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 耳鳴りがするほどに、大気が冷えた夜だった。
 常にちらほらと雪を落としていた雲が割れ、久方ぶりに空を見せた日のことだ。久々の晴天に短刀たちが歓声を上げ、一部の刀たちも笑顔を見せた日、審神者だけは鼻の頭に皺を寄せ、こっそりと溜息をついていた。気付いたのは偶然だが、なんとなしに訊いてみた。なぜそのように気鬱を抱くのかと。見られていたのかと少しばつが悪そうに、それでも誠実に審神者は応えてくれた。曰く、「冬の晴天はとても冷える」と。
 言葉通り、その日の夜は、骨の髄からしびれるような寒さであった。日中は特に気にしなかったが、夜になれば、まるで刀の鍔鳴りのように、きんと大気が肌を挿す。外と屋敷の中は隔てていると言えども、床から立ち上るような冷気が、特に身に染みた。
 人の身を得て、かつての主たちの心境を思い返し、また、己の身で触れる新鮮さに目を輝かせもしたが、寒さというものは凄いものだと、翌朝、布団から出た際の空気と畳の冷たさにつくづく思い知ったものだ。
 暑さ寒さに特に頓着はしないが、やはり骨から冷えるような寒さは応えた。他の者も同じだったらしく、火鉢に袢纏、毛布に炬燵と冬を乗り切るための道具が総動員され、ありがたくそれらの恩恵に預かった。
 そんな風に、人の身を得た最初の冬は過ぎていった。
 二冬目の今年の夜、三日月はそっと、廊下を歩いていた。
 時刻は既に戌の刻に近い。短刀たちは寝静まり、一部の者たちがまだ酒盛りをしているらしいが、喧騒は遠い。しかし、常よりも僅かに多い気配がするのは、このように、きんと冷える夜だからだろう。酒精を入れて温まろうとするのも分からなくはない。
 三日月とて冷えるのは遠慮したい。今も寝間着の上に袢纏を重ねてはいるが、板間から伝わる冷たさはかなり堪える。
 酒宴も布団も撥ねのけてなにを求めるかといえば、やはり、この先にあるものだ。
寝殿造りを模した屋敷の回廊を歩き、くるりと母屋を回り、渡殿へと移る。庭に張り出した釣殿へ足を向ければ、闇夜の中にぼうと浮かび上がる姿が一つ。
やはりいたかと口の端を持ち上げて、そちらへと向かった。
「良く晴れた夜だが、月見には少々向かぬのではないか」
「なに、闇夜には闇夜の愉しみというものがあるさ」
 当然のように返事が返り、おやと僅かに目を瞠れば「ふふ」と笑う声がする。
「今宵も御苦労だなあ、三日月」
 柱のひとつに背を預け、振り向きざまに仰ぎ見る男は、月明かりが乏しい夜でも輝いて見えた。僅かな星明かりに金の眼が輝きを増したように見え、幼く見える顔に「なあに」と笑みを返す。
「じじいは寝つきが悪くてな。散歩だ」
「そうかい。ま、こんな夜だ。それも仕方がないだろうなあ」
 ここは冷える、と呟いた口からも白い吐息が宙へ浮かぶ。暗がりの中でもよくわかる。審神者曰く、空気が冷たければ冷たいほど、息が白く浮かび上がるという。仕組みを詳しく説明されたが、三日月にとっては冷えれば白くなる、としか、覚えていない。そしてここは板を挟んではいるが池の真上だ。今しがた来た三日月より、よほど冷えているだろうに、こうも軽く嘯いて見せる姿に溜息よりも先に、彼らしいと笑みが零れた。
「んん? なにかあったか」
「いいや。それで鶴丸よ、暖は取っているのだろうな」
「ああ。ちゃんとな」
 そら、と体の影から銀色の小瓶を出し、左右に揺すってみればちゃぷりと音がする。よくよく見れば、寝間着の上に常の羽織りを重ねている。裸足ではあるが毛布も持参しているようだ。腰を巻くそれらを見て、なるほど、と三日月は笑う。
「うん、今日は暖かくしているなあ」
「……出がけに薬研に見つかってな」
「なるほど、毛布は薬研か」
 気の回る短刀である。止めるではなく、物を渡すあたりで彼の気遣いの方向が知れる。「あれはよい子だなあ」と褒めれば、「まったくだ」としみじみとした同意が返る。視線が一瞬外れた隙を突いて、さっと鶴丸の横に腰を下ろした。
「おいこら、冷えるぞ」
「ははは、なに、近寄れば温かいぞ」
「あっこら、俺の毛布を取るな!」
「うん、少々冷たいなあ」
 ひたりと触れあわせれば、布越しでも体の冷たさが伝わる。随分と長く居たようで、温もりはあるものの、冷気を帯びているように思える。溶かすように手を、肌を触れ合わせれば、びくりと震え、小さく嘆息した後、鶴丸は小瓶の蓋を開けた。
 蓋をひっくり返し、こぽこぽと中に飲みものを注ぐ。夜目の利かぬ太刀の目だが、こうも長く居れば目も慣れる。白い湯気と共にふわりと鼻を擽る香りに、そっと目尻を緩めた。
「ほれ、飲んでおけ。きみこそ冷たいぞ」
「おや、くれるのか」
「ああ。温まるぞ」
「いただこう」
 熱いから気をつけろと注意を貰い、渡された蓋を両手で抱えこむ。立ち上る湯気に息を吹きかけながら、手の中の飲みものにそっと口を付けた。
 とろりとした口触り。まろやかな米の旨味と甘味、微かな生姜の香り。甘酒か、と呟けば「あたりだ」とまるで短刀のような声で笑った。ついで、白い指が伸びてくる。特に逆らう気もなく蓋を渡せば、くいと傾けた先でくすくすと笑った。
「ちょいと甘すぎるが、確かにこいつは体を温めるなぁ」
「うん、そうだな。俺は好きだ」
「確かにきみは好きそうだ。ほら、取って悪かったな」
「気にするな。元々はお前のものだろう」
「それじゃあお言葉に甘えるとしよう」
 詫びだ、と口先で笑い、とぼとぼと注がれた甘酒が返ってくる。飲んでしまえと囁く声に従い、ちびちびと口を付けた。喉を焼き、腹を温める清酒とはまた違うが、これもこれでいいものである。
 三日月が甘酒を傾ける横で、鶴丸はじっと空を見ている。鳥の名の如く、太刀の中でも夜目は聞かない方だというのに、何かを見定めるように夜空へと目を向ける横顔は、彼の本体を思わせる鋭さを持って、そこにあった。いついつまでも、空を臨みつづけているような気さえした。
 まさしく、今の鶴丸国永はかたなである。
 しかし、と三日月は首を振る。
「鶴丸」
 ゆっくりと、三日月は彼の名を呼んだ。返事は返らない。しかし、僅かに気配がこちらを探るようだ。元より一つの毛布を奪い合い、体を触れ合せているのだ。容易にわかる。
「なにをみていた」
「……さて、なにと言われると答えづらいな」
「そうか。おお、ここからは鼓星が良く見えるな」
 いかな三日月でもそれくらいは知っている。北斗、北辰。その程度は耳にしたこともあった。冬の天体の中でも見つけやすい形を口にすれば、僅かに身じろぎし、驚いたような声を上げる。
「きみは、星に詳しいのか」
「いや? 少しばかり聞きかじっただけだなあ」
「そうか。なあ、三日月。あれらの星の光は何百年、何千年、ともすれば何万年も前の光だそうだ。それほどあれらの星は、遠いところに在るらしい」
「なんと」
 これは驚いた、と目を瞬かせれば「そうだろう」と楽しげな声が返ってくる。刀剣の中では自分たちは古刀の域にある。千年も超えてきたが上には上がいるものだと感心すれば、傍らで吹き出す声が聞こえた。
「おや、なにかおかしかったか」
「いや、きみらしいなと思っただけだ。そうだな、いくら俺たちでも万を越えた刀はいないな」
 くつくつと笑う鶴丸は、先程よりも幾分楽しげに夜空を見上げる。同じように三日月も見上げれば、知っていたか、と軽い声が響く。北斗、北辰、五曜、鼓星。それらに纏わる話をぽつりぽつりと話し始める。其処に最早影はない。
 東洋から西洋へ。星の話が移り変わったところで、ひゅうと風が釣殿を吹き抜けていく。思わず身を竦ませた鶴丸を、抱きかかえるように身を寄せ、毛布を引きあげた。何を、と問われるよりも先に空を見上げれば、夜空も僅かに雲が掛かり始めている。
「鶴丸。今宵はもう仕舞いだな。そら、雲が出てきた」
「……そうだな。じき雪も降る。星見は終わりだ」
 やれやれ、と体を伸ばす仕草は猫の子のそれに似ている。長い間同じ体勢だったせいか、体が固くなっている気がした。
 よいせと笑いながら立ち上がった鶴丸に、三日月は蓋を渡した。次いで、己も立ち上がる。毛布を取り払えば寒さが身に染みた。吹き抜ける風が体温を奪い、思わず羽織りの袖を合わせて身を竦ませる。すっかり体が冷えていた。
「もう一度風呂に入った方がいいかもしれんなあ」
「そうだな。その方が温まる」
「うむ、では行こうか。甘酒の礼に背中を流してやろう」
「おや、いいのかい?」
「無論だ」
 では行こう、とふたり連れ立って湯殿を目指す。途中部屋に寄り、瓶と毛布を置いてきた。互いに寝間着だ。特に汚れたわけでなし、着替えはこのままでいいだろう。
 湯殿に辿りつけばさっさと衣を脱ぎ棄て、浴場へ向かう。さっと掛け湯をして湯船に浸かれば、体の芯から温まっていくのが良くわかった。凍えた指先を湯の中で動かしていれば、鶴丸も同じように、じぃんと痺れる感覚に耐えているようだ。
 互いに何も言わず、ただ温さに浸っていれば、「なあ」と躊躇いがちに声が掛かる。
「きみ、毎回俺に付き合っているが、理由は聞かないのかい」
「聞いてほしいのか?」
 すかさず問えば、躊躇いがちに言葉を濁す。それを否定と取り、湯を揺らし、「そうさなあ」とぼやく。
「お前の話は面白い。話を聞きながらの星見も悪くない」
「……そうかい。物好きなじいさんだ」
「ははは、そうか」
 どこかほっとしたように呟く鶴丸に、安心させるように笑った。元より聞く気などなかった。
空を見上げる姿が寂しげに見えた。それが妙に目について、あるときふと思い立って隣に座ってみた。幾度も続いた、何故かひとりでは居させたくなかった、三日月の我儘である。




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