いつも拍手ありがとうございます! 御礼に、マルアン小話をひとつ用意しています(サンナミ準備中・・・) 楽しんでいただければさいわいです! *** ふぇ、と声を洩らすと、顔の前にかざされていた手がぴくりと止まった。
ふぁ、ふぁ、と吸っているとも吐いているともつかない声をいくつか挙げたのち、アンは盛大にくしゃみをかました。 キャアと可愛い悲鳴が頭上から聞こえる。 「ぶええ、あーすっきりした」 「ンもう隊長、いろいろ飛んできたわ」 ごめんごめん、と気のない謝罪に、白衣の天使は甘い笑顔で「下品なんだから」と苦笑する。 「だってさ、鼻ン中入ってくんだもん。その粉」 「粉じゃなくてファンデーション!かるーくするだけなんだから、少しじっとしててください」 「くしゃみもだめ?」 「だめです」 くしゃみも身じろぎも許されず、椅子の上に数分間拘束された挙句顔面に粉末を塗りたくられるとは、化粧とはなんと苛酷な。 思わず生唾を飲み込むアンをよそ目に、ナースは鼻唄すら奏でそうな面持ちでパフを手に取った。 はじまりは、「思うに」と言ったあるナースの一言だった。 「マルコ隊長はわりとケバイ女が好きだと思うの」 おのおの鏡に向かってナイトケアをしていたナースの一陣が、わかる!!と一斉に振り向いた。 アンの隣でパックをしていたかのナースの周りにいつのまにかわらわらと他のナースたちが集まってきて、彼女たちから甘いおこぼれをいただいていたアンはなんとなく居心地が悪くなり、ドーナツを咥えたまま胡坐を組み替える。 ナースたちは一斉に、思い思いのことをしゃべり始めた。 「化粧が濃い女は素性を隠している雰囲気があるし、そういう女ほど後腐れがないっていうか」 「それもただ塗りたくっただけの不細工じゃだめなのよね、身綺麗なケバさ」 「お金をかけた人工的な創りものっぽさをあえて好みそう」 口々に語られる勝手な想像にアンも何となく加わりたくなって、砂糖のついた指を舐めながら言った。 「……マルコって、紫すきだよね」 くはっ、と数名が吹き出した。 「やだあ、そうなの? 紫だって」 「ときどき紫色のシャツ着てるわよね」 きゃあきゃあと盛り上がる会話に油を注いだようで、アンはついてけないや、と首をすくめて彼女らを見渡した。 ナースたちは誰もが化粧を施し丈の短いスカートと高いヒールの靴を履いて、まるで武装集団のような威圧感を放ちながら揺れる船の上を闊歩する。 その彼女たちが、化粧を落とし、服を着替え、女同士の会話に甘んじるこの無防備な空間が、アンにはひどく心地よかった。 普段日中過ごすなら、男連中といたほうが楽しい。 手合せもできるし、文句を垂れながら隊員と船の掃除をすることも、酒を片手にひとしきり賭け事に講じることも気が安らぐ。 ただ、このとてつもなくよい香りのする女部屋では誰もが惜しげもなくアンに素肌をさらしてくれる気がして、アンにもそうしていいと言ってくれている気がした。 「アン隊長は」 4つめのドーナツに食いついた途端、話の矛先がアンに向けられた。 やだやだこんな時間に甘いもの、と冗談交じりの非難が一緒に飛んでくる。 「なに?」 「お化粧したことありますの?」 「あぁー……昔船長してたとき、潜入捜査だなんだっつって仮装みたいなのしたときに、少し」 えぇ、ヤダ、見たい! とナースたちがぎゅっと距離を詰めてきた。 驚いて身を引くが、すぐに背中はソファの背もたれにやわらかく受け止められる。 落とさないうちに、手にした4つめをすかさず口の中に押し込んだ。 しっとりした生地からバターとミルクの甘みがじわっと染みだして口の中に広がる。 「あたしが、自分で、したんじゃ、ない」 咀嚼しながら途切れ途切れにそう零すが、ナースたちは耳を貸さずにあれやこれやと言い出した。 「一度やってみましょうよ」 「アン隊長お風呂まだでしょう? 私お化粧道具持って来ますから」 「もとがいいんだから、少し綺麗にするだけでびっくりするくらい見違えるようになりますよ」 「それで、マルコ隊長に見せに行ったらいいじゃない」 そうだそうだと互いに言い合って、ナースたちは一瞬散らばったかと思ったら次の瞬間にはまたアンを取り囲んだ。 口についた砂糖をなめとって、アンはずるりとソファに沈む。 「え……なにすんの」 「お化粧! 綺麗にして差し上げますよ」 「えぇ、いいよぉ」 顔を背けようとした途端、鋭い爪のついた細い指が猛禽類の狩りのようにアンの顎を掴んだ。 ぎょっとして前を向くと、美しい顔がみっつよっつ、アンを捉えていた。 「はい口元拭いて」 「きちんと座って」 「終わったら、あそこの籠に入っているワッフル食べてもいいですから」 ちらりと視線を滑らせると、真ん中の丸いテーブルの上に置かれた籐の籠にスポットライトが当たっているように見えた。 「どれくらいで終わる?」 「さ……20分」 20分後にはワッフル。 アンがじっと動かなくなったのをいいことに、ナースたちはあれやこれやとアンの顔に手を加え始めた。 * くしゃみをして、目に粉が入っても我慢して、瞼を引っ張られて、ひどい数十分だった。 それでも目の前でせかせかと動くナースたちはみんな生き生きとしている。 楽しそうだなあとぼんやり見ていると、口を閉じてと怒られた。 「もう少しですよ」 頬に柔らかな毛先が触れる。 彼女たちは毎日こんなふうにくしゃみをして、不可思議な形の金属に睫毛をつねられ、涙を流しながら化粧をしているのかと思うと、その壮絶さに敬意を払いたくなる。 ただ最後に、こんなふうにやさしく頬を撫でられるのは気持ちが良くて、それだけはいいなと思った。 「出来上がったらまずはやっぱりマルコ隊長に見せに行きます?」 「なんで?」 「あら、そのためのお化粧じゃなくて?」 からかうような声音に、アンは彼女たちの会話を思い出す。 マルコは化粧がすきなんだ。 きっと今も自分の部屋で机に向かっている姿を思い浮かべながら、訊くともなしに呟く。 「喜ぶかなあ」 「きっと」 「驚くよなあ」 「それはもう」 目を丸くしたマルコの顔を想像して、少しうつむいて笑った。 ナースが微笑みながら、ハイハイもう少しだから顔を上げてとアンの顎を持ち上げる。 唇にひんやりと湿った感触が滑った。 その唇でマルコと呟くと、気恥ずかしさと一緒に甘いような酸っぱいような味が胸の中に広がった。 *** 女子心がなんとなくわかったアンちゃんと、アンちゃんをかわいいかわいいしたい姐さんたち。 あとマルコは別に化粧好きじゃない。言われたい放題ですよ隊長。 |
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