覚悟はしていた赤い紙。
 いつかいつかと怯える日々は終わりを告げた。
 代わりに訪れたのは、死亡届の届く日に追われる日常。
 
 その日私が見送ったのは、あなたの広い背中でした。
 それまで着ていた薄い着物は、また袖を通されるのを待ってとってあります。
 毎日私はあなたと別れたあの松の木の下であなたの帰りを待っています。
 
「きっと帰ってくるよ」
「心配いらない」
「笑って待っていておくれ」

 そう言って、あなたは私に背を向けました。
 それから幾度季節が巡り、幾度その言葉を繰り返したことでしょうか。

 よく晴れた日でした。
 空は青く雲ひとつなくあなたの門出を祝っていました。
 けれど送り出す私の心はその空をひどく妬み、呪いさえしました。
 まるで青空は、あなたに死ねと命令しているように見えあれ以来苦手です。

「いってらっしゃい」
「無事のお帰りをお祈りしています」
「日本国民、万歳」
「どうかどうか、死なないで」

 私の中に同居していた複雑な想いにあなたは気づいていたでしょうか。
 きっとあなたも複雑な思いに囚われていたのでしょう。
 あなたが旅立つ日に抱きしめてくれた腕から伝わったのは、あなたの悲しい想いでした。

「待っていてくれ」
「愛しているよ」
「君のために、戦ってくるから」

 あなたも行きたくなどなかったのだと私は知っています。
 朝、太陽と共に目を覚まし、晴れた日には田を耕し雨の日には縄を綯い、夜には太陽と共に床に入る。
 家族を増やし、毎日が繰り返される生活を送りたいと私も願っておりました。
 けれどもこの国は、この世界は。
 私たちのささやかな願いをも叶えてくれはしませんでした。
 
 お国のためと、あなたは言いました。
 私のためにと、あなたは言いました。
 
 そのどちらが本心か、私は知らないふりをしなければなりませんでした。
 だから、その日もあなたに対してわたしは何もいえなかった。
 旅立つ日本国民に、
 「万歳」と。
 そうとしかいわせてはもらえなかった。
 
 あぁ、愛するあなたの背中。
 私をおいてゆく背中。
 私はその背をいつまでもお待ちしています。

 あなたは国民の鏡として玉砕したのでしょうか。
 そうであったのならば、私は一国民として喜ばねばなりません。
 あなたは非国民と罵られながらも生き恥を晒しているのでしょうか。
 そうであったのならば、私はただの私として喜ぶでしょう。

 あなたがもう彼の地で果てていようとも、
 私はあなたの背を見送ったこの場所であなたの帰りを待ち続けます。

 たとえあなたが、死していたとしても。



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