電気が鼓膜の処女を失う話 「ごめん、遅くなっちゃって!」 新年会兼同窓会という名目で集まったA組の飲み会での出来事だった。 乾杯から三十分後、飲み会場に現れた緑谷は、慌てた様子で謝罪した。すでに出来上がったメンバーからは「遅刻!」「遅いぞー」という野次を受けて「ごめん、ごめんね」と頭を下げて謝罪を繰り返す。 緑谷は幹事の切島に会費を払うと、座敷を横断して俺と飯田が向かい合っている席にやってきた。「お疲れ様! 遅くなっちゃった」と、申し訳なさそう謝って、それから飯田の隣りに座る。いつもの飲み会の風景だ。 「これが緑谷くんのぶん。サラダ取り分けておいたぞ」 「うん。ありがとう」 「仕事か?」 「そう。仕事終わる直前に緊急呼び出し。後処理に手間かかっちゃって……走ってきたんだけど遅れちゃった」 緑谷はおしぼりで手をふきながらため息をつくと、着ていたパーカーを脱ぎ始めた。緑谷が着るサイズにしては少し大きいだぼついたパーカーに、擦り切れたジーパンという服装は三月にしては薄着だ。緑谷はここに来るまで走ってきたのかだろう。 「緑谷くんはいつも通りビールでいいかな? 店員さんを呼ぼうか」 「来る途中で注文してきたから……あ、生ビールこっちです!」 緑谷が大きな声で手を挙げると、店員がビールを置いていく。「とりあえず乾杯ってことで」緑谷のビール、飯田の残り少ないビール、それから俺の日本酒で「おつかれさま」と乾杯した。 乾杯が杯を乾かすという字を書くのは知っていたが、一気に飲み干すのはもったいなくてちびちびと日本酒をすする。緑谷は喉が渇いているのか盛大にジョッキを傾けた。ごくごくと喉仏が動くたびにビールはどんどんなくなっていく。炭酸が苦手な俺にとっては、いつ見ても不思議な光景だった。 「ハァー労働の後の一杯は美味いなぁ。ビールおかわりしようかな。飯田くんもビールにする?」 「いや、俺はそろそろ日本酒にしようと思う」 「そっか。じゃあ、僕もそうしようかな」 とりあえずつまみでも食べたほうがいいと、取り分けていたサラダや唐揚げの大皿を緑谷のほうへと寄せる。俺は用意してあるお猪口に日本酒を零さないように入れて、二人に渡す。緑谷は畳んだパーカーを座敷の端に寄せると「それじゃあ、いただきます」と両手を合わせて箸をとった。 「緑谷のパーカー、ずいぶんデカいな」 「あぁ、あれ。飲み会にかっちゃんがいると、寒いから上着よこせって、いつも僕の上着をとるからさ」 「……爆豪くんが?」 「緑谷の服を取るのか?」 聞き捨てならない爆豪の悪行に飯田とふたりで眉を顰める。 それでも何故服のサイズがでかいのかわからずに首を傾げれば、緑谷は気にした様子もなく朗らかに続けた。 「サイズが小さいとか、ナード臭いとか、ダサいとか、安物とか。いちいち僕の服に文句つけてくるんだよね。だから今日は大きめの服着てきたし。消臭スプレーも持ってきたんだけど」 聞けばA組の忘年会ではノースリーブのダウンジャケットを奪われ、事務所の新年会の二次会で偶然爆豪と出合った時にはマフラーを奪われたらしい。 緑谷は「かっちゃんって、汗腺鍛えているせいか、身体の冷却機能もかなり高いらしくて末端冷え性の気もあるんじゃないかな。かっちゃんが寒がりとか、ちょっとかわいいよね」と、楽しそうに笑っている。 爆豪が寒がりだとどう可愛いのかよくわからない俺は無言もまま日本酒を煽った。 「緑谷くんは寒ないのかい?」 「そりゃ寒いけど。カイロ持ち歩いてるから大丈夫だよ。今日は暖かいから、カイロもいらないかなぁ」 「わざわざカイロ持ち歩いてるのか?」 「うん」 緑谷はもしかしたら爆豪にいじめられてるのかもしれない。 服を奪われるのも良くないが、奪われるのを前提に大きめのパーカーを着たり、カイロを買うなんてこれはもうダメだろう。緑谷は優しすぎるから気が付いていないのだろう。飯田のほうをちらりと見れば目が合い、深刻な表情のまま頷いた。 そのあともつらつらと続く「かっちゃんが~」という言葉はもう、耳に入ってこなかった。緑谷を爆豪から守れるのは俺たちしかいない。「この唐揚げおいしいねぇ」と頬をいっぱいに膨らませて幸せそうな緑谷の笑顔を見ながら、俺はそう静かに決意した。 盛り上がっていた飲み会も、締めのあいさつが終われば、クラスメイト達は三々五々に散っていく。 「緑谷くん、轟くん。忘れ物はないかちゃんと確認するんだぞ」 飯田の忠告に従って、俺と緑谷は携帯持った。財布も持った。忘れ物無し、と指さし確認を済ませる。出てきた料理も全部食べたし、酒も全部飲んだ。アルコールで体も心もあったまり、後は何事もなく、無事に帰りつくだけだった。酒に弱い緑谷は、早くから日本酒を飲んだせいかふらふらとしていて、ここは俺がしっかりしなければいけないと気合を入れる。 店の外に出れば、冷たい風が吹き抜けていった。サイズの大きなパーカーを着込んだ緑谷も「さぶっ」と声をあげる。 日中の気温が十五度を超える日が続いていたが、初春の夜は冷える。こんな緑谷のパーカーを爆豪に渡すわけにはいかない。使命感に駆られた俺はあたりを警戒する。爆豪はすぐに表れた。数人のクラスメイト達が集団を作り別れを惜しむように雑談している集団の間を縫って、「おいデクァ!」と威嚇しながら緑谷に近づいてくる。明らかに酔っぱらってる感じだ。迎え撃つ緑谷は「わぁ、かっちゃんだ」と嬉しそうに目尻を下げた。 「寒ぃからそのパーカーよこせや」 「かっちゃん寒がりだもんねぇ」 嬉しそうにへらへら笑った緑谷が一歩踏み出す。今までそれを俺と飯田の二人が阻止する。 「爆豪くん、人のものを勝手に取ってはいけないぞ」 「取ってねーわ。借りてんだよ」 ムッとした爆豪の眉が跳ねる。 「爆豪。そんなに寒いなら俺のコートを貸してやる。」 「……ハァ?」 割って入ろうとする緑谷に、いいからと目くばせして、脱いだコートを爆豪に差し出す。パワー系個性の緑谷と違って、半冷半燃の俺は寒いのは何とでもなる。 「爆豪。緑谷は優しいから笑って許してくれるけど、いじめはカッコ悪ぃぞ」 「い、いじめ? いや、違うから」 「体調管理は自ら行うべきものであり、他人から防寒具を奪ってまでするものではないぞ」 「い、飯田くんまで。待ってよ」 「ふざけんな、死ねっ! こんなもんいるか!」 「待ってよ、かっちゃん!!」 爆豪は俺が差し出した薄手のコートを払い除けると、そのまま踵を返した。慌てる緑谷が爆豪の手を掴むが、それすらも思い切り振り払われて、爆豪は駅のほうへと消えていった。 これで緑谷のパーカーは守られた。寒い思いして帰ることもないだろう。達成感を覚えて緑谷のほうを見れば、全然嬉しそうじゃなくて、困ったように眉を寄せていた。 「あ、あのね。二人の気遣いは嬉しかったけど、かっちゃんとのアレはいじめとかではなくて……僕が嬉しくてやってることだから」 「緑谷が薄着で鍛えてるのに、爆豪が付き合ってくれてるのか?」 「そ、そうじゃなくて。えぇっと、……ごめん! 今度ちゃんと説明するから。今はかっちゃん追いかけてくる」 焦ったようにそれだけ言うと、緑谷はもどかしそうに駆け出していった。俺たちのことなんて見向きもせずに、爆豪の背中を追いかけてあっという間に緑谷の姿は見えなくなった。 幼馴染という関係性は、幼いころ友人に恵まれなかった俺には計り知れない関係なのかも知れない。それでも緑谷は生まれて初めてできた友達だ。友達がいじめられているのを黙って見過ごすわけにはいかない――と思ったけれど。何かに失敗した気がした。 「つまり、どういうことなんだ?」 「うむ……わからない」 どうやら余計なお世話で無駄な気遣いだったということだけはわかったが、それ以上はわからなかった。取り残された俺と飯田は二人で顔を見合わせた。 「激辛ラーメンひとつ」 「……つけめん。塩で」 適当に注文すれば「かしこまりました!」と店員が水を置いていなくなる。 仕事でたまたま一緒になった爆豪と昼飯を食べにラーメン屋に行食こととなった。腹が減ったから蕎麦屋に行こうと、付きまとっていたら何故かラーメン屋に連れていかれ、蕎麦ではないことに不満はあったが、これは謝罪のチャンスだった。 あの飲み会の後。飯田と二人で何だったのかを話し合っていれば、瀬呂と上鳴がやってきて「爆豪のあれは、好きな子にちょっかいかけたい小学生的な行動で。緑谷のあれも、好きな子にかってもらえて嬉しい中学生的な反応だから」という説明をされた。 つまるところ二人はラブラブで、俺たち二人はその邪魔をしてしまったらしい。 緑谷は爆豪とのあの不毛なやり取りを楽しんでいて、爆豪の行動は緑谷に対する嫌がらせではなく、好意の表れだったらしい。全く気が付かなかった。 二人には悪いことをしちまったな。と認識を新たにした俺は、今度爆豪と緑谷に会ったら、今日のことを謝ろう――と思ったのを思い出して謝罪を口にした。 「爆豪、先日は悪かったな」 ぶすっとした顔でスマホをいじっていた爆豪が顔をあげる。 「あ? 先日?」 「同窓会で、緑谷といちゃついてるの邪魔しちまったみたいだから。すまない」 「ハァ⁉ いちゃ……なに?」 「爆豪は緑谷のこと好きだから俺のコートじゃなくて緑谷のパーカーが欲しかったんだな」 「クソデクのことなんか一ミリも好きじゃねぇわ。寝言は寝て言え!」 ガタリと椅子を鳴らして爆豪が立ち上がる。どうやらまた怒らせてしまったらしい。爆豪の怒りポイントは難しくてよくわからない。 「緑谷、カッコいいからな。俺も、爆豪の気持ちもよくわかるぞ」 顔を真っ赤にして怒鳴る爆豪を落ち着かせるために同意を示せば、爆豪は無言のまま両目をかっと見開いた。 「テメェもデクのこと好きなのか?」 「ん? 好きだぞ」 そんな当たり前のことを聞かれても。そのまま返せば脱力したように椅子にすとんと座った。 |
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