【リーマンズクラブ:たつみこ】最終話後軸
呼ばれたい本心にひそむ熱
「〝お前〟って呼ばれるの、やっぱりイヤか?」
上司風ふかせてるか他人行儀に思われるか、単に不快なだけだろうがあまり良くないよな。
そう思っているがすでに癖になっているので直すのは難しい。少しずつ改善していくしかないかと内心で溜息を吐いた
建へと尊が目線を逸らして言葉を返した。
「イヤっていうか……名前で呼ばれたいです」
面映ゆい表情で言う尊に建が瞠る。あれだけ「名前を呼び捨てしないでください」と言っていたのに。
実業団大会のインターバル中にどさくさで「尊」と名前を呼び捨ててからは言われなくなった。それを良いことに以後は
呼び捨てが当たり前になっていた。
だが建が尊への感情を自覚した辺りで呼び捨てにすることに抵抗を覚えた。建の真似をして誰かが「尊」と呼び始め
たら、という危惧。尊の同級生には当時から呼び捨てされてるのでそこは論外だが、それ以外のという意味。
そんな思惑と同時にいだく、尊は俺のモノという独占欲。
建は尊以外も普通に「お前」と呼ぶ。だが他人や尊本人の前など問わずに最近は「お前」と呼ぶようになった。これは
建だけの特権だと思っている。
いつしか日常化していた「お前」という呼び方だが尊は快く思ってなかったらしい。
今更ですけど、と切り出された時は気構えた。
尊が嫌がることはしたくない。だから要望なら聞く、だがまさかの言葉に驚く。さらに名前を呼び捨てにされたいと言わ
れるのは予想外。
だが建にとっては願ったり叶ったりの要望。
「じ、じゃあ、出来るだけ尊って呼ぶけど、いいか?」
「いいですよ。俺のこと名前で呼ぶの、家族か梓馬と橙也だけだし。……宮澄さんには呼び捨てにされたいです」
「おいおい、すごいデレるなぁ。どうした? なんか欲しい物でもあるのか?」
家族と親友と心を許した人にしか呼ばせていない呼び捨て。
それを正式に許されたことは嬉しいが今までのことを考えれば疑いたくもなる。
尊はバド以外ではほぼ無欲だが食べ物には容赦がない。だとしてもなにか欲しい物があるのかもしれない。
普段無欲だからこそ尊には買い与えたくなる。そんな建の心理を逆手に取ったのかと思えばそうではなく。
「なんでそうなるんですか。あとデレてません。これは……パートナーとして当たり前のことです」
〝パートナーとして〟などと尊の口から聞けるとは思わなかった。尊がそう考えているのなら、機会ではないかとよぎり
思わず口を突いた。
「なら、俺のことも名前で呼んでくれ。なんなら呼び捨てでもいいぞ」
「……さん付けならいいですよ。あと、他の人の前では〝宮澄さん〟のままですから」
以前もしたことのある会話を改めてしたが今度は断られなかった。
呼び分けは事故を起こすことがあるもののパートナーなら名前で呼ぶこともある。もし誰かに聞かれてもたまに名前で
呼んでいると返せばいい。きっと尊の機嫌が良い時はそう呼ぶと思われるかもしれない。
なによりもしそんなことが起きればその時に対処すればいい。
「面倒くさくないか、それ」
「まぁ、間違えて橙也たちの前で呼ぶかもしれませんけど、べつにおかしくないですよ」
「ふっ、そっか。尊がそれで良いならいい。じゃあ改めて、よろしくな尊!」
今は尊に呼ばれたい一心で微笑を浮かべ拳を胸の前に出した。
「礼儀正しいですね。そういうところ、好きですよ建さん」
仕草とはちぐはぐだが相変わらずこういうところは礼儀正しいと褒められたかと思えば語尾でしっかりと名前を呼んで
くれた。なのにそれが吹っ飛ぶほどの衝撃を寸前に受けてしまい再び大きく瞠った。
「お、おぉっ。すごいな、今までで最大のデレじゃないか?」
嫌いではない、と言われるのなら分かるがまさか好きという言葉になるとは思わなかった。流石に時間が止まるほど
驚いた建を見やり、ぶつけた拳をぐりぐり擦り付けて照れ臭そうに返した。
「デレじゃなくて本心です。……建さんの前くらいは素直になろうかなって……。変ですか?」
「そんなことないぞ! もっと言っていいんだ! 俺も尊が好きだ。最近よく笑うようになった尊はもっと好きだ」
「言い過ぎ。そういうのはたまに言うからいいんですよ。だから二人の時でも〝あんた〟って呼びますから」
「えぇ~っ、それはないだろ尊ぉ!」
胸を張って尊を好きだと言葉を重ねる建は堂々としている。それは格好良いと思うが今はそう思いたくない。
なによりこんなにもはっきりと好意を向けられると気恥ずかしくて堪らない。
「そんなことより早く服を着てください! いつまで半裸でいるつもりですか!」
「自分の家なんだしいいだろ。ってか、風呂に入ってる間にまた片付けてくれたんだな、サンキュー!」
練習後に惣菜と弁当を購入して寮にスポーツバッグを置いて着替えた尊が弁当を持ち帰った建の新居へと赴いた。
建の奢りだったので一緒に食べるのを了承したがいつものこと。
そして新居に入ればリビングには脱いだ物か取り込んだのか分からないほど服があちこちに飛散している状況を
目の当たりにして大きな溜息を吐いた。それを気にせず風呂へと行った建を憎々し気に見送った尊が自主的に片付けを
してテーブルの上に夕食をセッティッングし始めたところで辛うじて下着だけを身に付けた建が出てきた。
そこで思わず「お前がくると部屋が綺麗になるな」と褒めたが当の尊はそう思っておらず、さらに散らかっていたことも
合わせて不機嫌が増して「〝お前〟って呼ばないでください」と怒られた次第。
その後のやり取りはご覧の通り。せっかく尊の機嫌が直ったと思ったのにまた怒らせてしまった。
けれど建はめげない。改めてお礼を言えばあからさまに溜息を返されてしまう。
「疲れたんで俺も風呂に入ります。先に食べててください」
「おぅ。バスタオルは棚の――」
「知ってます! 引っ越しの時に誰が整頓したと思ってるんですか」
「だよなぁ、ははっ。風呂から出たらキンキンに冷えたビールで乾杯しような」
そう言われてしまえば機嫌を直さないわけにはいかない。なので面映ゆい表情を浮かべた尊が「取り敢えず今日は
それで手打ちにします」と言って踵を返し建の横を通って脱衣室の扉を閉めた。
名前の呼び方もそうだが建の入浴直後の風呂を気にすることなく入る尊は大きく変化している。このままいけばいずれ
建の胸の中に収まる日も近いのでは?と邪な思惑をにやけた顔に滲ませた。
丁寧に畳まれて積まれた服は種類別に分けられていて相変わらず気が利いている。一番上のTシャツを取り袖を
通した建が首に掛けたままのタオルで額をぬぐい、二人分の缶ビールを冷凍庫に入れるため踵を返した……
──終了──
読んでくださりありがとうございました。
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