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恋なんかじゃない

ひいふう、と古い数え方で指を折る。
折り返して薬指に目をやって、臨也はハアと息をついた。
今日で七日目なのだ。
何がって、『恋人』の顔を最後に見たのが、ちょうど七日前の夜、だということだ。



朝起きて、早々に出かける支度をした。
出社して来た秘書に「今日はちょっと遅くなるから」と告げると、彼女は心得たように、「今夜は帰らないのよね」と、ほんの少し意地悪な顔をしてニヤリと笑った。
「帰るよ。当たり前だろ。ほかにどこに帰るって言うんだよ」
思わずむっとして、そう言い返したら、
「あらそうなの。てっきり今夜はカレシのところへお泊りなのかと思ったわ」
と、さらに意地悪な微笑で返された。
「あのね、俺とシズちゃんは本気でつきあってるわけじゃないから」
「そう、やっぱり彼のところへ行くのね」
「な…」
返す言葉もない臨也に、彼女はさらに追い打ちをかける。
「そうね、ここ一週間事務所に閉じこもってお仕事がんばったんですものね。カレシにごろごろ甘えてせいぜいいちゃついてくるといいわ」
「いちゃついてって、そんなことするわけないだろ。大体、ホントの恋人なんかじゃないんだからね。波江さん、知ってるだろ、全部俺の仕向けたゲームだって」
「ああ、そうだったかしらねぇ、別にそんなこと私にはどうでもいいことだけど」
彼女は口元に笑みを浮かべ、しかしやけに冷ややかな目をして臨也を見やった。
駄目だ、この女には何を言っても無駄だ。
臨也は言い返そうとした口を閉じ、逃げるようにマンションを飛び出した。
別に波江がうるさいからじゃあないし、もちろん、少しでも早く『恋人』に会いたいからなんかじゃあない。
別に、そんなんじゃない。
たまたま今日は仕事がひと段落して、少しだけなら相手をしてやってもいいと思ったからだ。
別に、どうしてもどうしても会いたいからなんかじゃない。
そんなふうに自分に必死で言い訳する愚かさに、気づかないわけじゃないけれど。



恋人になれと迫ったのは自分だし、二人は恋人なんだと噂を流したのは自分。
けれど、それもこれも静雄への嫌がらせのつもりだった。
静雄を追い詰めるために流した情報がいつのまにか一人歩きして、気がついたら自分たちは公認のカップルになっていた。
けれど、別にそれでも構わないと臨也は思う。
確かに今朝みたいに波江に揶揄されることは不快だが、しかしその噂が思わぬメリットを生んだのも事実だった。
昨日、ある仕事相手とのやりとりでこんなことがあった。
「ああそうだ、折原さん」
仕事の話が終わった時だ。
そう切り出したのは、白いスーツに身を包んだ優男だった。
ぴりりと張り詰めた雰囲気を漂わせるその男は、黒い社会の住人だ。
彼は薄い唇に笑みを浮かべて、「そういえば、恋人が出来たそうですね」と、まるでとってつけたかのように言う。
けれど、その笑みを見た途端、臨也は気がついた。
仕事の話はほんのついでで、こちらこそが本題だったのだ。
「しかもお相手は、あの男ですか」
相手が平和島静雄であることは既に周知の『事実』だが、おそらくはその情報を流したのが誰であるかも、彼は気づいているのだろう。
けれど臨也は、素知らぬ顔をして、
「ええ、そうなんですよ」
と笑い返した。
男は苦笑を浮かべた。
「世の中分からないことだらけですねぇ。何を企んでいるんです?」
企む?
臨也は眉間に皺を寄せた。
「何も。ただ、おつきあいしているだけですよ」
企むも何も、自分はいつもと同じ嫌がらせをしているだけのつもりだ。
静雄はこんな関係をそれはそれは嫌がっているし、納得もしていない。
けれど、やけに義理がたい性格が災いし、臨也の貞操を奪ったことへの責任を感じ、不本意ながらも渋々受け入れている。
臨也の言葉や態度にいちいちうろたえる彼を見るのはことのほか楽しいし、時々垣間見せる優しさなんかも実を言うと心地よかったりもする。
楽しい、と思う。
静雄に嫌がらせが出来て、かつ自分も楽しい。
そこにどんな企みもない。
けれどそうか、他人にはそういうふうに見えているのか。
静雄もそんなふうに思っているのだろうか。
例えば、ほかに良からぬはかりごとを企てているのだ…と。
不意に胸がきしりと啼いた。
なんだか奇妙に落ち着かなくなり、自然と視線を床に落とした臨也に、彼は続けた。
「うちの若い者がえらくがっかりしてましてね」
「……は?」
臨也は軽く眉を上げた。
「折原さんは、うちの下の連中に人気がありますからね」
「……」
意外な言葉に臨也は目を瞠った。
「俺が?粟楠会の皆さんにですか?」
「ええ」
と、スーツの膝の上で指を組み、男はにこやかに笑った。
「……それは」
臨也は眉間に皺を寄せた。
それは、つまり、そういう意味だろうか。
すぐにそう連想できてしまうのには、理由がある。
自分の容姿が少しばかり他人より優れていることの自覚もある。
ことに、静雄とこんな関係になってからようやく、そういうふうに自分を見ている男がいることに気がついた。
人間観察を最大の趣味としていて情けない話だが、静雄と関係を持つようになってから――男とセックスをするようになってから初めて、自分を性の対象と見ている人間がいることに気がついたのだ。
正直、気持ち悪いと思う。
偏見などないと思っていたけれど、やはり嫌悪感は拭えない。
他人がどうしようと関係ないと思っていても、それが自分に向けられる感情となると話は別だ。
そうか、やっぱりここの連中も自分をそういうふうに見ていたのか、と思った。
そういえば、以前に比べて露骨にそういう視線を感じるようにもなっていた。
折原臨也は男もいけるらしい。
そんな噂でも広まっているんだろうか。
冗談じゃない。
自分は男と寝る趣味はない。
やっぱり気持ち悪いし、腹も立つ。
――あれ?
でも、俺、シズちゃんとは平気なんだ――。
今さらだけれど、そんなことに気がついた。
「恋人がいようがいまいが、折原さんさえ良ければ、それでもいいって連中も大勢いますがね」
「冗談じゃない!」
思いがけない言葉に、臨也は即座に反応してしまった。
「…っと、あ、いや、俺は…」
にやにや薄笑いを浮かべた顔を正面から見返す格好になってしまって、柄にもなくうろたえた。
「……や、あの」
男はにこりと笑う。
「ええ、分かっていますよ。そんな大事な方がおられるのに、ほかの男となんて、そんなのご免でしょう?ですから、下の者にはきちんと釘を刺しておきましたから」
「……」
臨也は茫然と男を見返した。
なんだそのしてやったりみたいな顔は。
「意外でしたねぇ。折原さん、あなた、そんなふうに見えて、意外と古風なんですねぇ」
にやにやと告げられて、顔に血が上った。
それはつまり、初心だとからかわれているのだ。
しかも、そんなふうって何だ。
一体どんなふうに見えてるって言うんだ。
――分かってるけど。
「……そういうんじゃないですよ…」
じゃあどういうんだ?
自問した心のどこにも、答えは見つからなかった。
とりあえず、平和島静雄と交際するということで、ほかの男に狙われるかもしれないという難を逃れるメリットはあったのだ、とそれだけを心に刻んだ。



潔癖だとは思わない。
セックスだって、今まで経験がなかったのだって、ただ必要を感じなかったからだ。
それなりに性欲はあるし、興味だってある。
自慢じゃないが、女にはモテた。
俗に言うイケメンという顔を持って生まれたことの自覚だってある。
言い寄られたことだって何度もあるし、そういったシチュエーションに遭遇したことだってある。
けれど、それ以上に好奇心を満たしてくれるものがこの街にはたくさんあった。
だから、誰ともセックスしなかった。
それだけだ。
そうして、仇敵である静雄と寝るようになったのだって、ただその反応が面白かったからで、決してそれ以上の気持ちなんてない。
それなのに。



*****



「ハア」
アパートの部屋の前で、臨也はもう何十回目かになるため息をついた。
いきなり暇になってしまった自分と違い、この部屋の住人は朝から仕事に出かけているようで留守だった。
施錠された部屋の前でポケットに手を突っ込んだまま、どうしようかと考えた。
携帯電話に指で触れ、連絡をしてみようか、などと思う。
けれど、それは出来ない。
いつもなら、たぶん、いつもの自分ならそうしていた。
何も考えず、ただ気の向くままにメールを入れるなり、電話をかけたりできる。
でも、今はそんな気になれなかった。
会いたいと冗談で告げるのさえ、何故かひどく躊躇われた。
ポケットの中で高い金属音を立てるその鍵を、この穴に差し込めばドアは開く。
そんなことは十分わかっている。
なのにそれが出来ない。
自分は一体、どうしてしまったのか。
ドアに背中を預け、そのまま膝を抱えてぼんやりと目を閉じた。
無断侵入なんて数え切れないほど繰り返した彼の部屋、なのに、どうしてか今は出来ない。
ポケットの中の鍵は、自分が勝手に作ったものじゃなく、ちゃんと彼から受け取ったものだ。
これを使って部屋に入っても、きっと彼は怒らない。
怒る理由なんて、ないはずなのだ。
事実、以前この鍵を使って部屋に入った時も、彼は不機嫌そうな顔をしただけで、別に文句を言ったりはしなかった。
だからきっと、今この鍵を使ったとしても、きっと大丈夫。
それは、分かっている。
なのにどうして。
「ハア…」
ため息を吸い込んだコンクリートの床を睨みつけ、ぼんやりと目を閉じた。



*****



カンカン、と甲高い音に目を覚ました。
臨也は顔を上げ、音のするほうへ視線を巡らせた。
小気味良い靴音を立てて階段を上がって来た人物と目が合う。
彼は――静雄は臨也の姿を認めると、そうと分かるほどびくりと肩を震わせた。
そうして、踏み出したままの足をのろのろと床へと下ろした。
「……手前、何やってんだ…」
低い声が不機嫌も露わに告げる。
その声に胸を抉られるようだ、と臨也は思う。
そんな目をしなくたっていいじゃないかと思う。
「……こんばんは、シズちゃん」
臨也は立ち上がり、尻の埃をぱんぱんと叩いて払う。
あんまり長く座っていたせいか、あちこちが軽く痛んで、ぎくしゃくしたものになってしまったが。
「……」
静雄は少し目を眇め、臨也を黙って見下ろした。
「……手前…」
「ん?」
「や、何でもねぇ」
静雄は軽く舌打ちすると、ポケットを探って鍵を取り出した。
そして、ふと気がついたように顔を上げ、臨也のほうを見やった。
「何?」
問い返したら、彼は口を開きかけ、それからはっとしたように顔を逸らしてしまった。
「何でもねぇよ」
カチリ、と音がして鍵が開く。
ドアを開いて、彼は振り向きもせず中へと入る。
当然のように後をついて行けばいいのに、何故か戸惑ってしまう。
「……入んねぇのか?」
「入っていいの?」
「今まで勝手に入ってやがっただろうが」
不審そうに静雄が告げる声に、「うん、そう、そうだよね」と、慌てて後を追った。
いつもの自分なら、まるで我が家みたいな顔をして入っているところなのだ。
どうしてだろう。
先を行く静雄の背を見つめているだけで、わけもなくドキドキした。
何だろう、このかんじ。
思わず押し当てた胸からは、らしくない鼓動を刻む心音が響いてくる。
どうしちゃったんだろう。
戸惑いをねじ伏せるように、視線を落とした。
「なあ」
「わあ!」
突然立ち止まった静雄の胸に、ごつんと額をぶつけてしまった。
「何やってんだよ、手前はよ」
「いきなり止まんないでよ!頭いたーい!」
「前見てろよ。つーか、手前、何しに来たんだ?」
「え?」
何で?
「……何で、かな…」
呟いた自分の声がやけに心細く響いてしまって、何故だか胸が騒いだ。
寂しかった、とでも言えば、この男は喜ぶのだろうかとも思う。
死んでもそんな真似など出来っこない自分を理解しているから、余計に気分が悪い。
「……気が向いた、とかじゃダメ?」
「なんだそりゃ」
静雄は一瞬呆気にとられたような顔をし、それから破顔した。
それはもう、臨也の心臓を射抜くくらい鮮やかに。
静雄の笑い顔なんて、何度も見ている。
何年も近くにいたのだから、何度も何度も目撃している。
でも、ただ“見たことがある”だけだ。
静雄の笑顔は、いつだって自分以外の存在に向けられたものだった。
臨也自身に、こんな笑顔を向けてくれたことなんて、一度だってない。
こんなふうに“つきあう”ようになってからも、なかったはずだ。
なのに、どうして。
「ねぇ、シズちゃん、何で、君は俺とつきあってるの?」
もう何度も繰り返した問い。
答えなんて分かり切っているはずなのに。
静雄は「え」と目を見開き、はっとしたように臨也を見返した。
それはまるで、今初めて自分が笑いかけたのが臨也なのだと気がついた、そんなふうに見えた。
「そりゃ…手前が、責任とれっつったから――」
低い声が唸るように告げるその声を、今は聞きたくないと思った。



どうして、好きでもない奴と、君は寝たり出来るの。
どうして、そんなふうに笑いかけたり出来るの。
自分には出来ない。
きっと無理。
だって――。
飲みこんだ言葉を音にすることも出来ずに、臨也はただ静雄の横顔を見つめ続けた。
自分は傷ついているのだ、と臨也は思った。
楽しいはずの恋人ごっこは、今やちっとも楽しいものなんかじゃなかった。
苦しくて、胸が痛くて、ただただ不安ばかりが募る。
静雄がどんなつもりでいるのかだとか、何を考えているのかだとか、どう思われているのかだとか、そんなことばかりが気になって、想像して、胸が苦しい。
きっとこれが本当の恋じゃないからだ。
本当の恋ならきっと、もっと楽しくて嬉しくて、幸せな気持ちになれるはずだ。


だからこれは、恋なんかじゃない。
恋なんか、最初からするつもりなどなかったのだから。



END.
2011/09/02
『恋なんかじゃない』




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臨也の恋が始まりました。
恋してないって言い張るけど、ホントはちゃんと恋してるの
分かってないのは自分だけなの
という乙女な臨也がスキダカラー!!


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