![]() (嘆きのマートル) ―――『一夜の夢』――― 『嘆きのマートル』などと呼ばれるようになって久しい彼女の日常は、 『不変』と言って差支えがないほど単調なものだった。 なにしろ、彼女自身が停滞しているのだから、そうそう変化など起こりようがない。 偶に的外れなマグルがそんな彼女らを憐み、成仏させようなどとするようなのだが、 ずっとホグワーツ住まいの彼女には知りようもないことだ。 別に、彼女らは苦痛も不都合も感じていないというのに。 どうして、マグルはゴーストを憐れむのだろう。 哲学をしたい時はそんなことも思うけれど、 しかし、そんな疑問も、膨大な時間のある彼女にしてみれば、 考えている内に飽きてきてしまう程度の関心しかないので、 気付けば同じようなことばかりが、彼女の思考を埋める。 自分が死んだときのこと。 自分をいじめてきた男子の末路。 誰も注意を払ってくれない自分自身について。 彼女の行う自問自答に意味などない。 なぜなら、彼女は新しい知識が増えたとしても、成長などしないのだから。 結局のところ、出てくる答えはいつも同じなのだ。 だからこそのゴースト。 だからこその永遠という停滞。 妙に生真面目な首なしニックやら、知識人である血みどろ男爵などは、 どうやらゴーストになどなってしまった自分を恥じているようなのだが、 死んでしまった時にまだまだ精神的に幼かった彼女には、そんな感覚はない。 物には触れなくなったけれど、壁抜けができるようになった。 物を投げられたら不愉快だけど、怪我をしなくなった。 彼女にとって、ゴーストになったということは、そういうことだった。 可哀相な自分が、これ以上ない悲劇の主人公になったのだ。 寧ろ、彼女はその事実を肯定した。 彼女の境遇を憐れんだ校長たちが追い払おうなどとしなかったことも、その一因だろう。 ただ、そんな変わり映えしない彼女にも、最近ちょっとした変化が起きた。 毎日の日課に、早朝の風呂場管理ができたのだ。 とある可哀相な少年のために、見張りをするのである。 彼はここを使ってはいけない人間なので、彼が入っている間に誰か来ようものなら、 問答無用で妨害するのが、彼女の役目だ。 正直、その少年は全く彼女の好みではなかったので、覗きをする気も起きないくらいなのだが、 なにしろ、少年の友人である彼女の想い人が困っていたので、彼女はその役目を買って出たのだ。 せっせと脅かしてやったおかげか、 最近は早朝のこの時間にこの風呂場を利用しようとする人間は皆無である。 しかし、是非ともその成果を想い人に褒めて欲しいところだというのに、 彼は最近一向に自分の元に姿を現さなくなっていた。 城内であちこち潜り込んで情報収集をしたところ、人間関係でトラブルが絶えないらしい。 彼はなにしろ見目が良いので、恐らくはいらない嫉妬やら、 見知らぬ少女に想いを寄せられるやらで困っているのだろう。 つい最近も、女子トイレに集団で連れ込まれていたのを、彼女が颯爽と助け出したところだ。 全く相手にもされていないのに、勘違いをする女は見苦しくて仕方がない。 彼女はそれらと対峙して大変不愉快になった。 が、それも長続きはしない。 ただし、それはゴースト故の不変の為ではなく、 ある日、久しぶりに彼女のトイレを訪ねてきた彼が、彼女にダンスを申し込んだからだ。 彼の言葉を理解した時、彼女はそんなことがあるはずもないのに、 頬に血の気が集まった気がした。 「え……!?ダンス、を私と?」 「そう。本当はダンスパーティ―本番に誘いたいところなんだけど、 パーティー会場は人が多いからね。 マートルの可愛いダンスを披露したらライバルだらけになっちゃうだろう? だから、二人だけでダンスしないかな?素敵な一夜の夢を約束するよ」 にこやかに告げられた言葉は、いまだかつて彼女が誰からも言われたことのないものだった。 彼女の生前には、誰からも好かれる人当たりの好い優等生がいたのだが、 その優等生だって、こんな風に彼女と話はしなかった。 (彼女好みの美少年だったのだが、取り巻きが多くて少しも近づけなかったのである) 二つ返事でOKを出そうとした彼女だったが、 しかし、そこで生来の卑屈さが邪魔をする。 こんな風に素晴らしい笑顔には裏があるのではないか? 自分を笑い者にしようとしているのではないか? あのブスのマートルが、本気でダンスを申し込まれたと勘違いした!と触れ回るのでは? そう考えると、差し出された手が悪魔の誘いのように見えてくる。 彼女は生前からそうだった。 コミュニケーション能力の低さ故に虐げられ、 そのせいで純粋な好意も悪意も、見分けられずに拒絶するしかできなかったのだ。 その態度で、更に虐げられるだなんて夢にも思わずに。 そして、悪循環は彼女の死という最悪の形で決着がついてしまった。 彼女の心はそこから決して動けないまま。 だから、彼が気を悪くするようなことも、彼女は平気で口にできてしまう。 「そう言って、私のことを笑い者にするんでしょ?」 「え?」 「分かってるわ。貴方だって、私のこと本当は根暗でブスだって思ってるんでしょう? だから、ダンスだって本気じゃないんだわ」 「そんなことないよ」を期待して。 「どうしてそんなことを言うんだ」と憤慨される。 それが、今までのパターン。 彼女と関わろうなんて奇特な人間達ばかりだったのに、 結局、最後は彼女の卑屈さに嫌気が差していなくなってしまう。 それが、今までのパターンだったというのに。 彼は、全く予想外の反応を返してきた。 「んー。マートルは自分のこと根暗でブスだって思ってるの?」 「…………」 「多分、ここで僕が『そうだね』って言っても、 『そうじゃないよ』って言っても、あんまり意味ない気がするんだよね。 『やっぱりそう思ってたのね!』とか『嘘つき!』とか言うでしょう?」 「…………」 沈黙は肯定だった。 彼女は、自分を根暗でブスだと思っている。 だって、ずっとずぅっと、そう言われ続けてきたのだ。 流石に彼女だって、何十回、何百回も言われていれば、世間からそういう評価なのだということくらい分かる。 ただ、頭で理解していても納得している訳ではないから、 周りに否定して欲しくてたまらない。 でも、周りは見え見えの嘘でしか否定してくれないから、 不満ばかりが募るのだ。 そのことが透けて見えたから、彼は肯定も否定もせず、 優しい笑顔で手を差し伸べける。 「僕は『根暗でブス』な子に話しかけてる訳じゃないんだよ。 『マートル』だから、ダンスに誘ってるんだ。 ねぇ、『マートル』は僕と踊りたい?踊りたくない?」 頭の片隅で、この言い方では彼は自分を根暗でブスだと思っている可能性があることは分かっていたけれど、 そんな風に訊かれてしまえば、彼女の答えは決まっていた。 「……踊りたいわっ」 さながらダンス本番のように、紳士用の手袋を付けたその手を取る。 彼の瞳には自分しか映っておらず、その表情はほころんでいるように見えた。 頬はきっと薔薇色だ。 ただ。 彼に触ることのできない自分が、ほんの少し残念だった。 くるり くるり 足のない彼女のダンスは流れるように くるり くるり 銀のローブはドレスのように 揺れて 流れて 翻る それは本当に楽しくて。 時間の経過を忘れるくらいの素晴らしい体験だった。 いつか彼も彼女の元を去っていく。 彼は生者で、彼女は死者だから。 それはもはやどうしようもない運命でしかない。 最初は彼がいないことに寂しい想いを抱くかもしれない。 何故、彼は卒業してしまったのかと嘆くかもしれない。 でも、停滞したままの彼女は、 そのことを受け入れるだろう。 いつものように。 くるり くるりと 何度でも。 踊る今が、彼女の全て。 永遠の彼女という存在は。 しかし、一瞬の時しか認識できない。 彼女の感情に、親愛に、意味などない。 なぜなら、彼女は新しい知人が増えたとしても、固執などしないのだから。 結局のところ、行きつく思考はいつも同じなのだ。 ただ。 ただ、ほんの少し。 マートルの中の奥の奥の方で、優しい灯火が残るだけ。 だからこそのゴースト。 だからこその一夜の夢。 ―――作者のつぶやき♪――― ……お礼になっていないっ!暗っ!! ちなみに、紳士用の手袋は防寒用。 ダンスのお誘いはダンス練習です。 本編のヒロインさんを知っていると、最低の人間に思えてくるミステリー。 拍手して下さって本当にありがとうございます。 メッセージのお返事は、出来れば日記辺りでしますので、覗いてみて下さいね。 |
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