眠る私の隣に、若い彼にとっては退屈この上ないだろうに、重なって、慰めて、温めて、寝てくれた恋人。

 ねぇ、あたし、君に何ができてる?
 こんなぼろぼろのおばさん、どうして好きでいてくれるの?

 サイドボードに置いた腕時計を見れば、まだ8時過ぎ。3時間も眠れていない。
 もう少し、睡眠時間が欲しかった。本当は、赤也に朝ご飯でも食べさせてあげたかったが、頭が言うことを聞かない。水、を、飲もう。

 起き上がる。

「……砂織さん、」

 なるべくベッドを揺らさないようにしたつもりだったが、赤也は目覚めた。今までぐっすり、健やかな寝顔だったのに、今この瞬間はっきり、いとおしそうに名前を呼ぶ。

「切原くん、……ごめんね、起こしちゃって。」
「ちょっと、こっち来て、砂織さん。」
「ぇ、な、……何、よ。」

 抱き締められる。

 年の差。まるで大人が子どもにするみたいに、彼は、あたしを。
 身長差。お互いベッドに腰かけてるから、さほど感じない。

 想い。

「……赤也くん。」
「そうそう、二人っきりの時はそうじゃなくちゃね、おばさん。」

 憎まれ口を叩きながら、さっき撫でた頬を沙織の頬へ重ねる。体重をかけてくるから、重い。けれど、それが心地良い。だけど、それが辛い。
 救われてる、あたし、この子に。まだ、幼い年頃。まだ、頼りない背丈。
 まだ、気づかない、想い。重たい、想い。

「今日、練習、休みだったんじゃないの?」
「そうだよ。だからここにいるんじゃん。」
「バカね、遊びに行けば良いのに。こんな朝早くから来なくたって。」
「だって、今日、沙織さん、休みでしょ?」
「……離れてるんだから、」

 この部屋と、彼の家との距離? ううん、それだけじゃない。

「近いよ。」

 遠いよ。

 言わなかった。言えなかった。幸せそうにすり寄ってくる温度を、離せなかった。

「赤也くん、」
「疲れてんでしょ、今日はたっぷり尽くしてあげる。……嬉しい?」
「……うん、嬉しい。」

 こうしていても遠い距離を。
 近づけたいなんて、君に近づきたいだなんて。

「シャワー浴びといでよ。その間に俺、コーヒー淹れたげる。」
「ありがと。」

 ミリメートルの距離にある唇が、優しく言うから。
 キロメートルの距離に感じる想いを、砂織は胸に封じ込めた。

end.








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