『ありがとう』~円堂と風丸の場合~


器用なもんだと風丸の手元を見ながら、円堂は思った。
練習を終え、狭い部室で仲間と肩をぶつけ合うようにしながら、
制服に着替えている最中だった。
何気なく見やった風丸から、目が離せなくなったのだ。
ほつれてしまったポニーテールを解く。
背中の中ほどまである髪に、何度も櫛を入れて艶を出し、また
一つに束ね上げる。
それら一連の動作の間、風丸は一度も鏡を覗き込むことはなか
った。
手が、体が覚えているのだろう。
「何?」
視線に気付いて、風丸が振り返った。赤茶色の目にまともに
見詰められ、円堂は何故か狼狽した。
「いや、器用だなと思ってさ」
怪訝そうに細い眉が顰められる。慌てて円堂は言い足した。
「その……髪の毛」
「ああ」と、風丸が頷く。
「そりゃ慣れもするさ。さすがに……」
そこに、声がかかった。マックスが、ロッカーの扉を閉じなが
ら振り返る。
「話中悪いんだけど、二人ともまだ残る?僕、今日鍵当番なん
だけど」
いつの間にか、皆帰り支度を済ませ、残っているのは円堂と
風丸の二人だけになっていた。
いかにも帰りたそうなマックスに、風丸は右手を差し出した。
「俺が返しておくから、先行っていいよ」
「頼んだよ。じゃ、また明日」
ほっとしたように、マックスは鍵を放り投げた。鍵は、綺麗な
放物線を描いて、風丸の手に落ちた。
ドアが閉まり、足音と話し声が遠ざかる。
そちらに目を向けていた円堂は、続く風丸の台詞の意味を、
取り損ねた。
「十年にもなればね」
「十年?何が?」
「だから、髪の毛」
「ああ、そ、そっか。……十年?!」
何気なく聞き流しかけ、目を剥いた。十年前といったら、円堂
と風丸は四歳。ちょうど通い始めた保育園で出会った頃だ。
円堂がそう言うと、風丸は微笑いながら頷いた。
「お前とは、最初クラスが違ったんだよな。だから、初めて話
をしたのは、夏祭の準備の時だったっけ」
「そうそう!そうだっけ……な……」
最後は消え入りそうな声になった。
風丸の手前、さも覚えているかのように相槌をうったが、実は
さっぱり覚えていない。クラスが二つあったことすら忘れて
いた。
そんな円堂をよそに、楽しげに風丸は続ける。
「合同で盆踊りの練習させられてさ、先生の手違いか何かで、
男の子用の浴衣が一枚足りなかったんだよ。それで、ふざけて
誰かが俺に、女物を着せようとしたんだ」
──風丸は女モンでいいじゃん!どうせ女みてェな顔してんだ
   しさ!そうだ、こいつもかぶっちまえ……
円堂は目を見開いた。フラッシュバック。
赤い朝顔の柄の浴衣。
呆然と立ち尽くす男の子。
かぶせられた長い髪のかつらと、その下からはみ出した青い
髪。
思い出した。
くすくすと風丸が笑う。
「驚いたよ。いきなり飛び出して来て、三人相手に一人で取っ
組み合い始めてさ。止める暇もなかった」
「仕方ねェだろ。黙って見てられなかったんだから」
「考えるより先に体が動くのは、今と同じだな。進歩がないっ
てことか」
風向きが悪い。
「そんなことより」と円堂は話題を変えた。
「あの頃お前、髪短かかっただろ。どうして伸ばしたんだ?
十年も長いままってことは、よっぽど気に入ってんのか」
風丸の顔から、笑みが消えた。円堂を見る目が、急速に冷た
くなる。
何か、変なことを言っただろうか。
「覚えてないのか」
「な、何を?」
数秒、風丸は円堂を睨み、それから首を振った。
「ま、いいや。お前に期待する方が、間違ってたんだ」
ロッカーから鞄を引っ張り出し、肩に掛ける。
「帰ろう」
出て行きかける背中に、円堂は呼びかけた。
「何だよ、それ。待てよ、風丸!」
気を悪くさせたのは、円堂のせいかもしれないが、何が原因
かも判らないのでは、こっちだって気分が悪い。
戸口で追いつき、肘を掴んだ。
「言いたいことがあるなら、はっきり言えよ。俺、悪いこと言っ
たか?覚えてないって何のことだよ」
「……理由」
「あ?」
「俺が、髪を伸ばした理由」
片方だけ覗いた瞳で、風丸はちろりと円堂を睨んだ。
「お前が言ったんだろ。かつらかぶせられて、泣きそうだった
俺に」
──髪長いのも、似合うんじゃねェか?
「……言った、気がする……」
「言ったんだよ。だから伸ばしたんだ」
お前に言われる分には、悪い気がしなかったから、と、風丸
は少し赤い顔で付け加えた。
「ごめん……」
うなだれる円堂の頬も、熱かった。
子供の頃とはいえ、ずいぶんと歯の浮くような台詞を口にした
ものだ。しかも、それを綺麗さっぱり忘れていたとは──自分
で自分に拳骨を食らわせてやりたい。
捕まえていた肘から、すっと力が抜けた。
「もういいよ」
「良くないよ。お前、怒ってんだろ。ごめんな」
「怒ってないよ。それに、こういう時は、『ごめん』じゃないだろ」
顔を上げた。
赤茶色の瞳が、微笑っていた。
建てつけの悪いドアから吹き込む風に、長い髪が揺れる。
そう、今伝えたいのは、もっと別の言葉だ。
「──ありがとう」
十年分の想いをこめて、円堂は言った。

                           了


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