君の前ではかっこよくいたいんだ ①






「まったくおまえは、いつまでたってもへなちょこだな」
「いってぇ………」
「そんなへなちょこじゃ、マフィアのボスなんぞつとまりゃしねーぞ」
「………」
 どうにも滑りやすい階段から落ちて、ぶつけてしまった額をさする。痛い。頭というよりも心が痛い。この家の住人でかわいい弟弟子であるところの沢田綱吉に、このみっともない醜態を見られずに済んだのは幸いである。だがいくらなんでも、落ち込んでいる元弟子に向かって、もうちょっといい方というものがあるのではないだろうか。いや今更だ。我が元家庭教師はいつだってこんな、ずけずけとえぐるような物言いをするのだ。
 彼とはそれこそ、オレが本当にへなちょこだった頃からの付き合いで、手厳しく罵られるのには如何せん慣れてはいる。正直にいえば、その傲慢極まりない対応に腹を立てることも度々あった。学校などの、同じ年代の人間が集う場では身の不遇を託ってはいたが、基本的にオレは甘やかされきったガキだったのだ。親父に雇われた家庭教師如きに、なんでそこまで偉そうな口をきかれなければならないと、まあそういうわけだ。恐ろしくて口に出せたことは一度もなかったけれども。
 そしてマフィアのボスとして傾きかけたファミリーを立て直し、新たな事業もいくつか創めてそれなりに成功を掴んだと思える今になっても、彼はオレのことを「へなちょこ」だという。そしておかしなことに、いつの間にやらそのことに救われるようになっている自分がいる。
 多分彼はオレが一番へなちょこだったあの日のことを、弱く、愚かで、臆病だったあの日のことを忘れるなと諫めてくれているのだろう。いわれなくとも忘れられる筈もないのだけれど、それは彼が知る由もないことだ。オレはずっとこの後悔を、自責の念を、強いて表に出さないようにしてきたから。犯罪に手を染め泥にまみれ生きる人たちを嫌になるほど見てきたからこそ、わかることもある。オレには同情されるような価値はない。
 だから、オレが救われているとしたらそれはそんな理由ではなかった。オレはただ、へなちょこな自分を忘れたくなかったのだ。あのような罪を犯してもなお、オレは忘れたくなかった。日々の暮らしやマフィアのボスであることに、いつしかオレは慣れてきていて、だからこそ、本当はへなちょこなオレをオレも周りも忘れてしまうのが怖かった。
「どうした、ディーノ」
「へ? いや…なんでもねぇ。ひでぇな、リボーン」
 不審げな家庭教師の声に我に返る。そうだ、いつも彼はこんな風にオレを諫めて、オレは笑ってみせる。だけれども今日は、ちゃんと笑顔を作れたかどうか自信がなかった。
 原因はわかっている。いつもより我が元家庭教師の罵倒がきついものだったとか、そういうことではない。きついかどうかで判断するなら、彼の対応はいつだって最大限に手厳しい。そうではなくて、オレはほんの小一時間前にオレが犯したばかりの失態を思い出してしまったのだった。
 場所は並盛中学校。その応接室。その時もオレは今と同じように頭から転んで、そして何とも笑えないことに、目の前にはオレのかわいい教え子がいた。オレは情けないことに、怖くて顔をあげることすらできなかった。もし軽蔑の表情を浮かべられていたら? オレはきっと、一生立ち上がれない。
 オレはこのところ、こんな失敗ばかりしている。それもよりによって、こんな醜態を一番見られたくない相手の前でばかりだ。頼りになる、優しい先生でありたいと常に願っているのに、オレの行動は何度となくその願いを裏切っている。
 正直にいおう。オレは恭弥が好きだ。弟子として、というだけではなく。多分はじめて会ったときから。こんな世にも稀な、純粋でかけがえのない存在に出会って、好きにならなかったらその方がおかしい。誰にも知られていない、ひそやかな片思い。いい先生でいたいと思っているのは嘘じゃない。でも、叶うことはないにしてもこうやって傍にいるくらいはいいじゃないか。気持ちを打ち明けるつもりも、幼い子どもに迷惑をかけるつもりもない。だが、本音をいえば、彼の前に立つといつもオレは、好きな子の前で思いきり格好をつけたくてあたふたする、馬鹿な男に成り下がるのだ。そして結果はこの通り。情けなくて笑えもしない。
「おまえは本当に、部下のいないところではへなちょこだからな」
 我が元家庭教師は、またいつもの小言を続ける。ああ、いわなくてもわかっている。オレはファミリーの皆に助けられて、やっとなんとかマフィアのボスなんて仕事をこなしているへなちょこにすぎない。高く高く担ぎあげられただけの神輿。慢心しているつもりもないし、感謝を忘れたこともない。だから、おまえが心配するようなことなど何もないのだと笑顔を作ろうとして、だがオレは固まった。
「まったく困ったもんだ。そんなんじゃな、一人前なんてとても」
「な、………なぁリボーン。おまえ今なんつった?」
「まったく困ったもんだ」
「いやその前、その前だ」
「………………部下のいないところではへなちょこだからな?」
 何をおかしなことをいっているのだ、とでもいいそうな顔をして我が家庭教師は首を傾げた。そりゃそうだ。こちらだって耳にタコができる程、聞かされ続けている台詞である。ただ、今気づいてしまった。このいつもの台詞が、本当に何の裏もなく、ただ単にオレがへなちょこだって話だったら? 敵対するファミリーについ仏心をだしてしまったり、冷徹な決断を必要とする場面でどうしても心が揺れる、そういうオレの弱さを揶揄したものではなく、さっきみたいに頭から転んだり躓いたり物を落としたり道に迷ったり、そんな時々ある失態を指したものだったとしたら?
 思い返せば確かにオレはこのところ細かな失敗を………つまり頭から転んだり躓いたり物を落としたり道に迷ったり、なんてことを繰り返していて、そんな時はだいたい恭弥と一緒にいる。そしてその恥かしさにまぎれてさっぱり気にしていなかったけれど、いつもそんな時は周りに部下がいない気がする。それというのも恋する男の望みとして、何よりも優先すべき欲求として、取りあえず想い人と二人きりになりたい、というのがあったからだ。一応いっておくけれども嫌らしいことを考えているわけじゃない。ただ恭弥に短い間だけでもオレだけを見ていて欲しい、それだけ。だから恭弥が群れを嫌うのをいいことにして、オレは本当なら常にボディガードを傍に置くべき自分の立場も気にせずに、隙あらば二人きりになろうとした。だが本当にリボーンのいうとおりだったとしたなら。
「リボーン!!」
「お、おお。なんだ?」
「サンキュ! 今度なんか礼するな!」
「ちょっと待て、まだ話はすんでねーぞ」
「また、今度また顔見せにくる!」
 いつもならとてもとても湧いてくる筈のない程の勇気に充ち溢れて、オレは元家庭教師の長々しい説教を打ち切って別れるというとんでもなく不敬極まりない行為を犯した。そして日本でいつも利用しているホテルに向かって走り出す。途中、少し転んでしまったりなぞしたけれども、十分とかからない筈の道のりに一時間近くかかってしまったけれども、オレは心の底から晴れ晴れとした気分だった。
 まずは部下たちに謝ろう。恭弥と二人きりになりたいからって、何度もおまえらのことを撒いて遊びに出かけてごめん、って。そしてもうあいつにかっこわるいとこを見せたくないから、傍についていてくれないかって頼むのだ。情けないことこの上ないし、今までわざと彼らからはぐれたふりをしていたのだって、本当にマフィアのボスとして許されないことだと思う。でもあいつらは本当に気のいい奴らばかりだから、心の底から謝って頭を下げれば、きっと許してくれる筈だ。




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