Thanks!! *8月15日*
七海は生活無能者である。
そこらへんのことは、当の本人が一番よく知っていて、異論を挟む余地も無い。
食事は外食か買食。
洗濯はクリーニングか、要。
掃除は1ヵ月に一回ダ●キンを呼ぶ。
問題は、そんな彼が何を思ってか料理などしようと思ったことだ。
「なーなーみーさーん。何でそんな、やりつけないことを突然…」
要が日直で退勤すると、本日オフだった七海が、何故か料理にチャレンジし始めた。
――の、だが。
僅か10分で見事撃沈。
通常、料理の出来ない新妻(失礼)が、失敗するセオリーとしては、"包丁で手を切る"と相場が決まっている。
しかし、七海の不器用さはここで一線を画したのである。
腐っても外科系医師(救急医は何でも屋だが、基本は外科処置が多い)。
さすがに刃物で手を切るようなことは無かった。
(いや、むしろまだ包丁で手を切ってくれた方が利き手が無事な分マシだったかも…)
七海の右手人差し指にプラスチックの板を添え、包帯を巻きつつ、要は溜息を吐いた。
「何だ、その溜息は!」
子供みたいに頬を膨らましている姿は、憎まれ口を叩いていても、もはや負け惜しみにしか聞こえないのは否めない。
「いえ…」
今にも笑い出しそうになるのを、要は必死で堪えていた。
(何で、こんなことになるかな)
事の次第はこうだ。
理由は定かではないが、とにかく彼は料理をしようとした。
手伝うと申し出たのだが、手を出すなと言われてしまい、要は素直に上官命令に従った。
もちろん、見てるだけでそれはそこらのアクションムービーより遥かにスリリングであったが、それでも我慢して見守ることに徹した。
彼がキッチンに立って、僅か10分。
「ィタッ!!」
短い悲鳴が。
慌てて要は七海の手許を覗き込んだ。
「どうしました!?」
当然、手を切ったものと思った。
しかし何故か彼が押さえていたのは、包丁を持っていたはずの右手。
包丁は、まな板の上にあった。
「???? 何しました…??」
「つ…」
「つ…????」
「つき…っ」
「月?????」
「突き指、した……っ!!」
何で、突き指なんですか。
要はその一言が口から出せなかった。
開いた口が、塞がらなかったからだ。
彼は初心者にもかかわらず、フライパンに火をかけ、温めながらその間に食材を切ると言う高等技能(?)に挑戦しようとしていたらしい。
ところが、食材を切り終えるより先にフライパンが温まり過ぎて、不穏な黒い煙を発生させてしまったので、慌てて火を止めようとした。
しかし、動転していた七海の指はコンロのスイッチから僅かに逸れ、見事にコンロ本体に激突。
勢い付いていたため、半端無い衝撃を喰らった…と。
どうも、それがこの騒動の全容の様だ。
「何で今日に限ってそんな無理難題にチャレンジしようなんて…」
とりあえず応急処置を終わらせ、要は改めて追求してみた。
七海の利き手は数日は使い物にならなそうだ。
そんな理由で、結局夕飯は手掴みで食べられるピザのデリバリーを呼んだ。
「………。
…………ぅび」
クッションを抱えて座る彼は、ぷいっと顔を背けて呟いた。
「うび?」
意味不明だ。
「たんじょうび
――だろ、今日」
8月15日。
世間的には終戦記念日。
それは、要の誕生日だった。
「ああ! そう言えば!」
周囲がそういうことに騒いでくれるのは、せいぜい高校くらいまでだ。
そこから8年も過ぎてしまうと、自分の誕生日なんぞ本人が忘れてしまっている。
「好きそうだな、と思って」
七海が目を逸らしたまま、更に呟きを付け足した。
「は?」
何が?
「何ていうの? "ハンドメイド"とか、"世界で一つ"とか、そういう一昔前のドラマか政府広報みたいなシチュエーション、好きそうだな、って」
はて。
これは。
もしや。
「誕生日、プレゼント…ですか」
寂しく放置されている、調理器具を思わず見てしまった。
「もういい! 失敗したから!」
とうとう七海はクッションに顔を埋めてしまった。
はみ出して覗く、耳がまっかっかである。
「あー…確かに、ちょっと好きです。――が、別に、そんなところで無理しなくても…」
七海の読みは、確かに的を外してはいないが。
「でも、別に俺手作り神話の信奉者じゃないですよ」
クッションを押さえつけている指を突いてみる。
天の岩戸は中々頑なな様子だ。
「無闇にお金掛けられるのが苦手なだけで、特定のシチュエーションに萌えるわけではないんですけど」
そう言いつつ、本音はちょっと嬉しい。
矛盾だ。
それはさておき、とりあえず浮上してもらわなくては。
要は、彼なりのプレゼントに失敗して落ち込んでいる訳で。
それを解消して頂くには、何か受け取れる代替品があれば良い訳で。
実は、敢えて言うならこういう時に、一度試してみたいシチュエーションがあるのだ。
普段なら、「バカか」と言われて終わりそうな、そんなシチュエーションが。
今なら、言ってみる価値はある。
「七海さん、失敗しちゃった料理の代わりに欲しいものがあるんですが…」
要がそう言うと、やっと七海がそろそろと顔を上げた。
「…何?」
「何でもくれます? ダメって言わない?」
「あんまり高いものじゃなければ。車とか言うなよ」
「言いませんよ、そんなの」
「じゃあ、いいよ。何でも。大失敗だったからな。何でも聞いてやる」
七海が、溜息混じりに肩を竦めた。
「ホントですね?
――じゃ、コレください」
要は七海の右手首を掴んで、引き寄せた。
「えぇ?」
事態が飲み込めず、七海は唖然としている。
「ちょうどリボンも掛かってますし」
サージカルテープが無かったので、指に巻いた包帯は蝶々結びになっている。
「…ドラマ通り越して、AVだな」
呆れ顔でそんな事を言って、それでも七海は要の腕の中に納まった。
8月15日。
世間的には終戦記念日。
七海にとっては、要の誕生日。