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Thanks!! 一年の計は…

 大晦日。
 救急室の医局は、冗談のように静まり返っていた。
「何だ遠藤? その気の抜けたような顔は?」
 テレビから要に視線を移した七海が、苦笑いしている。
「いやぁ…大晦日って、もっと忙しいかと思ってたんで、ちょっと拍子抜け…です」
 日が暮れるまではぽつぽつ搬送要請があったのだが、午後6時を過ぎた頃から、ピタっと止んだ。
(まあ、良い事なんだけどな)
 せっかくの新年、わざわざ病院で迎える事は無いのだ。
「ん、まぁ、もうしばらくはこんな調子だな」
 掛かりっぱなしの紅白歌合戦に視線を戻した七海は、気の無い調子でそう言った。
「あ、そうなんですか。……ん? 『もうしばらくは』…!?」
 何やら、不穏な言葉が。
「ん。これだよ」
 七海がテレビを指差した。
 医局長が持ち込んだ暇潰し用の小さなテレビだ。
「は? 紅白…が、何か」
 おそらく今年のヒットナンバーが流れている画面に、要も目を向けた。
「うん。これやってる間、救急って急に『客足』が途絶えるんだ。他にも、オリンピックとか、ワールドカップとか、日本シリーズとか。あ、でも最近日本シリーズはそうでもないかな…」
「そうでしたっけ…」
「で、今日なんかだと、ゆく年くる年が終わった頃、まるでそれまで溜めてたのかって爆発的な勢いで、救急要請が始まるんだ」
 まるで他人事の様に言いながら、七海は紙コップのコーヒーを口に運んだ。
「えええっ!? マジですか!?」
 今の平穏は、つまり、嵐の前の静けさと言うことか。
「ん、マジ。紅白終わって、酔い心地で初詣に繰り出して、呑んで騒いで喧嘩して、果てに何割かが運ばれてくるって訳。
 だから、今日の夜勤さん…0時半入りの変則シフトになってるだろ?」
 興味も無さそうに女性アーティストを眺めながら、七海が溜息を吐いた。
 まるで落語のオチのようだが、どうも本気で言ってるらしい。
「あああ…そういう理由ですか…。だから、今は俺と七海さんしかいないんですね。大晦日に二人だけって、大丈夫なのかなと思ってたんですけど…そうか。暇なんだ」
「覚悟しとけよ。堰を切ったみたいに怒涛の勢いで来るからな」
「うわあ……」
 想像した途端、冷や汗が浮かんできた。
「ほんっと、反応が正直だね、遠藤は」
 可笑しそうに笑って、七海が要の頭を撫でた。
「ちょっ、何ですか! その子ども扱いは!」
 ただでさえ年下だったり、立場が違ったり、色々気にしていると言うのに当の本人に子ども扱いされたのでは堪ったものではない。
「まあまあ。それがお前の良いところなんだってば」
 嬉しそうな顔で笑う恋人に一瞬胸を突かれたが、それ以上に釈然としない気持ちが勝っていた。
「そんな顔するなよ。せっかく、あと2時間は平穏な夜なんだから」
 膨れっ面になっていたら、更に子供扱いされた。
 理不尽だ。

 その後はこれと言って会話も無く、二人でぼんやりテレビを見ていた。
 今夜はベストメンバーでの布陣だが、今はまだ二人だけだ。
 田島は看護師詰所、小沢は麻酔医局、崎谷はMEセンター、この後当直入りする医局長は……
(まだ、家だろうな。いつもギリギリだから)
 テレビには今年のヒットナンバーと思われる歌が次々と流れたが、哀しいかな  勤務に追われたこの一年、まともに歌など聴けた日は無い。
(…つか、七海さんの部屋、テレビもオーディオも無いし)
 それだけ居座っていたという事か。
「あ、次が大トリだな」
 それまで漫然と画面を眺めていた七海が、急に居住まいを正した。
「何で急に背筋伸ばしてんですか」
 苦笑いで要がそう言うと、今度は彼の方が膨れ面をした。
「だって、今年が終わるんだぞ?」
「何ですか、その田舎のばーちゃんみたいな」
「あっ! 年寄り扱いした!」
「えええ!? 何でそこでキレるんですか! ついさっき、俺の事子供扱いしたじゃないですか」
「それとこれは話が別だっ!」
「えええええええ!?」
 何だ、この理不尽。
(全く、本当に、この人は…)
 何だってこんな理不尽で我侭な人が  
「あ」
 要が心の中で泣きを入れそうになった瞬間、七海が突然要の肩を掴んだ。
「は?」
「ほら、カウントダウンだ」
 七海が子供の様に嬉しそうな顔で、テレビ画面を指差した。
 いつの間にか歌の祭典は終わり、そこには、厄を払う鐘を打つ様子が、静粛な雰囲気の中映し出されていた。
 七海は自分の腕時計と画面を交互に見ながら、カウントし始めた。
「5、4、3、2、1、  
 一際澄んだ鐘の音と、七海がゼロをカウントする声が重なる。
 テレビの中で、波の様な歓声が上がった。
「明けましておめでとうございます。本年もよろしく」
 さっきまでの言い合いなど忘れた顔で、七海が微笑んだ。
「あ、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いしますっ」
 要も慌てて挨拶を返した。
「来年も、こんな事してられると良いんだけどな」
 小さく笑って、七海が肩を竦めた。
 その顔が、妙に可愛かった。
 静まり返った医局。
 後30分は誰も来ない。
(まだ、誰もいない…よな?)
 念の為に、部屋の中を見回す。
(よし、無人確認)
「??? 何ソワソワしてんの、遠藤」
 七海が、不思議そうに要の顔を見上げている。
「いえ、その…」
 その肩を軽く押さえて、七海の頬に掠める様なキスをした。
 次の瞬間  
 七海が視界から消えた。
「ぁいた…っ」
 何故か足許から声がする。
「な、七海さん!?」
 肩を掴んだ手から逃れようとして、椅子から滑り落ちたらしい。
「お…驚かすなよ…っ! 医局で、何考えてんだ!」
 耳まで真っ赤になったその顔が、尚可愛かったのだが、これ以上言うと今度は手が飛んできそうだ。
 自分は結構大胆に仕掛けてくる癖に、仕掛けられると弱いらしい。
「すみません。…でも、新年ですから」
 笑いそうになるのを堪えながら、要は七海の腕を掴んで引き上げた。
「…何だよ、新年って」
 憮然とした顔で、されど頬を朱に染めて、七海が要の顔を睨んでいる。
「元旦がその年を占うって言うじゃないですか。そんな訳で、今年もよろしくお願いします」
 負けずに要は笑顔で応えた。
「………。
 ………よろしく」
 しばらく沈黙したが、とうとう折れた七海が、小さな声で言った。

 次の瞬間  

「A HAPPY NEW YEAR!!! おめっとーさーん!! 今年も宜しくな!」
 勢い良くドアが開き、医局長が飛び込んできた。
 両手に一杯袋を抱えている。
「わあああああっ!?」
 思わず同時に声が上がった。
  ???? 何、二人とも慌てふためいて」
 怪訝な顔で医局長が首を捻った。
「だっ、だって普段ぎりぎりにしか来ない人が30分も早く現れたらびっくりしますよ!」
 要が言い返すと、彼は手を腰に憮然とした顔で答えた。
「新年から働かされる部下を労ってやろうと、こうやって差し入れ付きで早出してやったんじゃないか。そういう反応すると、オッサンは傷つくんだぞ?」
「は、はあ…。それはありがとうございます」
「で、何で常盤木は後ろ向いてんだ?」
 その言葉に振り返ると、七海が完全にそっぽを向いていた。
「あ、その…。
 常盤木先生…?」
 そろっと声を掛けてみる。
「元旦がその年を占う…だっけ?」
 ドスの利いた声が返ってきた。
「は、はい…」
「なるほど、よぉく分かった」
 そう言うと、そのまま、彼は仮眠室の方へ消えてしまった。

『元旦がその年を占う』

 さしずめ、今年も波乱に満ちた1年と言う事か…。
 七海が消えた仮眠室の薄いカーテンを見、要は深い溜息を吐いた。


*2009/01/01



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