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(鶴さに / とうらぶ)
彼にはじめて会ったのがいつだったのかなどということは、一切覚えていない。ただ私がだいぶん小さい時分から、彼のことを知っていたようには思う。彼は端正な顔立ちで白い肌に輝く白髪をもち、その上装束まで真白で、そこに琥珀の目の輝く容姿をしていた。まるで雪のような美しく冴えた見目をしているのによく笑う人だ。もうずっと彼を知っているけれど、私が成長して女児から女性になる間、彼はまったくの変化を見せることなくずっとその姿を保っている。
私は彼と普段、私の夢の中の日本家屋でともにあった。その屋敷とも言える家屋はとても広く、大きな水屋や風呂、たくさんの部屋を持ち、あまつさえ庭には池や蔵、厩すらある。そこで彼と私は必ず二人だけで現れる。小さい時分は一人っ子であった私の唯一の兄のような存在で、彼に会えるといつも私が彼を連れ回して、遊んでもらったように思う。肩車をしてもらったり、二人だけでかくれんぼをしたり。そうかと思えば彼は花冠を編んでくれたり、どこからか花びらをかき集めてきて私に降らせてくれたりなどした。「驚いたか?」と言うのが彼の口癖で、私はその手品のような、それ以上に魔術のような手業にいつも驚かされていた。驚いたふりなどしなくても必ず驚かされるのだから、そのような声が出るたびに、彼は琥珀の目を細めてまるで向日葵のように笑う。彼はいつでも穏やかで、明るかった。
時が経つに連れ、彼の夢を見られる頻度は減っていったのだけれど、夢の中で会う度に私は彼と楽しく時を過ごした。私が十六になった頃、その日本家屋から一度だけ外に出られたことがある。そこで世界は終わっているものだとずっと思っていたのにどうやらそうではなかったらしい。まるでわるいことをするかのように、密やかに裏門を潜って二人で駆け出すと、薄暗い茂みを潜ったところで舗装されていない大通りに突き当たる。彼は私の手を引きながら歩いて、しばらくするうちに家がぽつぽつと見え始め、そしてそれはいつしか街になった。相変わらず私達以外には誰もいないのだけれど、所狭しと並んでいる店自体は営業しているようで、色んなものを見て回った。桶屋、紺屋、紙屋、髪結屋、甘味屋……。現代に生きる私には見られないものがそこにはたくさんあった。着物屋を覗くと私には手が届かないような流麗な品が置いてある。それに目を留めたことに気づいたのか彼は「君は友禅が好きだったか」などと言いながらひとつひとつ説明してくれる。「どうせなら着てみるかい」と彼が言うのを聞く前に最早私の着物は召し変えられていた。「すごい、つやつやしてる、すべすべ」などたどたどしい言葉を使うといつものように彼が向日葵に笑ったのに、その笑顔を見てしまった途端に心臓が跳ねたような気がしてぱっと目を逸らした。その後はその格好のまま、甘味屋で二人で並んで団子を食べて、そうしていつもの場所へ帰ったように思う。「今度は人がいる時に来よう」「うん」そう言って目が覚めた。
それからまた彼に会える頻度が徐々に減った。昔は毎日のように会えていたように思うのに、私が二十歳になる頃には月に一度会えるか会えないか、という夢見になってしまった。彼は相変わらずそのままの調子だったけれど、唯一変わったことと言えば、私のことを一人の女性として扱うようになったというようなことだけだった。それでも驚かせ癖は相変わらずで、いつでも何かを用意して私を出迎えてくれる。それは私のことを待ってくれているのかのように錯覚できるほどに、彼は甘やかしてくれた。昔のように遊んだり出歩くようなことはなくなったけれど、縁側に座っていろいろの話をした。──実家から離れたこと。一人暮らしが大変だということ。勉強が大変だけど楽しいこと。ここではない現実の話を私は彼にいくらでもした。彼は適切に相槌を打ちながら、どんな話でも聞いてくれる。ただ夢という性質なのか、彼と食べたものも、彼と飲んだものも、すべて味がわからないことだけが悲しい。
彼に最後に会ったのは今から五年は前のことだったように思う。大学を出て、仕事を始めて、幾度目かの恋人と別れた話を彼にすると、彼はそこで私が初めて見た表情をした。笑って私を励ますようなことを言っているのだけれどそれは向日葵とはどこか違う、憂いを含むような、またほんの少しの恨みのような、複雑なしかし決して明るくはない感情が見え隠れしている。それでもそのままいつものように話していたのだけれど、そろそろ夢から醒めそうだという気配の中で、立ち上がった私の手が後ろから不意に掴まれた。振り向く前に腕を強く引かれる。ああ彼は男性だ、とその時ようやく心の底からその想いが揺り戻る。いつか気付かないふりをして心の奥底に留めておいたその想いは、ぐわぐわと身体を巡る。
「充分待ったんだが、きみ、まだ俺のことを思い出さないか」
言われた言葉には答えられなかった。思い出すも何も、彼は夢の中で会うひとで、私の夢だと思っていた。
「…………」
そして問いかけようとして、初めて彼の名前すら知らなかったことに気づく。はっとして振り返ろうとするのを認めてか、彼は一歩私に近づき、そして私は腕を引かれて彼の胸に落ちた。
「きみは罪作りだなあ」
と耳元で悲しく明るい声がする。背中が、彼と密着している。確かに呼吸をしているその身体は、しかし暖かくも冷たくもなかった。そっと瞼を彼の手のひらが覆う。視界を遮られてしまうと彼がそこにいるのかすら分からないほどに温度を感じることが出来なくて、「や、やだ」と情けない言葉が出た。視界を取り戻そうと腕を掴むも、そのまま彼の声だけが注がれる。
「きみはいつも俺を驚かせてくれる。俺は今世では見守っているつもりだったんだが……きみから会いに来るのだから」
私はなんとも、やはり答えることが出来ない。夢は勝手に見るものだし、私には操作できないような気がしていたけれど、私から会いに来ているのだろうか? そして、私は、彼と、私の記憶の底よりももっと深いところから知り合いだったのだろうか。何も答えられないことは見越しているのだろう、彼は何も言わずにただ目隠しを外した。そのままぎゅうときつく抱きしめられる。
「なあ、きみ、もう一度、」
低く小さく震えた声が右耳に吹き込まれる。それは背筋を震わせるには充分だった。私は彼を思い出せないことがどうしようもなく悲しくなる。
「ごめんなさい」
と溢れた自らの声も恐ろしく潤み震えていた。抱きしめられる温度のわからない腕をきつく握る。
「いつかもう一度、私と会って」
「そうさなあ、その時は、きみの好きだった花を持って会いに行こう」
そこまでだった。私が彼と話したのは、それで最後だ。
それからいろいろのことがめまぐるしく起きて、審神者という身分になって幾年か経つ。いつか夢で見ていた日本家屋はここであったのではないかと疑える程に見知ったようななつかしい家で、私は毎日刀の神たちと戦に加担している。夢で会っていた彼のことは、もう顔が朧げにしか思い出せない。私はあれから彼のことを必死に思い出そうとしたけれど何ひとつわかることはなく、そしてどう足掻いても夢に見ることも出来ない。彼の顔が朧になるたび忘れたくないと思うのに、それすらもかなわないらしかった。そうして今日もぐずぐずと燻ぶった何かを胸に秘めたまま、眠りにつく。
夢にまでみた恋だった
(神様、たとえ夢でも、もう一度、)
「久しぶりに、新たな仲間が来たようです」
という言葉に連れられてたたら場へ向かう。障子を開けた向こういるそのひとが雪のような装束を翻して私に竜胆を差し向けたのを、私はぼろぼろと泣きながら驚いた。
お題拝借 : 確かに恋だった 様
(20170320 HARUCOMICCITY22 東5・つ61B ひえない書房 無配)