陽だまりの隣


「いつもありがとうな」



 うららかな陽射しの中、そよと吹く風が青葉の香りを運ぶ春。千鶴の部屋の前の濡れ縁に並んで腰掛ける人影を見つけた。
「千鶴、いるか? ――ああ、斎藤も居たのか」
「はい。今朝は非番ですので」
「そうだったな」
「土方さん、私に何か御用ですか?」
 見れば、千鶴の膝の上には繕いかけの隊服があった。おそらく、斎藤が千鶴に頼んだものだろう。
「作業を中断させてすまねぇが、茶を一杯、頼まれてくれるか」
「はいっ、お部屋にお持ちすればよろしいですか? 少々お待ちくださいね」
 丁寧に畳んだ隊服をそばに置くと、千鶴は身軽く縁側から立ち上がった。
「千鶴、茶はここへ持ってきてくれ。お前と斎藤の分もな。確か、勝手場の一番上の戸棚に、先日近藤さんがもらってきた饅頭が入ってるはずだから、それも一緒に頼む」
「わかりました!」
 背を向けて勝手場へ向かう千鶴に、斎藤も腰を上げる。
「俺も手伝おう」
 いつもの通り、静かな身のこなしで千鶴の後を追う斎藤の背を土方は感慨深く見つめていた。


 程なくして千鶴と斎藤が戻ってきた。
 土方の隣に茶と饅頭を置いて腰を下ろした千鶴の横に斎藤もまた座る。
「土方さん、お仕事はひと段落つかれたんですか?」
「ああ、まあな。近藤さんが戻ってきて話をするまで、ひとまずってところだ」
 四方皿に載せられた饅頭を手に取り頬張ると、口の中に餡の甘味とほのかな塩味が広がった。
「これ、桜の塩漬けがついてるんですね」
 饅頭の表面、中心部に飾られた桜の花に千鶴がほわりと微笑む。
「今年の桜はもう終わってしまいましたけど、こうして見ると、まだまだ春なんですね」
 饅頭は二口で食べ終え、まだ湯気を立てている熱い緑茶をずず、と飲む。程よい苦味が、口の中の餡の名残を溶かした。
 中庭に植わった桜の木は芽吹いた若葉が陽の光を受けて青々とまばゆい。ここに居ると、時が流れることを忘れてしまったかのような感覚に陥る。

「最近問題はないか」
 不意に尋ねれば、千鶴はゆっくりと饅頭を咀嚼して飲み込み、ゆるりと顔を横に振った。
「皆さんには本当に良くしていただいていますから、問題なんてありません」
 答える千鶴の声には迷いなどない。心の底からそう思っているのだとわかる。綱道が見つかる気配がないままにいたずらに過ぎてゆく時間を思えば、何も問題がないわけがない。それでも千鶴の浮かべる微笑みに偽りの気配を見いだせないことに安堵している己は弱い。この娘は、このか細い身体からは思いもよらぬ芯の強さを持っている。
「そうだな。――斎藤がついていれば、困ったときも相談しやすいだろう」
「はい、」
 無愛想に見えて細かなことに気のつく斎藤を最初に千鶴の「監視役」としたのは土方だ。この、どこまでも生真面目な土方の懐刀は、暇さえあれば千鶴のもとを訪れていたし、千鶴もまたそんな斎藤の背中を追うように行動を共にするようになっていた。
 時が経ち、幹部の間から千鶴を「監視対象」と見る意識は薄れ、むしろ「保護対象」という認識になってもふたりの関係に変化は見られない。
 土方の言を受け、千鶴は面映そうにちらりと斎藤を振り返った。自然を装って顔を逸らした斎藤の耳はほのかに血色が良い。
(――いや、)
 ふたりの関係に変化は見られない、というのは正確ではない。本人たちに自覚があるのかどうかはさておき、ふたりは確実に互いへの情を育んでいる。真面目で奥手で自分のことになると鈍感。そんなふたりの変化は雨水が巌を削るが如き緩やかな変化だ。しかし、土方はその変化を幸いだと思う。
「俺は昼餉の当番ゆえ、先に失礼します」
 斎藤は立ち上がり、空になった自身と土方の湯呑と皿を手に勝手場へと下がっていった。


「千鶴」
「はい?」
「お前の力はなかなかのもんだな」
「……え?」
 独り言のような調子で呟くと、千鶴は要領を得ず首をかしげている。
「お前が来る前、斎藤は非番つっても鍛錬だの手伝いだのとじっとしてやがらなくてな。すると、俺もついついあいつが使いやすいからって使っちまってな。何かと負担をかけちまってることが気になってたんだが、お前と過ごすようになってからあいつは変わったよ。斎藤があんな穏やかに特に何をするでもなく時を過ごすってのは以前じゃ考えられなかったことだ。お前はあいつに――いや、あいつだけじゃねぇな。この殺伐とした新選組に穏やかな時間をつくった。大した奴だ。いつもありがとうな。これからもよろしく頼む」
 綱道が見つかればここを離れていく娘だということは分かっていた。土方の言葉は、千鶴を新選組に縛るものなのかもしれない。それでも、そのときが来るまでは、斎藤の、そして新選組の陽だまりであって欲しいと、そう願うことは罪だろうか。
 こちらこそよろしくお願いします、と。嬉しそうに千鶴が笑うから。だから土方はどうしても正しい答えを見いだせずにいる。



(2013.03.03//fisika


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