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以下、『魔女の一撃』よりお礼小話。
※微ホラー注意。
「副師団長って、見える人なんですかね」
騎警団本部にある食堂の本日の夕食献立は、鶏肉のティアータ煮込みである。酸味のある赤い実と共に煮込まれた鶏肉はフォークで刺すだけでホロリと崩れるほどにやわらかい。
向かいに座るジレニアがそんなことを言い出したのは、エレクトハがちょうどその鶏肉にフォークを刺した、まさにその瞬間だった。肉が繊維に沿って、ホロリと解ける。
「見える、って何が?」
エレクトハの問いに、ジレニアがぼそりと答えた。
「幽霊です」
周りの談笑に反して、エレクトハたちの間には静けさが訪れた。
「……えー?ジレニア先輩、徹夜何日目ですー?まーた犯罪収集しちゃったんですかー?」
ジレニアの隣に座り、炭酸水を飲もうとしていたロンカが遠回しに「正気か」と聞く。エレクトハも聞くところだった。何せ、目の前に座るジレニアには、くっきりと隈が浮かんでいたので。
「ケドレ副分隊長に言って、仮眠取らせてもらいなよ。レッティス分隊長よりは聞いてくれるでしょ?」
ジレニアと組んでいるケドレ副分隊長は、まぁまぁ人使いが荒いが、エレクトハの上官であるレッティス分隊長よりは人の話を聞いてくれる。少なくともケドレ副分隊長は部下が寝不足を訴えたら「眠気が飛ぶまで動け」とか言わない。
しかしジレニアはエレクトハとロンカに対して、首を横に振った。
「いや、寝不足っちゃあ寝不足なんですけど、大丈夫って言うか、むしろそれに至る経緯に副師団長がいるのがめちゃくちゃ気になって気になって眠れそうにない……」
「僕としては、イザラント副師団長が何したかとか聞く方が嫌なんだけど」
「僕もヤなんですけどぉ」
「俺の安眠のために聞いてください」
「聞きたくない」
「やだー」
断固として話を聞くことを拒否する二人に、ジレニアは構わず話し始めた。
結局のところ、ジレニアもまた、第4師団員なのである。
先日、ジレニアはイザラント副師団長と魔物退治の任務に就いた。もともと副師団長が単独で就いていた任務だが、なかなか姿を現さない魔物に業を煮やし、『幸運持ち』のジレニアが呼ばれたのである。
ジレニアが呼ぶのは犯罪であって魔物ではない、という訴えは却下され、そして悲しいことにジレニアが現場に着いた途端に魔物が姿を現した。イザラント副師団長は大喜びだったが、ジレニアは戦闘で死にかけた。
その討伐の帰り道である。
魔物討伐は雪が積もる森の奥の奥で行われたのと、雪が降って足止めされたこともあり、その日のうちに基地がある領都まで帰ることは叶わなかった。当然、途中で宿を取ることになり、そこそこ大きな町で、それなりの宿屋に部屋を取った。一人部屋が二つ空いていたのは幸い、と言えたのだろう。
イザラント副師団長は208号室。ジレニアは206号室。
部屋の配置上、イザラント副師団長はジレニアの部屋の前を通ることになる。ジレニアが先に部屋の鍵を開け、「お疲れさまでした」と言おうとした瞬間だった。
「部屋、替えた方が良いと思うが?」
イザラント副師団長の言葉に、ジレニアは思わず「は?」と聞き返した。
「えっと、俺と副師団長の部屋を交換するんですか?」
「それはうざってぇから却下する。お前だけ別の部屋に替えた方がいいんじゃねぇのかって話だ」
「なんでです?」
「お前が気にしねぇなら、別にいい」
意味が解らず呆然とするジレニアを置いて、イザラント副師団長はさっさと自分の部屋に引っ込んだ。
部屋を替えた方が良い、と言われても、宿を取ったジレニアは一人部屋はもう空いていないことを知っている。空室なのは二人部屋だけになるのだが、そちらは宿泊料金が高いし、経費として落ちないだろう。手段としてはイザラント副師団長と泊まる、という手もあるが、正直言って使いたくない手段だった。いったい誰が、あの常時人を威圧してくる『雷鳴獅子』と眠りたいと思うか。
そもそも、とジレニアは開いた戸口から部屋を見回した。
薄汚れたところもないし、ベッドのシーツもキレイに整えられている。少々狭くはあるが、何日も泊まるわけではないし、眠るだけの部屋だ。ジレニアには部屋を替えてもらう理由になる不満が見つからなかった。
なので、ジレニアはそのまま部屋に入り、眠りに就いた。
深夜。
水音で目が覚めた。
蛇口から水滴が滴るような音ではない。明らかに誰かがシャワーを浴びている音だった。
第4師団員の中で最弱であったとしても、ジレニアは第4師団員である。眠っていても誰かが部屋に入ってくればその気配で起きるような癖がついている。
だというのに、このシャワーの音はなんだ。
誰かが部屋に侵入し、あまつさえシャワーを浴びるまで気づかなかった?
何かがおかしい。
ジレニアは枕の下に隠していた銃を取ろうとして――動けなかった。
体が、ぴくりともしない。
もしや拘束されているのか、と暗闇の中自身の身体を見るが、どこも拘束されておらず、普通に仰向けになっているだけだった。
拘束はされていない。けれどやはり動けない。
では、薬でも嗅がされたのか。
マズい状況に冷や汗が流れたときだった。
シャワーの栓が閉まる音がした。
次いで、ギィィィ、と不快な音をたてながら、シャワー室のドアが開いた。
出てきたのは、男、だった。
上半身は裸で、下半身は濡れたズボンだけ穿いている。
不快な音は、まだ続いていた。
軋むような、擦れるような音だ。
男がベッドに近づいてくる。
黒い髪はぐっしょりと濡れているようだった。毛先から雫がぼたぼたと落ちている。
男はジレニアの足元から、ギシ、とベッドを軋ませ上がった。
その、軋む音を聞いて、ハッとした。
ずっと聞こえている不快な音は、男が近づくにつれて大きくなっている。
そしてそれは、軋む音、ではなかった。
男の口から、聞こえている。
い、い゛いいい、い゛。
男が四つん這いになって、ジレニアの上に跨る。
じ、じじじじ、じじ。
男が、顔を上げた。
い゛っじょ に じ じじ じのう ?
血まみれの顔には、穴が開いていた。
「ひえええええ!」
ロンカとエレクトハは真っ青になって震えあがった。
「え、え、ジレニア、お前、その後、どうしたの!?」
「ぶん殴りました」
「は!?」
まさかの答えに、エレクトハは困惑するしかない。からかわれたのか、と思いきや、ジレニアは至極真面目にもう一度答えた。
「ぶん殴りました」
「何で殴ったの!?っつうか、よく殴れたね!?」
「エレクトハ先輩、よく考えてください。寝てたのに起きたら誰かいる気配がして、現れたのが半裸の男、しかも動けない自分の上に乗って来たんですよ……!俺はそのとき、男として別の危地に立たされてるとしか思えなかったんです!そりゃ死ぬ気で動いて殴りますよ!」
ロンカは、そう言われると納得してしまった。たぶん自分も同じ状況下だったら、同じような危機感を持って、同じく殴り倒していただろう。
エレクトハは、いや、やっぱなんか違う、と思っているが。
「それでジレニア先輩、その後、どうなったんですぅ?」
「殴ったのをきっかけに体が動くようになったんで、明かりをつけてみたら部屋の中には誰もいなかった」
「あ、それでようやく幽霊だって思ったわけね」
「そうなんです。それから寝れなくて、朝になったらなったで他の宿泊客に『あの部屋は数年前、恋人とその浮気相手が一緒にいるところに乗り込んだ男が浮気相手を殺した後、恋人と無理心中した部屋だ』って教えられて」
エレクトハたちはうわぁ、と声を漏らした。
「でも正直そんなことより、そんな話、欠片も知らなかった様子の副師団長が、『部屋を替えた方が良い』って警告してきてたってことの方がめっちゃ恐くないですか!」
「え、イザラント副師団長知らなかったの?」
「朝、一緒に聞いて、なんか納得したって感じの顔してました」
「なんですかそれ恐いぃ」
「めずらしい面子で、えらく騒いでるな。何の話だ?」
聞きなじみのある声に顔を向けると、レッティス分隊長が食事が乗った盆を持って立っていた。
そういえばこの上官はイザラント副師団長と付き合いが長いのだった、ということを思い出したエレクトハは、空いていた自分の隣の席を勧めて、ジレニアの話を聞かせた。
「というわけなんですけど」
「……俺も覚えがあるな。昔、同じような状況で副師団長と宿に泊まったとき、やっぱ同じように部屋替えたらどうだっつって言われた」
「え。それ、やっぱ霊に会いました?」
「いや。俺の時はドアを引っ掻く音だけだった。でも寝不足で疲れてたからな、『夜中にうっせぇんだよ、やるなら昼にやれよクソが』ってブチ切れて怒鳴ったら、すすり泣く声がしたあと音が止んだんで、ぐっすり寝た」
エレクトハもロンカもジレニアも、えぇ……と引いた。この分隊長、怒鳴って霊を泣かせている。
「やっぱ副師団長って、霊が見えてるんですかね」
ジレニアの問いに、あー、とレッティス分隊長は唸りながら記憶を探って、瞬いた。
「思い出した。翌朝、霊が見えるのか聞いたら『見えるわけねぇだろ』っつってたわ」
「えぇ!?」
「本人曰く、自分に向けられる視線やら悪意やら殺気やらに敏感なだけで、霊が見えるわけじゃねぇらしいぞ。相手が生きてようが死んでようが、害意ある気配がわかるってだけだとさ」
「相手が死んでても感じる、害意ある気配って何……?」
もうなんだかよくわからなくなって、エレクトハは頭を抱えた。副師団長に関して、もう何も考えたくない。
ロンカは果敢にもさらに質問した。
「ちなみにぃ、副師団長自身はそういう気配に遭遇したら、どんな対策を取ってるんでしょう?」
「ジレニアと変わらねぇ。出て来たら鬱陶しいから殺す勢いでぶん殴ってるっつってた」
「そうなんですかぁ。じゃあ僕も、そういうことがあったらぶん殴ることにしますー」
エレクトハは遠い目になった。
もうやだこの第4師団。超常現象を物理で解決してる。
はぁ、とため息をついた後、ふと気づいた。
「メルちゃんって結婚したら、そういうのがわかる副師団長と一緒にいることになるんですよね?」
万が一恐ろしい超常現象に遭ってしまったとき、物理で解決できなさそうなメルが気の毒になった。
「メル、大丈夫?」
寮の自室に戻ったところ、同室であるローレンノからそう声を掛けられ、シャルロアは小首を傾げた。
「何が?」
「あんたこの前、仮眠室にある奥のベッド使ってたでしょ」
「使ったけど」
シャルロアはひやりとした。もしかして、ベッドに3時間は寝転んでいたが、その内15分しか眠っていなかったことに気づかれたのだろうか。
しかしローレンノは、思わぬことを口にした。
「あそこ、使うと枕元に立つって評判のベッドよ?」
「立つ?」
何が、と首を傾げるシャルロアに、ローレンノは両手を胸の前でぶらぶらと揺らした。
「コレ」
「……幽霊?いや、見なかったけど」
「えー?第6師団の先輩が実際に使っちゃって、恨めしそうな女の幽霊を見たって言ってたんだけど……って」
そこでローレンノは、はた、と気づいたようだ。
「……そういやあんた、士官学校時代から霊感まっっっっったくなかったわね」
「え、そうなの?」
心当たりがまったくなかったので聞き返すと、ローレンノは迷いなく頷いた。
「だってロアってば、図書室に入り浸ってたのに結局最後まで『図書室の失恋女』見なかったでしょ」
「なにそれ」
「昔、図書室に通ってた女子士官学校生が、恋人に振られて自殺したらしいわ。それから図書室でときどきすすり泣く女の幽霊が見られるようになったって」
「そんな話知らない。見てない人の方が多いんじゃない?」
「はっきり見た人は少ないけど、気配を感じた子は多かったみたいよ。あんた、気配すら感じなかったんでしょ」
シャルロアは呆然としながら頷いた。
「ま、いいんじゃない?見えなくていいものが見えないんだから、幸せよ」
それもそうか、とシャルロアは納得して、仮眠室のベッドのことも気にしないことにした。
何せ、自分には見えなかったことだったので。
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END
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