猫ぐだちゃんと飼い主リンボ

 床の上を這うトカゲにちょっかいをかけていると、ころころと楽しそうな鈴の音を聞いて、ぴんと耳が立つ。音のした方へ駆け寄ると、建て付けのわるい戸が開いて月の光と大きな影が差し込んだ。
「只今戻りましたよ。留守番はちゃんとできましたか? ……ああ、これこれダメですよ。この酒は拙僧のものです」
 帰ってきてくれたのが嬉しくて、にゃあにゃあと彼に飛びついた。
 わたしはこのひとに拾われて、ちょっと前からこのお寺にいそうろうしている。名前はリツカ。このひとが付けてくれた名前だ。彼はいつも緑の着物に袈裟姿。経典の匂いとお香の匂い────お坊さんの匂いがするからきっとお坊さんなのだろう。
 ここはお寺なのに、檀家さんはひとりもいないようだった。訪れるひともいない。ふかい森を抜けたお山のうえにあるし、それにくわえてどこを見てもボロボロだからひとが来ないんじゃなかろうか。屋根くらい直せばいいのにといつも思う。
 お坊さんの匂いにまぎれて、彼からはわたしたちに似た匂いもする。体もおおきいし、初めて出会ったときはまるでおおきな獣みたいで怖かったけれど、ごはんをくれてなでてくれるひとだとわかったあとは彼のことを慕うようになった。
 彼は今日も窓のへりに腰を下ろして、まんまるなお月さまと街の灯りを眺めながら、嗅ぐとくらっとふわっとするふしぎな匂いのおみずをおいしそうに飲んでいる。
 彼と数日をともに過ごして、そうしてあるとき気がついた。
 ────このひと……おみずしか飲んでなくない?! と。拾われてこのかた、いまだに彼が何かを食べる姿を見たことがないのだ。
 おかあさんが言っていた。今はせちがらい世のなかだから、人間もあした食うにこまっている、って!
 きっとこのひとは狩りがヘタなんだ! ならわたしがおいしいもの食べさせてあげなくちゃ!
 わたしはそう決心して、頭をなでるおおきな手の心地よさにゴロゴロと喉を鳴らした。

  ◇

「────で、何ですかコレは」
 猫はにゃあ、と胸を張って返事をした。
 脂の乗った秋のカエルだ。きっと栄養になると思う。猫は褒められると信じて、ぺたりと耳を伏せて撫でられ待ちをしている。
 床は泥と足跡だらけ。目の前には潰れかけたカエルの死骸がひとつ。
 撫でを待っていた猫が焦れて、撫でてくれないの? と上目遣いで飼い主を見つめた。男はため息をひとつ吐くと、観念して猫の頭を撫でた。ゴロゴロ、と心地よさそうな音が聞こえる。
「別に褒めてはいませんからね。役に立たぬ死骸をここに持って帰るものではありませんよ」
 わかったのかわかっていないのか、猫はにゃあ、と嬉しそうに返事をした。
「全く……仕方のない猫ですねえ」
 男は猫を腕に抱き上げて、窓のへりに腰掛けた。少し欠けた月の光が窓辺を照らしている。街の灯りはもう消えていた。今夜は酒も“肴”もない。
「鼠が湧いて出て大事な経典を齧ろうとするので、こうして猫を飼ってみましたが……はあ」
 じゃれつく猫に、おまえは呑気でいいですね、と返す。背を撫でてやると、嬉しいのかゴロゴロと喉が鳴っている。
「まあ……何処の誰かは存じませぬが、鼠の呪詛など今どき流行りませんよ。三井寺の頼豪阿闍梨でもあるまいし。ねえ?」
 猫はにゃあ? と首をかしげる。首を飾る鈴がちりん、と鳴った。








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