ごう、と地下鉄の駅は空気を吐き出した。スティーブンは一瞬だけ首を竦めて、いつもと変わらない霧の街の空を見上げる。暦の上では春だが、暖かな日差しは落ちてこない。地下鉄の入り口の脇で新聞売りの老人がラジオの音量をあげた。ハローハロー、雪の予報です。春なんて知らない君たちに教えて上げよう、天気予報だって春を知らない。
 スティーブンの目的は極東の文化よろしく花見をすることではなかった。午後のアポがクライエントごと消えて、たまたま出来た僅かな暇だ。小腹も空いたし、と親指を動かし、小さな画面からめぼしい軽食を探る。ドギモピザの広告がスティーブンの動きを止めた。レオナルドのことを思い出して、デジタルの指し示す時間を確認する。意味もなく電話をかけようと思った。意味は本当に、なかった。
『はいはい、レオです』
「スティーブン」
『す、っ、つひふ……ッ、スティーブンさん!? どうしたんすか!?』
 何か事件ですか、と聞かれてスティーブンは受話器の向こうのレオナルドが取っているであろう面妖な顔つきを想像する。
「いや、べつにそういうわけじゃないさ。事件が良かったか?」
『いやいやいやいややや、んなこと言ってないじゃないすかー!』
「なあ少年、相談があるんだ」
『はい?』
「相談」
『あ、わかりました、エイプリルフールですもんね』
「そうなのか?」
『えっ』
 スティーブンは新聞屋の親父の目の前に何ゼーロか置いて、棚から朝刊を引き抜いた。ラジオを子守歌に寝入るところだった親父は、寝入り端を邪魔した客の顔を確認したが、スティーブンの作為ない表情を認めて文句を引っ込めた。
「本当だな」
『げ、気づいてなかったんすか。じゃあ本気で?』
「うんまあ、そういうことになるかな。べつに取って食いやしないから。騙されたと思って引き受けてくれよ。レオナルド、君が休日で、どこにいるかってことは僕も良く知っている」
『ああッそういうのずりーっす。GPSの乱用だ』
「いいからおいで」
 不承不承という感じの声を隠そうともせず、イエスボス、とレオナルドが通話を切る。スティーブンは朝刊を片手に歩き出した。


 春の陽射しは落ちてこない。このヘルサレムズ・ロットでは霧ばかりだ。春霞ならフゼイがあったろうか。スティーブンはセントラル消失公園ではなく、こじんまりとした埠頭近くの公園に訪れていた。ここから見えるものといえば、蛸の足と、未だ紐育から絶滅していない健康志向のランニングマン達と、ビヨンドと、ヒューマーと、それから一軒の花屋だった。
「お、来たな」
「スティーブンさん……マジすか」
 待ち望んでいたレオナルド・ウォッチがスティーブンの前に姿を現し、やはり想像した通りの渋面を作って歩いてくる。スティーブンは芝生に朝刊を広げて、その上に腰を下ろしていた。靴はさすがに脱がないが、上着は丸めている。ぽんぽんと隣の空間へ促されるまま、レオナルドも膝を着いて座った。新聞紙の下で湿った芝生がざらりと鳴った。
「なんでいきなりピクニックしたいなんて」
「良いだろ、久々のデートだ」
「パシリじゃないすか」
「お金は払うよ」
「それをパシリって言うんすよ! まあお金貰えるんならザップさんよりマシですけど」
 レオナルドはぶつくさ言いながらもリュックの中から指示されたモノを取り出して広げていく。テイクアウトしたサンドイッチ、コーク、それからトランプ。
「これほんとにエイプリルフールのどっきりとかじゃないんすね」
「まさか。レオに言われて気づいたんだぜ」
「俺の知ってるスティーブンさんはピクニックしたい、草っぱらでトランプがしたい、サンドイッチはいつものやつじゃないと嫌だ、なんて言わないっすよ」
「君の知ってる俺かどうか義眼で見たらどうだい。それかキスで確かめるとか」
「おことわり! します!」
 頬を膨らませて断られると些かショックだが、耳が赤いので許そう。スティーブンは視線を滑らせて、レオナルドの持ってきたサンドイッチの包み紙を開けた。まだ冷めていない。
「食べていい?」
「貴方が買ったんでしょ」
 頬張ると、紙の中でしなび始めていたレタスの青臭さがスティーブンの眉根を寄せた。シュリンプの食感はまあまあ、ソースの量はちょうど良い。それくらいの味なのに、ふたくちめからはなぜだか口に運ぶスピードがあがる。
「うまいな」
「ええ?」
「外で食べるのも悪くないなあ」
「どうしちゃったんすかスティーブンさん、おじいちゃんみたいな」
「うるさいぞ若者。食べてみろ」
「べつにいつもと変わりませんよ。ていうか何でここなんすか?」
 スティーブンは炭酸飲料で残りを流し込みながら、空いた手でレオの肩越しに見える花屋を示した。
「花が見えるだろ」
「は」
「桜の木はまた今度、別の日に見に行こう」
「ちょ、っと待ってください、これでお花見っていうやつのつもりすか」
「簡易的に」
「えー……スティーブンさんいつもはもっとロマンティックじゃないすか」
「ロマンなんてレオがここにいれば叶ってる」
 新聞紙は広めに敷いていたから、スティーブンはごろりと寝転がった。エイプリルフールだかなんだか知らないが、何もかもが冗談みたいなこの街で、許されるなら自由の日があってもいい。レオの言う通り、今日のスティーブンは偽物なのかもしれない。気ままなスイッチが入っていることは自覚できる。
 スティーブンが仰臥したまま霧の空を見上げていると、レオも傍らに寝そべってきた。おずおずと、距離を詰めてスティーブンが伸ばした腕に頭を載せる。
「まあ、たしかに、いいんすけどね」
「うん?」
「こういうスティーブンさんも、まあ」
「何」
「す……、うっ……す、すきなんで」
「レオ、やり直しだ」
「いいでしょ今ので! 聞こえたでしょ!」
「スティーブンお爺さんは耳が遠いんだ」
「減らず口!! じゃあ近くで言いますーッ!」
 耳元に唇を寄せて、レオナルドが恥ずかしそうに囁いた言葉を、スティーブンは信じた。時刻が午後だからではない。貴方がいればロマンティックなんかいらない。可愛い恋人にそう言われてしまうと、それが嘘でも本当でも、嬉しかった。
「ああ、春だなあ」
「わ、ぶっ、うぅ、こんなところでー!」
「ハグとささやかなキスくらい良いだろ」
「もー、酔ってんすかーもー」
「酔ってないさ。あ、歯の浮くような台詞、思いついたんだが聞くかい?」
「要りません! ぎゃーっ、囁くのやめてください、くすぐったいっす! スティーブンさん!」
 春の陽射しは落ちてこない。霧の街に花弁は舞っていない。スティーブンはレオナルドの真っ赤に染まった頬にキスを降らせる。
 春でなくていい。今日でなくていい。本当でなくてもいいことをしよう。

 ささやかなことで満たされるから、君と恋人で良かったと思うんだ。



恋あれかし



20170401
ワンドロお題【春】
#スティレオ版深夜の真剣文字書き60分一本勝負

深伽













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