「ってか、お前の女、またそんななの?」
同僚の一人が呆れたように言った。
「んーー、なんつーかさ、この仕事昼夜無いだろ?休日もまちまちだし、呼び出されて出てくことになることも多いから、どうも不安になるみたいでさー」
「そりゃ判るけどさ、そんなの初めから判ってることじゃねえか。軍部なんだから」
「うん。そうなんだけど。でも三人目ともなるとさ、何か俺が悪いのかなって思っちまうんだよな。言葉足りないのかなとかさ」
「あー」
ボクは話を聞きながらコーヒーを意味も無くかき回す。ミルクを多めに混ぜ込んだそれは、やけに優しい色をしている。兄さんはシチューと同じでカフェオレなら飲めるんだよね。
「出来る限りはしてるつもりなんだよ、これでも。言われたらお前の方が大事だって言ってるしさ。でも仕事行くんでしょ!とか拗ねられたらもうどうしていいかわかんねえよ」
「仕事の方が大事だって言ってみれば?」
「だから今三人目なんだろうが」
はははと笑ったもう一人の同僚に、笑ってる場合か!と返している同僚の恋の悩みは、何となく新鮮だ。何故と言って、自分は恐らく持つことがない悩みだから。
まああの人の場合、どっちが大事だとか言う訳が無いけど。
「帰ったらさ、ごめんって向こうから謝ってくるんだよな。だからやっぱり気持ちが尖ってるだけだとは思うんだよ。でもそれ言うの何回目だよ。ってな」
「あー、可愛いとうざいの瀬戸際だな。な、アル」
「お?」
突然話を振られて、ボクはコーヒーをかき回していたスプーンを取り落とす。かちゃんと音を立てて同僚の前まですっ飛んでいったそれを、何してんだと笑う同僚が取ってくれる。
「あー、ボクあんまそういうのわかんないや。ごめん」
率直に謝ると、横に座った同僚がにやにやした。
「さすがモテ男は言うことが違うね」
「まあアルくらいになると、女の方が捨てないで!って感じだろうしなあ」
「はあ?」
「セントラルのエルリック兄弟って言えば、両翼だもんな。落ちない女はいないと言われてるし」
「ボクは別にモテないよ」
またまたまた!とバンバン背中を叩かれてちょっと痛い。っていうかコーヒーが飲めないんだけど。
「いやいや本当に」
「えー?」
「あー。あれじゃねえ?こう、隙が無くて告白出来ない、みたいな」
「ああ。まあフリーな訳なさそうだしな」
「で?実際言われたりしないの?それともマスタング准将直伝の忙しくても女とつきあえる方法とかあるの?」
「知らないよそんなの!・・・・・・・って、フリーじゃないが前提になってるんだけど」
「いるだろ?」
「いるよな?」
ふたりに当たり前のように言われて、ボクは口ごもる。まあそうだけどさ。
「むしろそういうの、言われてみたいなあ」
「さすがアルフォンス様ともなれば、女も黙ってついてくるって?」
「そんなんじゃないよ。どっちかっていうと、ボクがついて行ってる方だし」
きょとんとしたふたりに、ボクは少し笑う。
「いつだってボクが追う方なんだ。たまにはボクに甘えてくれたりしてもいいのにと思うんだけど、弱音もはいてくれやしない」
「・・・・・・・出来た人なんだな?」
「出来た、というとちょっと違うかなあ。強い人ではあるけどね」
考え出すとため息がもれる。
昔からああいう人だし、だからこそボクは彼を好きなんだし。そこは判っているんだけど、たまには恋人らしい気分を味わいたいというものだ。
オレと仕事とどっちが大切なんだ!なんて言われたら、そんなの兄さんに決まってる!って即答だな。仕事なんて、生活さえ成り立てば別に何でもいいんだし。
今はまあ准将に義理もあるし、兄さんの希望もあるし、同じ職場というのはそれなりに美味しい面もあるし、多分兄さんの方も同じような気持ちだろうから、ここにいる訳だけど。
「大事にしてもらってるし、好かれてるのも判るんだけど、扱いとしては猫可愛がりの域だよ。ボクは完全に守られる方の立場。実際どうとか言うより、気持ちの上でね。そのくせ言葉や気持ちの露出を避ける傾向にあるし、仕事は基本的に好きだから午前様も珍しくないし、まともに顔も合わせない日が続くと、いっそボクの方がどっちが大事なんだって聞きたくなるくらいだよ」
一瞬沈黙が落ちて、ボクはしまったと思う。
「・・・・・もちろん言わないけどさ」
慌てて付け足すと、何故かため息をつかれた。大きく息をついた同僚が、何か意外。と呟く。
「お前でも恋愛の悩みとかあるんだな」
「あのね。当たり前なんだけど」
「いや、そうなんだけどさ。何かアルって分かりやすい欠点とか無いし、もっとこう、絵に描いたような生活を送ってそうな」
「そうそう。小説みたいなな」
「人を何だと思ってるのさ」
褒めてるんだぜ!と言われて、それってつまり人間味が感じられないってことじゃないの。と思ったけど、鎧だったという現実離れした経験ボクが言うことでもないかと思ったので控えておく。
「あの人に追いつくために必死だよ、ボクは」
いつだって。
絵に描いたような、小説のようなといえば、むしろ彼の方がイメージに近いだろう。周りはあの人を天才だと言い、英雄のように扱う。
そんな期待も、自分の中の弱さも、過去の苦しみも全部切り捨てて、あの人はただ前に進む。
「弱いところが無い訳じゃない。迷うこともある。それを見せない強さを持ってる人だけど、人間は絶対じゃないから、たまには崩れることもあるだろう?そんな時に絶対に手を差し伸べられるようになりたいんだ」
何があってもボクだけはそばに居る。それがせめてもの救いになればいい。支えに、なればいい。
「あ、オレ、コーヒー買ってくる」
「オレの分も」
「おう」
不意に立ち上がった同僚の片方を見送って、もうひとりがこっちをちらりと見た。
「多分さ」
「ん?」
それで思いだしたすっかり冷めたコーヒーに口をつけながら、ボクは聞き返す。
「向こうも同じように思ってるんじゃね?」
「え?」
「お前に追いつきたいってさ」
「それは無いよ」
即断したら、相手は少し笑って、そっかあ?と首を傾げた。
「だってずっと前を進んでるのに」
「んー・・・じゃあさ、一緒に歩きたいって思ってる、かも」
一緒に。
一瞬、ふわりと目の前を在りし日の赤いコートが翻って消える。
「そうだと、いいな」
行くぞ、アル!と呼ぶ声も。
「おー、お待たせ」
ぽんと、自分の前にもコーヒーを置かれて、思わず見上げた。
「おい、カフェの新しい子、めっちゃ可愛いんだけど!」
「え、マジで?オレも見に行ってこようかな」
だけど、すっかり話は変わってしまっていて、ボクは再びコーヒーをかき回すためにスプーンを取り上げたのだった。
軍部で働いてる未来の兄弟。っていう設定で。