<前書き>
花献帝『龍の玉座における孔雀の帝』やってますが、これは本編にのらない小話のようなお話。
まあ献帝から見た丞相の日常でしょうか?
あ、孟徳さん×花献帝でじゃありませんよ(笑)
読まなくても本編に支障はありません。



『龍の玉座における孔雀の帝』丞相の日常と献帝(花献帝+丞相)

漢の皇帝の宮殿の最奥の宮で、少女帝はそっと寝転んでいた長椅子から身を起こした。
昼下がりつい転寝をしていたのだ。
献帝の身体には柔らかな掛け布が掛けてあるが、傍付きの侍女の姿はない。
身を起こせば足元で寝転がっていた黒い猫が、午睡の邪魔をされてにゃーと不機嫌に鳴いた。
「しっ」
献帝は唇の先に指先を当てて、猫を窘めると身を起こして手を伸べた。
「おいで」
せっかく誰もいないのだから一人に時間を楽しみたいと言う思いがあった。
猫が騒いで誰かが覗きに来るのは嫌だから、大人しく膝に乗ってきた猫の喉元を撫ぜる。
僅か十一歳の献帝の頭上には、ずしりと重い漢王朝の何代も続く皇帝と言う冠が目に見えなくても載っている。
今は権威しかないような地位だけれど、やはり皇帝の地位は重く、こんな風に傍に誰もいないと言うことは本当に珍しい。
「リーシャはどこにいったのかしら?」
リーシャと呼ぶのは新しく皇帝付になった侍女で、十七歳と献帝付きにしては若い。
凛沙と正式には呼ばれるけれど、恐らく異国の血の入った娘で、献帝は好んで一番年の近い侍女をリーシャと異国風に読んでいた。
髪は黒いけれどくるくるとウエーブを描き、乳白色の肌と真っ青な瞳の異国的な顔立ち。
朗らかで親しみやすい性格の侍女で、彼女は献帝のお気に入りだった。
寝入る前まで凛沙がいたはずなのに、姿がないのはおかしい。
若く幾らか軽そうに見えても、公的付きの侍女と言う職業は宮廷付の女官の中では最高位に位置する。
今でこそ皇帝はいまだ十一歳の少女ではあるが、これが男の皇帝だったらお手付きとなり、後宮の役付きとだってなれる地位なのだ。
だから厳しい教育を施された厳選された侍女ばかりで、いくら厳重に守られた奥宮と言えど皇帝の傍を離れるなどあっていいことではない。
「リーシャ」
他の侍女が来るのはせっかくの堅苦しくない時間が減ることになるので、ほんの小さな声で呼んでみるが当然応えはなかった。
それでも献帝は慌てたりはせず、小さく首を傾げて猫を抱いたまま沓をつっかけてあたりを窺う。
慣れたモノでするりと室の出入り口でなく、侍女たちの控えの間の方に行く。
自分たちの主がお昼寝中とすっかり油断しているのか、侍女の姿もない。
これ幸いと献帝は侍女の控室から抜け出し、そっと窺えば回廊に衛兵の姿はあるけれど誰もいない皇帝の室の前に陣取っている。
そうして抜け出した先は、すぐ近くにある瀟洒な石造りの東屋だった。
八角形に形作られた東屋を支える八本の柱には、スイカズラが巻き付き、金銀花の異名のように白と黄色の花を咲かせていた。
あまり遠くに行かないのは、やはり配慮のためだ。
もし皇帝が室にいないのが分かれば、たぶん大騒ぎになるだろうが、近くに居れば騒ぎになる前に出て行くことが出来る。
「いい匂い」
献帝がその蔓を指先に絡ませて顔を寄せれば、密やかな声音が風に乗って聞こえた。
腕の中の猫は身を捩り、すとんと東屋の椅子に降り立った。
緑の葉陰から透かして見れば、少し向こうの大きな木の陰に目にも鮮やかな緋色の衣と淡い涼やかな薄青の衣が見えた。
その衣には、どちらも見覚えがあった。
緋色の衣は当然ながら献帝の擁立者曹孟徳であり、もう一方は姿の見えない凛沙だ。
また孟徳の悪い癖が出ているのだと、献帝は年に似合わぬため息を吐く。
覗き見なんて本当ははしたないんだけど、献帝が東屋の柱から隠れるように顔を出せば、同じく黒猫の夜玉が献帝の身体の下から頭を出し、青い瞳を瞬かせる。
気の下では、幹に背を預けている凛沙の頭の横に手をついて、孟徳が何やら熱心に話しかけている。
手は凛沙の結い上げた巻き毛にかかり、表情が甘いのが見て取れた。
指先は髪から頬に移り、優しく宥めるように触れている。
まだ子供と言う年齢の少女帝は、そんな二人の様子に顔を赤らめることもなく、呆れた眼差しを向けた。
これが本当の十一歳のまして皇帝だったならば、厳重な箱入り娘、これ以上はない深窓の令嬢だから、恥ずかしさで二人の様子を見ていることも出来なかったろう。
いや、そもそも二人の様子に顔を赤らめるような意味さえ見つけ出すことも出来なかったかもしれない。
それほどに、この献帝は孟徳の腕の中で純粋培養されている。
けれど今ここにいる少女は、文字通り十一歳の箱入りの子供ではない。
幾度か献帝として繰り返し生を受けた花であった少女は、その行為の意味するところを完璧に理解していた。
更に孟徳本人より、丞相曹孟徳の為人を理解していたかもしれない。
「ほんと女の子が好きなんだから、困った丞相」
呟く声音はとても無垢で愛らしい幼さを持っているけれど、言ってる言葉は年齢と容姿の無邪気さからは程遠い。
時間が経つほどに、孟徳の口説く攻め手はだんだん深くなっていく。
凛沙の頬に掌を添わせ、耳元にあの色香溢れる声で甘く囁いているのだろう。
孟徳は、いつの孟徳も始めて花として会った時に言われたように、分け隔てなく女の子と言うものに優しい。
誰彼かまわずそつなく振る舞うけれど、実際に手を出す女性はやはりある程度傾向がある。
可愛い雰囲気だったり綺麗だったりするけれど、ある意味きちんと身を弁えた所のある大人の色香ある女性ばかりだ。
だから凛沙のような年若い女性に、ただからかう様にではなく口説いているのは珍しい。
どうしようかと献帝は思う。
基本覗きの趣味なんてないし、人の色恋に口を出すつもりもない。
普段なら孟徳をほおっておくところだ。
ただ気になるのは、相手が凛沙だからだ。
この世界では女性の結婚は早く、十五歳くらいで結婚することもあり、凛沙が特別幼いわけでもなく、ある意味適齢期と言ってもいいだろう。
加えて孟徳は噂に聞くように女好きで、妻妾はたくさんいるけれど、その点さえ当人が気にしなければ夫としてはこれ以上はない玉の輿だ。
凛沙さえ嫌がってないなら、ここは知らんふりであたたかく見守るべきだろう。
けれど何だか面白くないと、献帝は思ってしまった。
凛沙は献帝が実に久方ぶりに気に入った侍女で、彼女の代わりとなりそうな侍女は他にはいない。
彼女は献帝にとってちょっとした特別だし、たぶん人一倍皇帝の周囲に目を配っている孟徳は献帝のそんな気持ちを知っているはずだ。
何より自分だけ仲間外れと言うのは、非常につまらない。
献帝は幾度か大人の人生を巡り、誰よりも老練な面を持ちながら、その実身体に精神の年齢が引っ張られるように年相応に幼い面を時に持ち合わせていた。
それはある意味、現実の肉体に魂が宿るのだから当然のことと言えた。
少女帝は年に似合わぬ策と、外見に似合った愛らしい笑みを浮かべると、黒玉と名付けた己の愛猫を二人の方へそっと放した。

気配に気づいたのは、最近滅多に自ら剣を振るうことはないが、長年武人として培った勘をいまだに衰えさせない孟徳だ。
見れば艶やかな毛並みの美しい黒猫が、みゃーと腕の中にいる娘に向かって鳴いた。
「黒玉」
娘は頬を赤らめたまま驚いた表情で猫の名らしきものを呼んだ。
「それは?」
「陛下が大層可愛がっていらっしゃる猫です」
「陛下がねぇ」
良い雰囲気を邪魔されて胡乱気に猫を見れば、猫はふいと孟徳から顔を逸らした。
そこへ猫を捜す少女の声がかかる。
「黒玉、どこ?」
ここには年若い侍女も多いけれど、この声を孟徳が聞き間違えることはない。
孟徳はひょいと身を屈めて、凛沙の足元で身を擦りつけていた猫をひょいとつまみ上げた。
けれど猫は嫌がって、孟徳に爪を立てようと暴れる。
「うわ!おいこら!大人しくしろ」
「丞相?」
不思議そうな声と共に、暴れる猫と格闘する孟徳の前に現れたのは献帝だった。
孟徳とお揃いのような、孟徳より明るい朱色が混じった衣、織り込まれた金糸の糸が眩く光り、裾にある精緻な花柄の刺繍が美しい。
くすくす無邪気に献帝は笑う。
結い上げずに下ろしたままの茶色の髪がさらりと流れ、髪飾りがしゃらんと鳴る。
「黒玉が嫌がってる。丞相は猫の扱いが下手ね」
「やれやれ、陛下が甘やかしすぎなせいじゃないのかな?」
献帝が丞相と孟徳を呼んでせいか、まだ少し孟徳は丞相のままの雰囲気で答える。
「馬鹿ね。朕の猫なのだもの当然でしょう」
漢王朝最高位にいる皇帝の猫だから、確かにそれは当然だろうと幼さと権威を纏って小柄な少女帝は微笑む。
「なるほど」
「おいで」
何食わぬ顔で二人の間に割って入った猫と皇帝は、二人の間にあった甘い空気をきれいに霧散させていた。
いい仕事をしたと、猫はもがきながら孟徳の手から逃れようと四肢を突っ張って暴れる。
「こいつは間違いなく雄だね。雌ならば俺に抱かれてこんなに暴れるわけはない」
憮然としながらも、孟徳は華奢な献帝の腕の中に猫を戻した。
「いい子」
猫に語りかけるあどけなく無垢なその表情の裏に、孟徳の邪魔をしようという意図があるなどとはさすがにうかがい知れない。
「でも孟徳、今の言葉はどういう意味?」
きょとんとした表情で小首を傾げて、愛らしく献帝は尋ね返す。
すると孟徳は、にこりと無邪気でいながら悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「うん?俺はね、可愛い女の子の扱いが上手いんだよ。陛下だって俺に抱っこされるのは好きだよね」
「いや」
「つれないな」
「丞相は最近優しくないから嫌い」
「我が幼君の寵はもう俺からその猫に移ったの?」
「黒玉とリーシャの方がいい」
本当につれない素振りの献帝に、孟徳は困った顔を浮かべると膝をついて強引に献帝を抱き上げた。
「やっ」
「逃げようとしてもダメ」
孟徳は甘く微笑むと、軽々と隙なく幼い少女帝を抱きしめた。
「みゃー!!」
二人の間で押しつぶされた黒玉が、不満の声を上げて爪を出して、献帝の腕から逃げ出して地面に降りるとさっさと木立の向こうに駆け去って行った。
「これで邪魔者はいなくなった」
「邪魔者って………邪魔なのはそなたよ」
献帝は恨めし気に見て、猫のように孟徳の腕から逃れようとする。
何だから立場がだんだん不利になってる気がするのは、献帝の気のせいだろうと思う。
けれど孟徳は、自分の育てる少女帝の困惑を楽しむようにくすりと甘く柔らかく微笑む。
孟徳は既に、幼い皇帝の可愛らしい嫉妬心に気付いていた。
人の心の機微に敏く、それが幼くとも女であり、またほんの子供の頃からつぶさに見てきたから見誤ることはない。
「我が幼君」
自分と侍女を引き離そうとした独占欲が愛おしい。
侍女に声を掛けたのはもちろん気になったからだが、こんな愛らしい独占欲を見せられるのは滅多にない。
気に入りに侍女と孟徳が仲良くしているのが気に入らないと明るい瞳は告げている。
たぶん侍女が自分の傍に居ないことが気にいらないのだろうが、その根底にあるのはそればかりでない孟徳への独占欲と嫉妬心。
献帝は認めることをよしとはしないだろうが、孟徳はもちろんそうあって当然と思っている。
ほんの幼い頃から孟徳が今のように腕に抱き、ごく一部の者しか近寄らせなかった。
孟徳こそが献帝にとって絶対の庇護者であり、親しく愛情を寄せる者として、彼女のある意味唯一になるように仕向けてきた。
だからこれは孟徳としても極当然の帰結だし、そうでなければ困る。
腕に抱き上げた少女の額に口付ければ、幼い主は照れるわけでもなく真っ直ぐにこちらを見る。
「孟徳。ご機嫌を取ろうとしてもダメよ」
それでも呼び掛けが丞相から孟徳に変わったのだから、少しは機嫌を直した証拠だろう。
この時、不意にこちらを見た献帝の瞳が僅かに揺らぐ。
どうしたのかと思えば、ふわり皇帝用に特別に誂えた甘く可憐な香がふわりと香った。
調香させたものを孟徳自らが選んだのだから、どんな香りは憶えている。
けれど今、鼻先を掠めた香りはその時とは違って、爽やかさを足し甘さが薄らいでいた。
これが献帝自身の香りと混ざった結果なのだろうが、自分の与えたままに染まりきらなかったことが孟徳には少々不満だった。
でもそれも一瞬のことで、首筋に濡れた感触とぴりっとした痛みが走る。
それが何かと気付いて、孟徳にしては珍しく驚いた顔をして腕の中の少女を見れば、献帝はぺろりと舌を出してごく普通に感想を言う。
「血って不味くもない」
「陛下!」
「黒玉の爪が引っ掻いたみたい」
こんなことをしてごく当たり前という態度には、孟徳も少々天真爛漫に育て過ぎたかもと思わざるを得ない。
「どこでそんな手管を憶えたのかな?」
「手管?」
意味を知りながら、無邪気な表情の献帝は孟徳を真っ直ぐに見返す。
花であった時と同じ真っ直ぐな瞳だけれど、その深淵に秘められたモノは別物だ。
本当に珍しく驚く孟徳に、心密かに少女は溜飲を下げる。
その魂が幾度かの生の記憶を刻む者とさすがの孟徳も気付けずに、無垢なる少女帝に欺かれる。
「俺は少々陛下の養育に関して考え直すべきかもしれないな」
そうして孟徳は、きょとんとした表情の献帝に呼びかけた。
「陛下」
「なぁに?」
孟徳が意識して浮かべた魅惑的な笑みに、献帝は無邪気に小首を傾げる。
「今宵は久方ぶりに添い寝をしてあげるよ」
「いや。そんな子供じゃないもの」
してやったつもりでいても、孟徳はやはり一筋縄ではいかない男だ。
「俺が怖くて一人寝が出来ないからね。俺と一緒に寝て」
孟徳はどこまでも甘やかすように、掌中の玉と定めた主を更に高く抱き上げて、そのすべらかな瑞々しい頬に唇をおとす。
鮮やかに浮かんだ笑みは父とはなりえぬ、けれど男の欲を感じさせぬものだった。



<後書き>
花献帝はああ見えて強かですが、さすがの丞相も十一歳の子供が知識が大人とは思ってません。
そして花献帝は大人でありながら、身体が子供なためにやはりその現実にある程度子供の間は引っ張られて幼いところもあります。
女好き丞相と花献帝の駆け引き、さてどちらに軍配が上がったのかなぁ。







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