真夜中は純潔



「――誰だ!」
 気配に気づいて一秒足らず、腹筋で跳ね起きながら枕の下の拳銃を引っつかんで突きつけたが、肝心の相手はにやにや笑いながら「遅えよ。不合格だぜ、ヴェスト」と両手を挙げておどけてみせた。確かに、腹の上に馬乗りにされた段階で気づいてもどうしようもない。銃を抜かせてくれたのは兄の甘やかしだろう。
 ドイツは自分に対する腹立たしさと安眠妨害の根源であるプロイセンとの両方にため息をつきながら、セーフティを下ろしてルガーを戻した。で、とプロイセンを睨みつける。
「こんな時分に何の用だ、兄さん。しかもそんな格好で」
 夏の夜である。ベルリンは比較的涼しいとはいえ、ドイツがタンクトップにハーフパンツで眠りについていた方が間違っているとでも言わんばかりに、プロイセンはあの昼間の戦術講座の時にも着ていたコートに身を固めていた。かっちり喉もとまでボタンを締めた姿は、まるで冬の装いだ。
 しかしプロイセンは弟の怪訝な視線にも何ら構わない様子で、つんと唇を突き出して二時間目だよ、と言った。ちょっと子どもっぽい不満げな顔は、たとえばおやつのクーヘンが小さいとかそういうもっと他愛ない時に彼が見せるもので、古めかしく堅苦しい衣装との不釣り合いさにドイツはおやと内心首をかしげた。
「だからよ、俺様による弟におくってやる戦術講座、二時間目」
「二時間目はいいが……なぜ夜なんだ? 夜間行軍演習でもするつもりか?」
「ぶっぶー。あ、いや夜間演習ってとこは合ってんな」
 じゃあ何が違うんだ、と言いかけた、その唇にむにっと何かが触れてドイツは黙らざるを得なかった。きゅっと軋るかすかな音は、プロイセンがはめている黒革の手袋だ。この指に噛みつきたい、とドイツは思って、奇妙に性的な匂いを感じている自分を少し恥じた。
 プロイセンは右の手のひらをぺたりとドイツの腹に当てて、にやりと笑った。空いた指先がコートの襟元に忍び込み、白い首の皮膚を滑る。ボタンがねじ切るようなしぐさでひとつ、二つと外され、
「個人指導だぜ、光栄に思えよ。演習とは言え全力で挑め」
 コートの下から、暗闇に輝くほど真白い体があらわになった。ごくりと喉が鳴る。
 下着一枚で隔てられただけの尻をなまめかしく揺らしてドイツの下半身にこすりつけ、プロイセンは「二時間目、するか?」とささやいた。ドイツはJaと答え様いやらしい教官を引き倒し、体勢を入れ替えてシーツの中に組み敷いた。

 夢か、夢オチか! ドイツは起き上がるなりぐむむむむ、とうなり声を上げて膝を拳で殴りつけた。鳴り響く目覚まし時計が恨めしい、あと十分、いや五分もあれば最後まで突っ込めただろうに。
 世の中なんて結局そういう哀しいことばかりでできているんだ、と諦観したことを考えて自分を慰めながら時計を止めた時、威勢のいいノックとほぼ同時にヴェストぉ、とドアが開いた。プロイセンだった。
「なんだ、起きてんのか。目覚まし鳴りっぱだから寝てんのかと思ったぜ」
「いや、少し夢見がな……」
 ドイツはため息をついてシーツから抜け出し、両足をスリッパに入れた。いい夢だったが、タイミングが悪かった。結局は夢見の悪い部類に入るだろう。
 プロイセンは夢見なあ、と鼻を鳴らしながら、ちょっぴり軽蔑的な調子で肩をすくめた。なんだ、とドイツは顔をしかめて兄を見上げた。疑われているような気がして、むっとしたのだった。
「いーや? ただ、ヤな夢見たって割には立派にテント張ってんなと思って」
 蛇みたいに細められた赤い目が、ドイツの身体のうちごくプライベートな一部分を撫でてにやついた。
 はっと顔を赤らめる間もなかった。プロイセンはするっと弟に触れ、あからさまな猫撫で声でささやいた。
「どんな夢見たんだ、僕ちゃん?」
「ッ兄さん!」
 かーっと頭が熱くなり、プロイセンを突き飛ばしてドイツは猛然と階下にダッシュした。トイレ、とにかくあの聖域に逃げ込まねば!
 背後で兄がげらげら爆笑する声が聞こえ、羞恥に泣き出しそうになりながら、ドイツはもちろん固く復讐を誓ったのだった。




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