一日一善を心がけているとは言わないが、それなりに日ごろの行いは良いつもりだった。
そんな俺にも神の悪戯か予期せぬ不幸はやってくる。それも突然に。突然だから予期できないというんだろうがね。
バシャっ。と、景気が良い音がした。
季節は七月。空は快晴の見事な真夏日で、予想最高気温は俺の体温よりも上だった。火照った体に冷水は正直心地よかったが、
「……ぬう」
服を着たまま浴びるというのはよろしくない。
制服の上。半そでのカッターシャツがびしょ濡れになっていた。
花壇に水遣りをしていた用務員さんが「すまないね」と下げる頭が陽光を照り返している。夏ですし体操服もありますから大丈夫ですよ、と答えて苦笑いを浮かべておいた。
体操服はちょうど昨日持って帰って絶賛洗濯中だったが、だからと言ってここで用務員さんに怒ってもしかたないだろう。鞄とズボンが助かって良かった、くらいに思っておくのが吉だ。
「それじゃ、俺部活行きます」
それだけ言って、俺は旧校舎へと足を速めた。
この天気だ。窓にでも干しとけば帰る頃には乾いてるだろう。
とりあえずとネクタイだけを外して、部室に入る。
突如襲来した上半身だけ水浸し男に先に来ていた……ハルヒだけかよのハルヒは、髪の毛を逆立たせて目を見開いた。そんなに驚かなくてもいいだろうに。
しかし他の面子が居なくて助かったな。長門はともかく朝比奈さんと古泉の前で服を脱ぐのは流石に躊躇われる。
鞄を机の上に置く。上から順繰りにボタンを外しながら歩き、まいったぜ、と前置きをして、
「水遣りしてた用務員のおっちゃんが手を滑らせたらしくてな。ホースの水被っちまった」
ちょうど目があったハルヒに説明してやる。
ハルヒは視線を俺の顔から体へとゆっくり下げていき、ボタンを弄る手のあたりで止めて、……何故かごくっと唾を飲み込んだ。唾? 喉でも渇いてるんだろうか。うん。すげえ暑いしな。
そういや俺も何か飲みたいなと思いながら更にボタンを一つ外したところで、ハルヒはうっすらと汗が浮かんだ顔をふにゃっと崩し、
「ふ、ふーん。またぼーっと歩いてたんでしょ。気をつけなさいよ。水が車だったらあんた死んでたんだから。ほんと間抜けね」
やたら熱い瞳でそんなことを言うが、校内を走る車なんて無いぞ。車道に近いところだったら俺もちゃんと気をつけるわい。
ま、間抜けなのにはちょいとばかり同意せざるを得ないけどな。
「うっせーよ」
適当に返事をしながらぷち、とボタンを外す。もう胸板どころか腹筋までご開帳だ。
「……」
そこまできてもハルヒの熱い瞳は相変わらずで……そんなに見られるといくらこいつが相手でも恥ずかしくなってきたな。
つうか男が服脱ぐところなんぞ見て何が楽しいんだろうか。理解に苦しむ。へそあたりに集中する視線に見えないくすぐったさを我慢しながら、
「あんまり見るなよ。エロハルヒ」
よくアニメで見かけるお決まりの胸隠しポーズをとってみる。
ハルヒは途端に、顔面に熟したトマトをぶつけられたみたいに顔を真っ赤にし、
「誰がエロよ! あんたにだけは言われたくないわ! ……ふ、ふんっ、貧相な体してるわね、って呆れてただけなんだから。シックスパックにしときなさいよね、SOS団として!」
そこまで慌てると裏に何かあるのが見え見えなのを知ってか知らずか大声で捲くし立てた。
つうか見てたことは否定しないのか。それに呆れてたわりにはやたら熱っぽい視線だったぞ。
「え、ええ見てたわよっ。んで、見て何が悪いのよ。視線が熱いんじゃなくて気温が高くてあんたが勝手にそう感じただけでしょ。そりゃあまぁ、あたしも観察するのにちょっとじっと見たけど……」
最後のほうはそっぽをむいてぶつぶつと。
うーん。耳まで赤くしてもらってるところ悪いが、結局何が言いたいのかよく分からない。
まぁもう良いか。俺が恥ずかしいのを我慢すれば済む話。ハルヒも別に気持ち悪いだのセクハラだのという文句があるわけじゃなさそうだし、さっさと脱いで干してしまおう。
「……しょい、と」
最後のボタンを外し、ぴちりと肌に張り付いて脱ぎにくさ五割増しのカッターの呪縛から上半身を解き放った。
この際皺になるとかは無視してぎゅっと絞ってから、窓に干す。
その窓から差し込む風はぬるま湯もいいところだが、それでも少しは気持ちが良い。適当にハンカチで湿り気を拭ってから、うん、と伸びをする。
「ん……んん?」
流石に何か羽織っていた方が良いかと考えていたら、再び熱い視線。
その発生源へと顔をむけて、俺はひっくり返りそうになった。
「おいおい……」
顔面に完熟トマトを数個追加したハルヒが鼻からつつうと鼻血をたらしている。
そんなに俺のボディが魅惑的だったのだろうか。いや、自分で言ってて寒いのは分かってる。熱射病だろう。自分が流血していることに気がついていないのか、だらだらするがままのハルヒに近寄ると、
「んぐっ」
という音をたてて唾と一緒に唇から口内にはいった鼻血まで飲み込みやがった。
ばかたれ。何してやがる。ったくティッシュは何処だ……、って、なんとズボンのポケットに入ってるじゃないか。ニ、三枚取りだして手に持つ。
ほれほれ、とりあえず上向け。
「きょ、キョン! あんたなんて格好してるのよ!」
「はぁ?」
何をとんちんかんな事言ってやがるんだ。その一部始終をお前は凝視してただろうが。
「そう、だったわね……って、血! 血が出てるじゃないの!」
今更気がついて慌てだすハルヒ。落ち着け馬鹿。制服についたらどうすんだ。それに興奮したら余計止まらなくなるだろが。
「……じゃあもう止まらないかも」
「アホなこと言ってないで上向けよ」
言いつつも顎を持ち上げて強引に上を向かせる。空いた手で鼻の下の血を拭ってやる。されるがままのハルヒ。今しがたまで暴れてたくせに借りてきた猫みたいに大人しい様子で、熱射病が酷いのかと心配させやがる。
「ちょっとそのままにしてろよ」
「うん」
新しいティッシュを手に取り、大きめのこよりをつくる。繊細とは言いがたい手つきでそれを鼻の穴に押し込むとき「むがっ」という女の子らしくない声が漏れたが、武士の情けだ、聞かなかったことにしておいてやろう。
「おし、もういいぞ。止まるまでじっとしとけよな」
ひとまず応急処置は終わりだ。氷水で冷やしたりしてやりたいが、そんなもの触ってたら俺の体が冷えそうだ。寧ろそういった方面にはハルヒの方が詳しそうだし、後は本人に任せよう。
つーわけで、と、俺は予備の椅子をいくつか並べて簡易ベッドを作成してそこに寝転がった。
コスプレ衣装から適当にハルヒのヤツを借り、一応体に羽織っておく。これで風邪をひくことはないだろう。
「んじゃ、服乾くまで寝てるわ」
「あ……うん。おやすみ」
流血してる時くらい大人しくしとけよな、と祈りつつ俺はまぶたを閉じた。
やおらしおらしい横顔がちらりと見えて、そんな表情と様子なら多分大丈夫だ……な……。ぐぅ。
………………
…………
……
「ん……?」
目が覚める。あれからどれくらい時間が経っただろうか。時計を見ようと首をめぐらして――
「……何なんだお前ら」
額から汗をたらすことになった。窓からは夕日が差し込み気温も下がり、大分過ごしやすくなっているが確かに俺は汗をかいた。
いや、だってなぁ、
「あは、あはは」
「うふ、ふふふ」
「………………」
「いやはや、はっはっはっ」
四人が揃いも揃って鼻の穴にティッシュを詰め込んでいるなんてシュールな光景を目撃させられたときたらなぁ。しかも皆寝ていた俺を生贄に儀式をおっぱじめるかのように周囲をくるりと囲んでいる。
何が楽しいのか嬉しいのか、いまだ日中の残滓を引きずっているのか赤い顔の四人の顔を順繰りに見つめていき、俺はやっぱり最後はこれだなと肩をすくめた。
やれやれだぜ。
………………
…………
……
「おい待て。待ててめえ! なんだその裸キョンフォルダってのは! 今すぐデリートしろ! 寧ろ俺がする!」
「団の共有財産に何すんのよー! みんなキョン止めてぇぇぇ!」
という保守
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