ヤンデレロマンス(8)




欲しいものを欲しいと思うのを辞めたのは遠い昔。
観月はじめの妹で観月家の長女に生まれた少女は何不自由なく育てられた。
女の子が可愛くてしょうがない父母には蝶よりも花よりも大切にされて、なんでもかんでも買い与えられた。
そこに言葉は必要ない。ただ、物欲しそうに潤む瞳で見るだけでいい。或いはそんな目をせずともジッと立ち止まって見るだけでいい。
特に溺愛を示したのが二つ上の兄だ。
こだわりのあるものには異様な執着を示す兄は、血が繋がった妹をこよなく愛した。特に兄は頭がいいので、あれが欲しいと頭の中で考えるだけで、すぐになんでも用意してくれて手の中に握らせてくれた。
ひたすら増えていく宝箱をぶちまけたような場所で、ちやほやと可愛がられ、父母に兄に守られて――そうしていると欲しいものを欲しいと思えなくなった。
たくさんモノを与えられて感謝の念を感じているのに、それも冷めやらぬまま、ただ眺めていた、それだけのことで次々に物を買い与えられるのは罪悪感しかない。いらないもう買ってもらったから、そういって断ってもそれを子ども心の遠慮と受け取られてしまう。
私が欲しいと思えばなんでも買ってくれる。欲しくない物も買ってくれる。迷惑をかけちゃう。
そうしたら欲しいものはなくなってじっと口を紡ぐことが増えた。あんまり周囲をジロジロ見ないように、兄とつないだ手をじっと見つめるようになった。
与えられることは幸福だが同時に不幸でもあった。
人は与えられすぎたら我侭になるかもしれないが、無条件でなんでも与えられれば無用の罪悪感を覚える。

「…………………………………」

少女はぼぅとしながらつぎはぎだらけのパンダのぬいぐるみを片手に抱いて、片手で裁縫用の大ぶりの鋏を開いては閉じてを繰り返す。
握り手が淡いピンクの鋏は、持ち手の色の可憐さとは裏腹に刃の部分が大きく、少女がすぅと親指と人差し指を動かすとともにカシャ、カシャ、と噛みつくような音を立てた。
ベッドによりかかりながら虚ろな目つきで刃の動きを追う少女。その銀の刃の部分には僅かな刃こぼれと、血のあと。
包帯で修復されて、口から綿のはみ出たぬいぐるみが、少女が力を込めて抱きしめると綿が泡のようにはみ出た。

「なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで」

他人から聞けば意味の為さない呟き。しかし、本人にとっては十分だった。

「なんでリョーマ君は私のことが嫌いなんだろうそうだきっと私がこうだからなんだね」

際限なく増殖し、積み重なるプレゼントの山は恐らく異常。
欲しいと思うから欲しいと思わないように心を閉じ込めたら、段々と心が麻痺して、細胞の一つ一つがぶつぶつと音を立てて死滅していくのが分かった。
欲しいと強請らなくてもやっぱり、与えられるものは同年代の誰よりも多かったが、少しはましになった。
飽食で心を死滅させて、病んだ少女は、遠い昔に壊した心で、越前リョーマを欲しいと思った。

「……好きなのに好きなのに好きなのに好きなのに好きなのに好きなのにリョーマ君に嫌われた世界なんてただの苦痛にまみれた煉獄の世界ここにいることなんて意味がないならいっそ私がいなくればそうだそれが一番一番一番一番だって私が私以外のものになるなんて生まれ変わる以外にないもの」

少女は息もつかせずに一人捲し立てる。早口の言葉に合わせてカマキリのように鋏をカシャ、カシャとがならせる。
病みきった心がリョーマを見た時に、遠い昔に捨てた“物欲”がむくむくと湧き出た。
――欲しい。リョーマ君が欲しい。
物欲特有のあの届かない思いで見上げる気持ちの、切望感が、指をくわえて見つめる焦がれる感情が、甘酸っぱい思いで湧き上がった。
それは限りなく“物欲”に近い“恋”。
だから少女はリョーマを好きになった瞬間から、寮の帰宅時間が許される限りこっそり付け回して、趣味嗜好を舐めまわすように知りつくし、延々と背後を見つめ続け、休日は越前家をじっと観察して、こっそり青学に忍び込んで交友関係を漁りつくし、越前リョーマの全てを網羅して網羅して網羅して網羅して――その表では青学の女子生徒に交じって可憐に部活中のリョーマを応援する。

全ては、彼のことを欲しいから。

手に入れて愛でて、この腕元に抱いたぬいぐるみよりも離したくない。

「うえぇん……どうすればいいのかなぁ」

心中するように鋏を振り回していた少女は鋏を握った手で目を覆って、子供みたいにびえええんと泣きだした。
心が通じたと思ったのに離れて、嫌われて、心の細胞が死んでから欲しいと思うことがなくなった少女は、生まれかわった細胞に湧き出た物欲を前に初めてのどうしようもない八方ふさがりの状況に泣き暮れるしかない。

「いっそリョーマ君の周りものを、全部全部破壊しつくして跡形もなく消し去れば、リョーマ君は私を見てくれるかなぁ?」

真珠の涙をこぼし不吉な自問自答をする部屋の扉を、コンコンコンと三回ノックする音がした。

『ちょっといいですか』

「お兄ちゃん。……いいよぉ……」

涙の合間に言うと、部屋に入ってきた兄の観月はじめは妹の痛々しい姿を見て眉を顰める。その兄はどこか悄然とした態度で、疲れが見え隠れしていた。
その後ろから見える扉に張り付いたまま、部屋を覗き込んでいる兄の友人に後輩はもっと疲れ切った顔をして、それ以上に困り切っていた。

「あ、あのここ女子寮……」

「観月は見ての通り女子に害がない上に、むしろ女子寮では大歓迎されているんだ。それに妹が女子寮に住んでいるからな。観月も観月でちゃんと弁えているから滅多なことじゃないと女子寮には来ない……が、俺らは別だ」

「み、見つかったらどうなっちゃうんスか!?」

「裕太、覚悟しろ。見つからないようにするしかないが、今の観月を一人にするわけにはいかないのもお前なら分かってるだろ?」

「ひぇぇぇぇぇぇ」

ヒソヒソと会話をし、慌てて少女の住む寮の部屋に飛び込んで扉を閉めた。
そして、裕太は部屋の中のものを見て息を呑む。女の子らしいぬいぐるみとか人形とかという品物はひとつ残らず病人のように包帯を巻いて、その下の布が裂けた箇所を隠していたのだ。カッターナイフを目に刺されたままのキリンのぬいぐみまである。傷ついたぬいぐるみと一緒くらいに目立つのが机の上のペン立てにぎちぎちに詰められた無数の刃物類。鋏、果物ナイフ、パン切りナイフ……。
女の子らしい色彩と内装のいびつなちぐはぐでつぎはぎな具合に、繊細な裕太はお姫様のようにふぅと顔面を蒼白にして壁に凭れて立ったまま気絶した。
いつもならここでヒステリックに叫んで怒るだろう兄は、ただそれを一瞥しただけですっと妹の前に跪いて悲しそうに眉根をそっと寄せる。
そこで少女は兄の顔に強い悲嘆の色が浮かんでいることに初めて気づいた。

「お兄ちゃん、どうしたの? 何かあったの?」

「泣いていたのに、僕の妹はこんなときまで人を心配して、可愛い子だ」

優しい手つきで頭を撫で、どこか諦観したように少女の膝のあたりを見つめて一人ごちた。

「……こんな状況なら知らせるべきことが妹にとっては最善なのかもしれない。僕が嫌だとしても――僕が弱いばかりに……」

兄の様子が今日はどこかおかしい。
首をかくかくと傾けて見つめていると、観月はじめは迷いを断ち切るように唇を噛み締めて目を閉じ、妹の目を優しく撫で、その手つきの柔らかさとは裏腹に血を吐くような苦しみを声に滲ませて言った。

「これから言う僕の言うことを、絶対に聞くんですよ。いいですか? 明日の午後十三時に駅近くのショッピングモール内の映画館に一人で行くんです」










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